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明治時代の語呂合わせ &ショートショート - 日本史の勉強掲示板

明治時代の語呂合わせ &ショートショート


0日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 11:55  2127view
日本史と語呂合わせ作りが大好きな社会人です。
明治時代の語呂合わせや自作のショートストーリーを紹介していきます。

自分も皆さんのお役に立てれば嬉しいのですけど、ただの一素人ですので、あくまで参考程度にしておいてください。
間違えて覚えるようなことがあっては大変ですので、あくまで参考程度にしてくださいませね(*^^)v
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日本史の勉強掲示板(スレッド一覧)
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1日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 11:57
岩倉遣欧使節団
「岩木戸にいと大き梅」

岩→岩倉具視
木戸に→木戸孝允
いと→伊藤風呂文
大き→大久保利通
梅→津田梅子


岩倉、木戸、伊藤、大久保、津田梅子

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2日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 12:04
「ごはんよ」「はい!学長!」

ご→五か条の御誓文・五榜の掲示
はん→版籍奉還
はい→廃藩置県
学→学制
長→徴兵令

※五か条の御誓文・五榜の掲示→版籍奉還→廃藩置県→学制→徴兵令

※五か条の御誓文は、「これこれ、こういうことをやってきます」という5つのお約束を天皇が神々に誓うという形で出されたよ
「大事なことは会議をひらいて、みんなで仲良く決めましょうね(広く会議をおこし万機公論に決すべしetc)

※五榜の掲示は、その翌日、民衆にもしちゃなダメなことを「掲示」しました。
「キリスト教は禁止だよ、外国人への暴力もしちゃダメだからね」etc

それでも、どちらが五か条の御誓文で、どちらが五榜の掲示がわからなくなったら「五榜」で「ゴボウ」で農民(民衆)と関連付けてもいいかも


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3日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 12:07
〜五か条の御誓文〜

「百合の服、きっと高いし」



五か条の御誓文は、由利公正が起草、福岡孝弟が修正、木戸孝允が仕上げました

百合の→由利公正が起草
服→福岡孝弟が修正
きっと高いし→木戸孝允が仕上げ
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4日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 12:13
〜版籍奉還〜

1869年。「天皇に人は向く(1869)なり版籍奉還」


「大名に土地(版)と人(籍)を天皇(朝廷)に返させましょう」
大久保利通と木戸孝允は話し合いました。
「では、まず我らが率先して」ということで
薩摩、長州、土佐、肥前の4藩主が、まっさきに土地と人を天皇にお返ししました。
でも藩主は知藩事(潘知事ともいう)と名前が変わったけど、そのままその土地にいることが出来ました。
そしてこれまでの収入の10分の一を「家禄」として政府から与えられました。

大名「名前は変わったけど、これまで通りの土地にいられてよかった



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5日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 12:22
〜版籍奉還〜

「版籍奉還をしたが、イマイチぱっとしない」
「知藩事(旧藩主)は、けっきょくこれまでどおり、その土地で政治をしているんだものな」
「いっそのこと藩を無くしてしまっては?」
「でも、そんなことをしたら、さすがに暴動は起きんだろうか?」
そんな時、西郷隆盛がいいました。
「では、それに備えて、薩摩藩が軍を作りもそう」
そうして、薩摩、長州・土佐でできた兵が「御親兵」です
こうして知藩事(旧藩主)は罷免され、その土地を離れて東京で華族として暮らすことになりました。

「俺たち家族だな」
「華族だろ」

そうして、入れ替わりに薩摩・長州・土佐・肥前から府知事・県令が派遣されました。






ところで
御親兵は、薩摩・長州・土佐です。
御親兵で漢字3文字。薩長土で漢字3文字でリンクしてもいいかもです。

ちなみに
版籍奉還で率先して土地と人を返したのが薩長土肥。漢字4文字4文字
廃藩置県で、府知事県令として派遣されたのが薩長土肥。漢字4文字4文字です














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6日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 12:27
〜版籍奉還後、二官六省制になる〜

「半咳で、甚大に飲む二缶六升」
※半分、咳こんでいるのにビール2缶と日本酒6升もあけちゃいました」


半咳で→版籍奉還で
甚→神祇官と
大に→太政官の
二缶六升→二官六省制へ(*´ω`)

版籍奉還後
政府のしくみは、「神祇官と太政官」の二官と、外務省、大蔵省、民部省・・・・などの「六省」の二官六省制になりました(^o^)
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7日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 12:32
〜廃藩置県後、太政官三院制に〜

「はい、班長!まさに左右は大丈さ」




はい、班長!→廃藩置県後
まさに→正院
左→左院
右→右院
大丈→太政官
さ→三院制


※廃藩置県後、政府の仕組みは太政官三院制になりました。
「太政官」+正院・左院・右院の「三院制」です。
ちなみに、正院には、太政大臣や左大臣、右大臣なんかが置かれたよ(^o^)


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8日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 12:36
〜徴兵令・徴兵告諭〜

※男性は20歳以上になると、徴兵検査を受け3年以上の兵役につかなければなりませんでした。
でも戸主(一家の主)や、その跡取り、代人料270円以上おさめた人は免除されました

