今日慶應fit入試二次受けた人? - 慶應義塾大学
16名前を書き忘れた受験生 2022/10/30 23:26
>>14そうなんですか!900字*1000字はあったので安心しましたが、、中身結構同じことを繰り返して書いたのでボロボロかもしれないです。
>>14そうなんですか!900字*1000字はあったので安心しましたが、、中身結構同じことを繰り返して書いたのでボロボロかもしれないです。
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7名前を書き忘れた受験生 2022/10/18 08:45
FIT入試は2006年度から始まりました。
FIT入試とは、この学生を「教えたい」という私たち法学部教員と、慶應義塾大学法学部法律学科・政治学科を第一志望とし、そこで「勉強したい」学生との間の良好な相性(fit)を実現しようとするものです。
これはFlexible and Intelligent Thinking入試の頭文字をとったものでもあります。
法学部では、従来から入試を教育の第一歩と考え、よりよい入試方法の開発に努めてきました。
だからこそ、様々な工夫をしながら多様な選抜方法を用意し、多様な能力を持つ学生に門戸を開いてきたのです。
グローバル化・情報化に向かって変化する21世紀という時代においては、この多様性と開放性こそが大きな力となるでしょう。
なぜなら、異なった能力、異なった経験、異なった価値観を持つ優れた若者が入学し、交流することによって多くのことを学びとることこそ、人間の成長にとって大切なことだからです。
FIT入試は学科試験を課さないという意味でいわゆる総合型選抜ですが、その理念や選抜方法からするならば、独自の先駆的な試みではないかと私たちは自負しています。
このFIT入試を導入するにあたり、法学部では、入学試験とは本来どうあるべきなのかという原点に立ち戻って 議論を積み重ねました。
それが試験である限りは、公平性・客観性が確保されていなければならないことは言うまでもありません。
そのために従来の入試では学科試験が課せられてきたのですが、それに選抜力を持たせるため、いわゆる難問が多くなりました。
もちろんここから多くの優秀な学生が入学しています。
しかし、本来入学試験とは、受験生の側が自分の信じる理想と現実とをつきあわせて主体的に将来設計を行った末に抱く「この大学で、この学問を学びたい」という思いと、教える側の教員が、大学の社会的使命を自覚しつつ 「こういう若者を、こういう方向で育て、社会に送り出していきたい」という思いとのマッチングから行われるべきものなのではなかったでしょうか。
FIT入試は、慶應義塾の法学部で是非とも勉強してみたい学生が出願し、教員が教えたい学生を選抜するという、入試本来のあり方を新たに追求した形に他なりません。
その一方で、近年、多くの大学で導入されている総合型選抜は、筆記試験だけによる、画一的な評価に代えて、多面的、総合的に受験生の能力を評価すると謳っています。
しかしそれは、スポーツ推薦に近いような一芸入試であったり、単なる面接試験だったり、かならずしも多面的、総合的に受験生を評価できる手法にはなっていないように思われます。
FIT入試は、偏差値にとらわれない人物本位の選抜方法です。
何か一芸に優れているだけでは決して合格しない仕組みになっています。
この試験で合格できるのは、高い学力に裏打ちされていると同時に、法律学・政治学を学習するのにふさわしい素養があると法学部の教員が判断した学生に限られます。
このFIT入試では、そうした能力と素養を、教員自身の目を通して確認することを重視しています。
法学部が導入したこの挑戦的な入試制度がわが国の大学の範となり、日本社会を根本的に変えていくことにつながるかどうかは、私たちの意図を正しく理解し、その理念に共感して、より良き世界を私たちとともに作っていこうとする意欲を持った若者たちがどれくらい集まってくれるかにかかっています。
人間的な魅力にあふれた優秀な学生が多く集まってくれることを期待していますが、まだ見ぬ若者たちの、埋もれたままの無限の可能性が、この私たちの新しい試みによって開花することがあるとすれば、それこそが私たちが願っていることなのです。
FIT入試は2006年度から始まりました。
FIT入試とは、この学生を「教えたい」という私たち法学部教員と、慶應義塾大学法学部法律学科・政治学科を第一志望とし、そこで「勉強したい」学生との間の良好な相性(fit)を実現しようとするものです。
これはFlexible and Intelligent Thinking入試の頭文字をとったものでもあります。
法学部では、従来から入試を教育の第一歩と考え、よりよい入試方法の開発に努めてきました。
だからこそ、様々な工夫をしながら多様な選抜方法を用意し、多様な能力を持つ学生に門戸を開いてきたのです。
グローバル化・情報化に向かって変化する21世紀という時代においては、この多様性と開放性こそが大きな力となるでしょう。
なぜなら、異なった能力、異なった経験、異なった価値観を持つ優れた若者が入学し、交流することによって多くのことを学びとることこそ、人間の成長にとって大切なことだからです。
FIT入試は学科試験を課さないという意味でいわゆる総合型選抜ですが、その理念や選抜方法からするならば、独自の先駆的な試みではないかと私たちは自負しています。
このFIT入試を導入するにあたり、法学部では、入学試験とは本来どうあるべきなのかという原点に立ち戻って 議論を積み重ねました。
それが試験である限りは、公平性・客観性が確保されていなければならないことは言うまでもありません。
そのために従来の入試では学科試験が課せられてきたのですが、それに選抜力を持たせるため、いわゆる難問が多くなりました。
もちろんここから多くの優秀な学生が入学しています。
しかし、本来入学試験とは、受験生の側が自分の信じる理想と現実とをつきあわせて主体的に将来設計を行った末に抱く「この大学で、この学問を学びたい」という思いと、教える側の教員が、大学の社会的使命を自覚しつつ 「こういう若者を、こういう方向で育て、社会に送り出していきたい」という思いとのマッチングから行われるべきものなのではなかったでしょうか。
FIT入試は、慶應義塾の法学部で是非とも勉強してみたい学生が出願し、教員が教えたい学生を選抜するという、入試本来のあり方を新たに追求した形に他なりません。
その一方で、近年、多くの大学で導入されている総合型選抜は、筆記試験だけによる、画一的な評価に代えて、多面的、総合的に受験生の能力を評価すると謳っています。
しかしそれは、スポーツ推薦に近いような一芸入試であったり、単なる面接試験だったり、かならずしも多面的、総合的に受験生を評価できる手法にはなっていないように思われます。
FIT入試は、偏差値にとらわれない人物本位の選抜方法です。
何か一芸に優れているだけでは決して合格しない仕組みになっています。
この試験で合格できるのは、高い学力に裏打ちされていると同時に、法律学・政治学を学習するのにふさわしい素養があると法学部の教員が判断した学生に限られます。
このFIT入試では、そうした能力と素養を、教員自身の目を通して確認することを重視しています。
法学部が導入したこの挑戦的な入試制度がわが国の大学の範となり、日本社会を根本的に変えていくことにつながるかどうかは、私たちの意図を正しく理解し、その理念に共感して、より良き世界を私たちとともに作っていこうとする意欲を持った若者たちがどれくらい集まってくれるかにかかっています。
人間的な魅力にあふれた優秀な学生が多く集まってくれることを期待していますが、まだ見ぬ若者たちの、埋もれたままの無限の可能性が、この私たちの新しい試みによって開花することがあるとすれば、それこそが私たちが願っていることなのです。
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