ゴロ♪
「20さ」と戸主の後に次男いう



20→20歳以上で
さ→3年以上の兵役を義務

戸主の→戸主
後に→跡取り
次男いう→270円の代人料







別の覚え方→自分に即して考えてみる
(@)今18歳の人なら
「あと2年たったら3年間の兵役かあ」

(A)今19歳の人なら
「来年から3年間兵役かあ」

「あっ、でもオレ、長男で跡取りだから関係ないや。お父さんも戸主だから兵隊にとられない。270円で兵役から逃れられるなら、今日のおやつは我慢しよう」
※当時の270円は大金ですけどね(笑)












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9日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 13:30
〜明治6年の政変で下野した人〜

ゴロ♪「明治6年、最後に添えて」

さ→西郷隆盛
い→板垣退助
ご→後藤象二郎
そ→副島種臣
え→江藤新平

※特に西郷と副島は、文章中にも「最後(西郷)」「添え(副島)」と被ってるの覚えやすいかも

(背景)
「朝鮮を征伐するでごわす」
西郷らを中心にこうした意見がおこりました(征韓論)。
大久保、木戸、岩倉らは海外にいたのですが(←岩倉遣欧使節団として日本を留守にしてました)、それを聞き、慌てて日本へと駆け戻ります。
「今はそんなことをしている時ではない」
そうして、西郷らの意見をつぶしてしまいます。
「そうでごわすか。おいどんは、やめるでごわす」
西郷はやめ、他にも同じく征韓論を唱えていたメンバーも政府を去りました。明治6年の政変です


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10日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 13:58
自由民権運動のショートトーリー
→アメブロに載せてるけど、こちらにコピペしたよ。
こちらだと、コピペだと変に改行されちゃうみたいなんで、アメブロの方が見やすいかも。
アメブロ https://ameblo.jp/be-ryoma/entry-12766702026.html



<愛国公党の設立と、民選議院設立建白書>
「おいどんは、政府を去るでごわす」
「まったくだ。私もやめさせてもらう」
あの明治6年の政変から1年後のこと。
板垣と後藤象二郎、江藤新平、副島種臣は話し合っていました
「今の政府は薩摩と長州だけで好きなように政治を動かしている。これではダメだ。これからは、日本でも議会政治をせにゃならん」
「まったくだ。イギリスやフランスでは、国民が選んだ議員が議会でものごとを決めておるという。日本でも民衆の意見が反映されるような政治をつくっていかねばならん」
「やりましょう、板垣さん」
板垣退助と後藤象二郎、江藤新平、副島種臣、は、日本にも議会を作ろうと「愛国公党」という政治組織を作りました。



<愛国公党と民撰議院設立建白書>
「よし、まず政府に国会を作ってくれとお願いをしよう」
そうして、民撰議院設立建白書という建白書(お願い書)を政府の法律をつくっている部署(左院)に出しました。
内容は
「今の政治は有司、つまり一握りの人間が専制的に行っている(有司専制)。でもみんなちゃんと税金を払ってるんだから、政治に参加する権利はあるはずだ。民衆に選ばれた人が議院で物事をきめる、そんな国会を作ってください」
というものでした。
しかしこれを見た大久保ら政府は言います。
「まだ早すぎる。時期尚早だ。今、国会を作ってみろ。せっかくまとまりかかってきた新政府が瓦解してしまうわ」
「さよう、不満を持っている不平士族らがたくさんおりますものな」
「議会が必要なことはこちらだって百も承知している。議会も憲法もなくては、とても近代国家とは言えん。今のまま条約改正を持ち出したところで、外国に相手にもされんだろう。だが、まだ早い。今ではないのだ」
これは政府から却下されます。
(注)民撰議院設立建白書→「民」が「選」んだ人による「議院」を「設立」してください、という「建白書」。でも漢字は「選」ではなく、手偏の「撰」です





<江藤新平、佐賀の乱を起こし、愛国公党つぶれる>
ところが、ここで大事件発生です。
佐賀に戻った江藤新平が、武力で政府に抵抗したのです(佐賀の乱)。
「ナニ、江藤君。早まったことをしてくれた」
江藤新平が佐賀の乱を起こしたことで、愛国公党はつぶれてしまいました。
しかし、板垣はくじけません。
「なに、なんのこれしき。よし、いったん故郷の土佐に戻って仕切り直しだ」



<板垣。故郷の土佐に帰り立志社を立ち上げる>
板垣は4月、土佐に戻り、次は「立志社」という政治団体を立ち上げました。
板垣は演説します。
「日本にも議会を作ろう。議会を作らなければ、日本はダメになってしまう」
議場は大盛り上がり。
「そうだ、そうだ」「議会をつくれ」
そして、立志社に呼応して、全国各地でこうした政治団体のグループがあちこちにできてきました。
板垣は思います。
「片岡健吉君、こうした組織が全国あちこちで出来てきた。ここらでそれら(地元のローカルな政治団体)をまとめるような全国的な組織を作ろうと思うのだが」
「ええ、板垣さん作りましょう。立志社は土佐オンリーの地元ローカルな政治団体にすぎません。今こそ全国の政党をまとめ、自由民権の大空へ羽ばたく時です」
こうして生まれたのが愛国社です。
立志社が愛国社と名前が変わったのでなく、「立志社」含め、たくさんの地方ローカルな政治団体が集まってできたのが「愛国社」です。(注)


<大阪会議>
板垣の暴れっぷりを、大久保は苦い顔で見ています
あいつら、本当にうるさくてたまらん。なんとかならんものだろうか
大久保は妙案を立てます。
大久保は板垣、木戸孝允を大阪によんで会議を開きます。大阪会議です。
なぜ大阪で開かれたかというと、板垣退助が大阪で新しい政党(愛国社のこと)をつくる準備をしていたからです。

(注)正確には、愛国社ができたのは、大阪会議の後です。ただ板垣が政府に戻って参議なんてやるから、同じ仲間からも愛想つかされるし、讒謗律、新聞紙条例で弾圧されて、すぐにつぶれてしまいました





<大阪会議の内容>
大久保は言いました。
「板垣さん、どうかまた政府に戻ってきてはもらえまいか?やはりあなた無しでは、何かと大変でね。私もいろいろと妥協案を考えたんだよ。聞いてくれるかね」
大久保は続けます。
「ゆくゆくは日本も憲法を作っていくことを約束しよう、少しずつだがね(=漸次立憲政体樹立の詔)。
そのために次の3つを約束しよう
@法律をつくろう(=元老院の設置:立法機関)
A裁判所もつくりましょう(=大審院の設置:司法機関)
B地方の意見も取り入れましょう。そう、地方での会議を作るんですよ。地方官会議です。府知事・県令を集めた地方官会議を開くのです!」
板垣は感極まります。
「大久保さん!」
大久保の甘い提案に、うかつにも板垣はホイホイと飛びついてしまいました。これが罠だとは疑いもせずに。



<愛国社の設立と政府の弾圧(讒謗律・新聞紙条例)>
さて大阪会議の後、板垣は政府の甘言に乗り、無節操にも政府に戻り参議になってしましました。
大久保は内心、ほくそ笑みます。
<甘い男だ。罠とも知らずに>
これまで政府を非難していた板垣が政府に戻り参議になってしまうのですから、党員は皆おもしろくありません。
「板垣さん、見損なったよ」
「がっかりだよ」
愛国社は急速に求心力を失っていきます。
板垣が政府に戻るやいなや、政府はとどめにかかります。
「政府の悪口を言うやつは許さん(讒謗律)」
「新聞でも政府の悪口を言ったり、自由民権運動を応援したら許さんからな(新聞紙条例)」。
と自由民権運動をどんどん取り締まります。
政府に取り込まれた板垣は、思うように政府に物を言えなくなってしまいます。
「ああ、罠だったのか。板垣、一生の不覚」
愛国社は自然消滅してしまいます。



<西南戦争のさなか、立志社、立志社建白を出す>
その後、西日本各地で士族が反乱を起こします。(注→長くなるので別項で)
大坂会議から2年後、ついに西郷が地元薩摩の士族に担ぎ上げられ、西南戦争が起こりました
そのさなか、立志社の片岡健吉が立志社建白をだします。
とはいえ、自由民権運動は下火になっていきました。
しかし、くすぶっていた火種は再燃します。
それが西南戦争の敗北でした。



<武力での反抗(西南戦争等)から言論での反抗へ>
西南戦争が終わりました。
西郷は負けたのです。
そのとき、人々は気づきました。
「もう、政府には武力では勝てないと」
「ああ、これからは言論の時代だ」
そうして、西南戦争から1年後。
板垣は愛国社を再興します
「西南戦争が終わった。武力による反抗も終わりを告げた。今こそまた自由民権の灯をともす時だ」
この頃から運動は士族だけでなく、農民や商工業者にも広がっていきました。



<巨星落つ「大久保の死」。そしてリーダーは伊藤・大隈に>
西郷が亡くなった同じ年のこと。
皇居へ向かう大久保の馬車の前に6人の浪士が飛び出してきました。
「国賊め、死ね」
大久保の体を刃が貫きます。
「馬鹿者!お前らには国家100年の計を考えるわしの気持ちがわからんのか」
そう叫びながら、大久保は死にました。
<無念だ・・・。まだ日本のためにしなければならないことがたくさんあるというのに>
享年48歳。
あまり人気のない大久保ですが、彼は真に国のことを想い、私財をなげうち借金をしてまで国のために尽くした人物でした。そのため金を貸した者たちも、大久保亡き後も取り立てるようなことはなかったといいます。
奇しくも同じ年、西南戦争のさなか、木戸孝允も亡くなります。
「西郷、いいかげんにせんか」と病床で呟きながら。
新しい時代を作り上げた維新三傑が、天命に終えたかのようにこの世を去ったのでした。
大久保が亡くなった後、少し小物になりますが、伊藤博文と大隈が新政府の舵を取ることになります。



<愛国社から国会期成同盟へ>
板垣らは大阪で4回目となる愛国社大会をひらきました。
「日本も国会を作らねばなりません!」
板垣の演説にしびれる人々。
「国会を作ろう!」という目的の元、愛国社をベースに「国会期成同盟」ができます。
しかし、政府は集会条例という法律を作って国会期成同盟をおさえにかかります。



<国会期成同盟と集会条例>
「そもそも今の政府は」
「そもそも自由民権運動は」
政府の批判はもちろんのこと、そうした目的で集まるのも駄目です。
「解散だ、即時解散」
「演説は中止だ、帰れ、帰れ」
政府を批判するような演説は、集会条例で取り締まられていきます。
政府集会をするときには、届け出を出して、警察官立ち合いの元、演説をしなくてはなりません。
こうなると民権派は何も行動できません。
国会期成同は弱まっていきます。
しかし、ある事件をきっかけに民権運動は息を吹き返します。



<開拓使官有物払い下げ事件と国会開設の勅諭>
それが政府のおこした事件、開拓使官有物払い下げ事件です。
当時北海道の開拓使の長官をしていた薩摩出身の黒田清隆。
彼は、政府が大金を投じて開発してきた物件(工場や牧場や鉱山など)をただ同然で、同じ薩摩の商人に売ってしまったのです。
民衆は怒ります
「なんだ、これは!薩摩同志でズブズブじゃないか!」
「これだから政府は信じられんわ」
「薩長が牛耳る政府なぞ壊してしまえ」
「早く国会をつくれ」
もう民権派の怒りを抑えることもできそうにありません
伊藤博文や井上薫ら、政府の人間は頭を抱え込みます。
「伊藤さん、もう民衆の怒りを抑えられそうにありません」
「しかたがない」
政府はついに国民に約束をしました。
「わかりました。では、今から10年後には国会を開くことをお約束します」と。
国会開設樹立の詔です。
民衆は喜びに震えます。



<リークした奴を追い出せ「明治14年の政変」>
一方、伊藤たちは渋い顔をして話していました
「これは、内々の話しで漏れるわけがない話だ」
「うむ。世に出るということは誰かがリークしたってことだ。となると、あいつしかおらん」
「そう、これによって得する人物といえば、ただ一人」
「彼はもともと議会をつくれ、という意見で我々と対立していた。そして、実際にその流れになった。やはり情報を漏らしたのはあいつしか考えられん」
「ええ、彼にはやめてもらいましょう」
政府は大隈重信を政府から追い出しました
明治14年の政変です



<政府を追い出された大隈。政党を作り政府を攻撃>
「へん、覚えておけよ」
大隈は政府を出ると、立憲改進党という政党を立ち上げて政府を攻撃します。
「私はイギリス流の国会を目指すぞ」
板垣もこれを機にフランス流の国会を目指す自由党を作ります。
一方、政府側もこれに対抗しようと、福地源一郎により立憲帝政党が作られました。
また、今回の立憲政体樹立の詔(=10年後には国会を開きますよ)を機に、多くの人が「憲法はこんな感じのがいいんじゃね?」という案をつくりました。これを私擬憲法案といいます



<岐阜事件と板垣の洋行>
1882年、今日も板垣は岐阜で演説をしていました。
そこへ。
刃物を持った男が現れ板垣に向かってきました
「国賊め」
男の刃物が板垣を襲います。
暴漢にさされ、うずくまりながらも板垣は言います
「板垣死すとも自由は死せず」
(注)実際にはこのセリフは言ってなかったとか)
幸い、怪我も大したことはなく命にはまったく差し支えなかったのですが、これを機に板垣の自由民権運動の熱はピークに達します。
運動のさらなる盛り上がりを懸念した政府は、板垣にこう持ち掛けます。
「板垣さん、勉強のためにフランスに行ってみたいとは思いませんか?海外を美化する前にまずはご自分でフランスの実情を確認してみてはいかがでしょう?」
「ふむ」
「お金の方は政府で出しますから」
「なんと、私も実際にこの目で海外を見たかったのだ」
板垣はまたしても政府の誘いにホイホイと乗ってしまいます。
これには同じ自由党内からも反発の声があがります
「板垣さん、これの金の出所がどこか知っているのか。新聞にも叩かれ、自由党総裁として恥ずかしくないのか」
「板垣君、あなたはバカだ。これからが大事な時だというのに。もう君とはやっていけない。私は党を抜けるよ」
「私もだ」


※字数オーバーになってしまうので、ここから先はこちらから読んでもらえるとうれしいです
→アメブロ https://ameblo.jp/be-ryoma/entry-12766702026.html



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11日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 15:30

大坂会議の覚え方です。
語呂合わせ本文
「大きいぜ!現代の地方」

大→大久保
き→木戸孝允
い→板垣退助
ぜ→漸次立体政権樹立の詔
現→元老院(法律をつくろう)
代の→大審院(裁判所も)
地方→地方官会議(地方の意見も取り入れましょうね)
婦→府知事
警→県令(府知事・県令を集めて地方官会議が開かれた)
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12日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 15:49
<ゴロ合わせ。自由民権運動の流れ>

愛国公党→立志社→愛国社→国会期成同盟→自由党
を語呂合わせます

ゴロ本文「aikoと立った愛国者。帰省は自由(**>*<*)。**」


aikoと→愛国公党
立った→立志社
愛国者→愛国社
帰省は→国会期成同盟
自由→自由党

<愛国公党>
明治六年の政変で下野した西郷以外のメンバーで愛国公党を作ります(注1)
「日本も、議員で議会が開かれるようにしよう」と。
でも、メンバーの一人、江藤新平が故郷の佐賀で、佐賀の乱を起こしてしまったため、「愛国公党」はつぶれます。
でも、そんなことで諦める板垣ではありません。
板垣は故郷の土佐で「立志社」を立ち上げます。

<立志社>
この立志社の活動が新聞に載ったため、こうした政治組織が日本各地でできました。
「じゃあ、全国的な組織にして一本化しよう」
立志社が中心となってできたのが、「愛国社」です。
でも愛国社は政府の弾圧(讒謗律・新聞紙条例)によってつぶされます。

<愛国社>
しかし、西南戦争も終わり、愛国社も再興されます。
そして、愛国社をベースにできたのが、「国会期成同盟」です。
その名の通り「国会を作ろうぜ」と、国会開設に目標を絞りました。
でも、この国会期成同盟も政府の弾圧(集会条例)によってつぶされます。

<自由党>
その後、政府のやらかした事件(開拓使官有物払い下げ事件)で、民権派を抑えきれなくなった政府は言います。
「10年後には国会を開きます」と。
そして、「よし、じゃあまた頑張っちゃうもんね」でできたのが、自由党です。




(注1)明治六年の政変→「明治六年、最後に添えて」で、西郷、板垣、後藤、副島、江藤。西郷以外のマンバ―、板垣、後藤、副島、江藤によって「愛国公党」が作られたよ
「日本でも議員をつくろう」
「ええ、やりましょう。板垣さん」
「民選議院設立建白書を政府に出しましょう」
って感じでね


※「立志社」が名前を変えて「愛国社」になったんじゃなくて、立志社はじめ多くの政治団体が集まってできたのが「愛国社」です

※弾圧の語呂合わせは次のページで(*´ω`)

動画
https://www.youtube.com/shorts/KWvMDclXytQ


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13日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 15:55
〜自由民権運動の弾圧とゴロ合わせ

@愛国社←讒謗律・新聞紙条例で弾圧
A国会期成同盟←集会条例で弾圧
B大同団結運動・三大事件建白運動←また別の項で紹介します(^o^)/

ゴロ
「斬新な愛の集会、規制します」

斬新な愛の→讒謗律・新聞紙条例で愛国社を弾圧
集会、規制します→集会条例で国会期成同盟を弾圧
      ※「規制」で「国会期成同盟」をイメージしてね


動画
https://youtube.com/shorts/8nL_0syGhg4?feature=share
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14日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 16:01
私擬憲法案
「開拓使官有物払い下げ事件」をきっかけに、民(民権派)から突き上げられた政府は、おさまりが付かなくなって、「10年後には国会を開きますから(国会開設の勅諭)」と約束しました。
で、いろんな人が、そえぞれ憲法の案を考えました。
「こんな憲法の案、いいなじゃね?」。私擬憲法案です(*´ω`)



五日市憲法草案:(起草)千葉卓三郎
「五日市の憲法を、千葉に託す」
五日市憲法草案←千葉卓三郎が起草




「東洋大日本国憲按」植木枝盛
「植木する?東洋日本の滑稽な案」
※東洋大日本国憲按の「按」は手偏。植木は「手」を使って作るから「手偏」と覚えるといいかも




「日本憲法見込按」立志社
「立春、日本憲法の見込みが立った」




「国憲意見」福地源一郎
「フクちゃんの滑稽な意見」




私擬憲法案「交詢社」
「皇潤のむ、市議の憲法案」







以上をすべてまとめたゴロ合わせ
「見込み立つ?いつか千葉から、東洋の植木へ」
・見込み立つ?→「日本憲法見込按」立志社
・いつか千葉から→「五日市憲法草案」千葉卓三郎
・東洋の植木へ→「東洋大日本国憲按」植木枝盛



「滑稽な服着た私擬に皇潤」
・滑稽な服着た→「国憲意見」福地源一郎
・市議に皇潤→「私擬憲法案」交詢社

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15日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 16:06
〜選挙権を与えられた人のゴロ合わせだよ〜


明治の初期議会。
黒田清隆内閣が、憲法と同時に衆議院選挙法を出しました(*^^)v
そのときに選挙権を与えられたのが「直接国税を15円以上納める満25歳以上の男性」です。
そのとき選挙権を持ったのは、全人口の1.1%。
お金持ちじゃないと無理だったから普通の人はムリですもんね。
「まあ、どっちみち、うちら庶民には無理な話さ」ってね。
だから、地主さんとかのお金持ちとかが選挙権をもったよ(^o^)




ゴロ合わせ
「黒苺税。ニッコリ男子がいっぱいだ」


黒→黒田清隆
苺税→直接国税15円以上
にっこり→25(満25歳以上)
男子→男性
いっぱい→1.1%

動画
https://www.youtube.com/shorts/bbaVbsU9X3c
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16日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 17:30
〜初期議会を歌で覚える♪〜

糸巻き巻きの唄で覚えます


伊藤内閣(糸まきまき)
黒田憲法(糸まきまき)
山県。選挙・議会(引いて引いてトントントン)

マツコ艦長(糸まきまき)
いっとう元気に(糸まきまき)
喧嘩をしこむ(引いて引いてトントントン)




ついに内閣ができました。初代総理は伊藤博文です。
お次の黒田内閣では、大日本帝国憲法が発布されます(#^^#)
山県内閣では、はじめての選挙と議会が開かれます(衆議院議員総選挙&第一回帝国議会







マツコ艦長→松方内閣の選挙干渉
いっとう元気に→第二次伊藤内閣は元勲内閣
喧嘩をしこむ→建艦詔勅、4・5・6議会


松方内閣では、死者20名以上が出るほどの選挙干渉がありました
第二次伊藤内閣は元勲内閣です。大物ばかりでそろえたオールスター内閣のことです。どうしても軍事予算を増やしたかった伊藤はオールスター内閣で議会に臨みました
でも、なかなかうまくいかず、伊藤は奥の手を使いました。
天皇にお願いすることです。
で、建艦詔勅(天皇に「皇室も切り詰めるから、軍艦をつくるのに協力してね」と言ってもらった)を出してもらって、軍事予算のアップに成功しました。





内閣と議会のリンク付け
内閣のゴロ合わせ「イクヤマイマイオヤイカサカサ」の「ヤ」。
山県内閣で開かれた帝国議会は1回
次の松方内閣では2回開かれました
お次の第二次伊藤内閣では3回開かれました
あとは、足し算すればOKです

山県は一1回→第1回帝国議会
松方は2回→第2回帝国議会、第3回帝国議会
第二次伊藤は3回→第4回帝国議会、第5回帝国議会、第6回帝国議会






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17名前を書き忘れた受験生 2022/11/25 18:41
>>16
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18日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 20:30
>17さん。ありがとうございます(*^^)v

壬午事変・甲申事変のショートストーリーを作ってみました。受験の範囲から脱線してるのですが、読みもとして、もしよかったら(*´ω`)




朝鮮国王高宗は、頼りない男でした。
そこで国王の妻、閔妃が政治を好き勝手に操つるようになりました。
それを面白くない顔で見ている男がいます。
国王の父大院君です。
登場人物は、国王(高宗)、国王の父(大院君)、国王の妻(閔妃)です。
では物語のはじまりはじまり。


(注)人間関係がわかりづらかったら、知っている人物に例えてみるといいです。たとえばジョジョ好きの人は→(父)ジョナサン・ジョースター(息子)ジョセフ・ジョースター。その妻のスージーQみたいに。
クレヨンしんちゃんが好きな人なら、(父)野原せまし(=野原ひろしの父)と(息子)野原ひろしと、みさえ(ひろしの妻)みたいな。あるいは自分のおじいちゃん、お父さん、お母さんみたいに。


国王の妻・閔妃は、浪費しまくり、やりたい放題の政治を行い、民衆の救済もしなかったので、市民から嫌われていました。
ところで、この閔妃。
急速に文明化した日本を見て思います
<日本にならって朝鮮の軍隊の仕組みも改めましょう>
そして少数精鋭の近代軍隊をつくり、愛情を注ぎました。
一方の旧軍は、ボロボロの軍服を着て、お給料(お金ではなく米!)も1年以上ももらっていないありさまだったというのに。
それでも旧軍は耐えました。
そして13か月目、ついについに旧軍にもお給料(米)が支払われることになりました。
「今月は給料もらえるってよ」
「やったあ」
兵士たちが喜んだのもつかの間。
なんと、その米には、糠や砂、腐敗米などで水増しされていたのでした。
これは、中間の役人が抜いたものなんですけど、当然ながら旧軍はキレます。
その役人を引っ張り出して、ボコボコにして監禁しました。
あろうことか、それを見た閔妃は言いました。
「この事件に関わった旧軍の者はみんな死刑よ」。
ここまで来て、ついに旧軍もブチ切れました。
これを見ていた大院君は、「もっとやれー」と軍をけしかけ、一般市民も混じり大暴動に発展しました。
「国王をさしおいて政治に出しゃばる女狐、閔妃め」
「警察署を襲え」
「食糧庫を襲って食料を奪え」
「米が値上がりするのも、米を買い占めている日本のせいだ。日本公使館も焼きうちにしろ!」
「漢城にも攻め込むんだ!」
日本の役人は命からがらボートで海に逃げ出し、イギリスの船に助けられました。
「あたしゃ、逃げるわ」
閔妃も漢城から逃げ出しました。
その後、閔妃の要請を受けた清軍3000の兵が暴徒を鎮圧し、大院君は清へと連れていかれ投獄されました。
一方、日本も朝鮮に兵を送りこんだのですが、すでに暴動は鎮圧されていました。
日本も清も、戦う準備ができていなかったため、戦争にはなりませんでしたが、両国の関係は悪化しました。
ともあれ、日本は朝鮮に言いました。
「朝鮮くん、日本は公使館を焼き討ちされたし、職員も殺された。だから賠償金を支払ってもらうからな。それと今後は公使館を守るために軍隊を置かせてもらうからな」
そうして決まったのが
「朝鮮は、日本に賠償金を支払いなさい」
「日本は公使館に軍隊をおいてもいい」
というものでした。これが済物浦条約です

多分、高校の教科書なんかには、
「親日派で改革派の国王の妻の閔妃に対し、親日派の大院君がクーデターを起こし、その結果、日本との間で済物浦条約がむすばれたと書いてあるかと思います。ま、そんな事件でした


(まとめ)
大院君(国王の父)VS閔妃(国王の妻)
大院君と軍が、閔妃にクーデターを起こし、日本公使館を焼き討ちするも、清国軍隊が出てきて鎮圧した。清と日本は険悪になる
その結果
・済物浦条約が結ばれる
・これまで親日派だった閔妃が、「もう日本なんてクソくらえ」と思い親清派になる










甲申事変
閔妃は思います
「日本がこんな仕打ちをするとは思わなかったわ。
賠償金まで取りやがって
キーっ
もう日本とはやっていけないわ
やっぱり清よね。今回も命を助けてくれたし」
この事変の後、閔妃は親日派から親清派になります
壬午事変のあと、朝鮮は閔妃らの事大党がおさめてきました
しかし、次のように思う者もいました。
「いやいや、清はまたもやフランスに敗れたじゃないか(清仏戦争)。もう清を頼っても仕方ないと思う」。
「ああ、そうだ。隣の国、日本を見てみろよ。アヘン戦争で清が負けて30年足らずの間に西洋の文化を取り入れ、ここまで成長した。俺たちも中国でなく、日本から学ぶべきだ」
金玉均、朴泳孝ら独立党のメンバーです。
「このまま清国の属国でいいものか」
「そうとも、日本にも清にも支配されない独立した国をおさめよう」
「よし、クーデターをおこし、今の政府を倒すぞ。このままでは、朝鮮はロシアやイギリス、フランスなどの西洋列強に食い物にされ、奴隷にされてしまう」
「おう。閔妃一族を倒さねば」
彼らは兵をあげ、日本もそれを支援します。
こうしてクーデターがおこり、王宮は占領されました
これまでの体制(=清に頼ってやっていこう)を維持しようとした閔妃一族は一掃されました。
一時は金玉均らが新政府を樹立し、クーデターは成功したかのように見えました・・・・が。
「清さん、助けてください」
閔妃の要請に清が動きます。
「閔妃殿、助けに来ましたぞ」
金玉均らとわずか150名の日本軍には、1500名の清国軍に立ち向かうすべもなく敗れてしまいました。
クーデターは失敗に終わりました。
独立党のメンバーの多くは、捕えられ激しい拷問を受け亡くなりました。
その他のクーデター関係者も、守旧派(これまで通り清に頼ってやっていこう派)によって逮捕され、厳罰に処されました。
クーデター首謀者の家族は3親等までが全て殺されました。
甲申事変で日本と清との関係はさらに悪くなります
でも、日本も清も今は戦うだけの態勢が整ってなかったため、今回は戦争にまで発展しませんでした。
日本「清仏戦争が終わってしまった今、清国と戦っても勝ち目はない。清国との戦いは避けねばならん」
清「今の清は西洋列強から侵略されつつある。ここで日本とまで全面戦争になるのは避けたい」と。
しかし、伊藤博文は「近いうちに戦争になるやもしれん。軍拡を急がねば」と肌身で感じました。
清国の代表李鴻章と、日本の代表伊藤博文で話し合い、次のようなことが決まりました。
「日本も清も朝鮮に兵を置かないようにしましょう(=常駐させない)」
「兵を出す時は、お互いに連絡をとりあってからにしましょうね」
天津条約です。


(まとめ)
壬午事変で、日本から賠償金をとられた閔妃は日本を嫌いになってしまいます。
「やっぱり中国よね」と、親清派になります。
この閔妃政権に対抗したのが金玉均、朴泳孝ら独立党の人々。
彼らは言います。
「日本を見て見ろ。この短い時間で、ここまで近代化した日本を。俺たちは清ではなく日本に学ぶべきではないのか」
そしてクーデターを起こしました。
革命は成功した・・・かのように見えましたが、清が閔妃の援助にまわったので、ついに失敗してしまいました。
その後、日本側伊藤博文と、清側李鴻章の間で条約が結ばれました。
「日本も清も朝鮮に兵を常駐させないようしましょう。もし兵を出す時は、お互いに連絡をとってからにしましょうね」。天津条約です。

(さらに短いまとめ)
独立党の金玉均、朴泳孝(開化派)が、事大党の閔妃一派に対し、クーデターを起こすも、
閔妃を助けに来た清国軍に敗れました。
その後日本(伊藤博文)と清(李鴻章)の間で天津条約が結ばれました

(もっと短いまとめ)
「清に頼ってやっていこう」という王妃に対し、「いや、日本を見習え」という人たちがクーデターを起こしたんですが失敗しちゃいました。そのあと、日本と清とでいろいろなお約束をしました。


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19日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 20:33
壬午事変、甲申事変の語呂合わせつくりました



〜壬午事変のゴロあわせ〜
「日本にビンタ。死んで退院、サイナラです
日本に→親日派の
ビンタ→閔妃。
死んで→親清派の
退院→大院君
サイナラです→済物捕条約




〜甲申事変のゴロ合わせ〜
「日本人の僕の金玉、死んでもビンビン」
日本人の→親日派の
僕の→朴泳孝
金玉→金玉均
死んでも→親清派の
ビンビン→閔妃
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20日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 20:53
〜不平士族の乱のゴロ合わせ(時系列)〜

酒飲み月見。オハギで咳を」
さ→佐賀の乱
け→敬神月の乱(神風連の乱)
月見→秋月の乱
おはぎ→萩の乱
せ→西南戦争
きを→紀尾井坂の変


※明治六年の政変で下野した西郷以外のメンバーで「愛国公党」がつくられました。でもそのメンバーだった一人、江藤新平が「佐賀の乱」をおこしたので、愛国公党はつぶれてしまいました

※紀尾井坂の変は、大久保が暗殺された事件です。
「馬鹿者!お前らには国家100年の計を考えるわしの気持ちがわからんのか」。
そう叫びながら、大久保は死にました。大久保の頭の中には、これから先の日本の計画でいっぱいだったことでしょうね



※明治政府に対する反抗は2つの流れがありました
@1つが「武力で政府に反抗するぞ」派
→不平士族の乱
「酒飲み月見。オハギで咳を」

Aもう一つが「言論で政府に反抗するぞ」派です。
→自由民権運動
「aikoと立った愛国者。帰省は自由」
愛国公党、立志社、愛国社、国会期成同盟、自由党

西南戦争で西郷さんが負けるのを見た人々は、「武力では政府に敵わない」と悟り、自由民権運動がもりあがります♪













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21日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/25 23:01
「開国中。フグ・カバ、乳を同時にパクリ。不安です」

このゴロ合わせは、時系列、流れをおさえるゴロ合わせです

開→開拓使官有物払い下げ事件
国→国会開設の勅諭(詔)
中→自由党結成
フ→福島事件
グ→群馬事件
カバ→加波山事件
乳→秩父事件
を→大阪事件
同時に→大同団結運動
パクリ→三大事件建白運動
不安です→保安条例
(※保安条例で、大同団結運動・三大事件建白運動を弾圧)



(背景)
政府が大金をかけて開発した北海道開拓使の官有物(工場や鉱山、牧場とか)を、タダみたいな安値で薩摩の商人に売り渡すということが明るみにでました(開拓使官有物払い下げ事件)。
民権派は怒ります。
「ふざけるな!」
「これだから政府は信じられない!」
「だから早く国会を開けと言ってるんだ!」
「ウンコ食わすぞ!」
政府も、ついに折れます。
「わかりました。ではこれから10年後に国会を開きますんで」と。(国会開設の勅諭)


さあ、いよいよ国会が開かれるぞ!
板垣は張り切って政党を作ります。自由党です。


自由民権運動は盛り上がります。
岐阜での遊説中に、板垣が暴漢に刺された時に言ったセリフ「板垣死すとも自由は死せず」の言葉が新聞に載り、自由民権運動の人気はピークを迎えます。


政府は、苦い顔でこれを見ています。
「なんとかせねば」
そして板垣に洋行の話しを持ちかけました。
政府の甘言にむざむざと乗っかった板垣は、洋行してしまいます。
板垣というリーダーを失った自由党は過激化していきます。
そして、政府の政策(松方デフレ)により、ビンボーになった農民と結びつき、暴動をおこします。


福島事件、群馬事件、加波山事件と続き、加波山事件で自由党は解党してしまいました。最後に農民が起こしたのが秩父事件です。


その後、「国会がもうじきできるぞ」ということで、星亨という人が言いました。
「旧自由党も旧立憲改進党も、これまでいろいろあったけど、お互い手をとって頑張りましょう。小異(小さいこと)は捨てて大同につきましょう」と。
そして後藤象二郎が
「よっしゃ、あとは俺にお任せあれ」
と、あちこちで演説しました。
また、三大事件建白運動もこの時です。
@外交失策の挽回
A言論・集会の自由
B地租の軽減
を政府に求めたのが、三大事件建白運動です。


政府(@伊藤内閣)は、何とかせねばと思います。
まず後藤象二郎に大臣のポストをやって政府に取り込みます。
他の人はどうなったか?というと
弾圧してつぶしました。
保安条例です。
「3年間、皇居から3里(12キロ)の地に追放!」というものです。
まさに散々(3・3)ですね








一応、動画作ったんで貼りつけますけど、30分以上で長いですし、全部ここで言ったので、特に見る価値ナイです
https://youtu.be/wSfRHVLh_Aw






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22名前を書き忘れた受験生 2022/11/28 22:29
>>21

いいね!
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23日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/28 23:13
>22さん、本当にありがとうございます。感謝<(_ _)>
これからも、よろしくお願いします。


伊藤が憲法を作る際の語呂合わせを考えてみました。
「さあ、憲法をつくらねば」
伊藤はヨーロッパへと旅立ちます。
そして、
「おお、ドイツ流の憲法が日本の実情にあってる!」
と感銘を受け、
ウィーン大学のシュタイン。ベルリン大学のグナイストに教えを請いました。

語呂合わせ
「I wish ベッドで good night」
でたらめな英文ですけど。
I →伊藤
wish →ウィーン大学のシュタイン
ベッドで →ベルリン大学。「ド」は「ドイツ」の「ド」
good night→グナイスト

ということで
ウィーン大学のシュタイン
ベルリン大学のグナイスト。




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24日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/28 23:23
>22さん、ありがとうございます
どうぞよろしくお願いいたします(^o^)/

〜明治憲法の作成の語呂合わせ〜

「どんな憲法を作ったらいいだろう?」
伊藤は、ヨーロッパへと旅立ちます。
そして
「おお、ドイツの憲法が日本の実情にあっている!」
と感銘を受け、
ベルリン大学のグナイスト
ウィーン大学のシュタイン
に教えを請います。

語呂合わせ
「I wish ベッドで good night」
I →伊藤
wish →ウィーン大学のシュタイン
ベッドで→ベルリン大学(「ド」はドイツの「ド」)
good night→グナイスト

というわけで
ウィーン大学のシュタイン
ベルリン大学のグナイスト
です




日本に帰国した伊藤は、金子堅太郎、井上毅、伊東巳代治らとともに、憲法草案を作ります。アドバイサーはドイツのロエスレルです

〜語呂合わせ(伊藤以外のメンバー)〜
「金庫を壊した伊藤が嗚咽」

金庫を→金子堅太郎
壊した→井上毅
伊藤が→伊東巳代治
嗚咽→ロエスレル




※今日、自由党+進歩党→憲政党(第一次大隈)の語呂合わせを考えてみた♪



















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25日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/28 23:49
〜三新法〜

「グフの地方で三新法」

グ→郡区町村編成法
フ→府県会規則
地方で→地方税規則
三新法→三新法

※「グフ」は、ガンダムに出てくるジオングのモビルスーツです。

※郡区町編成法→明治政府ができて、新政府は「よし、新しい政府ができたことだし、今までの区画をやめて新しい区画にしよう」と言って、新しい区画にしました。
しかし、民衆は大混乱。「あれ?オレの住所、なんだっけ?」
あまりに不評だったので、政府は、また以前と同じ郡区や町村の区画に戻しました。郡区町村編成法です


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26日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/30 22:10
第一次伊藤内閣を、ピクチャーマップでまとめてみた(図解)
1分動画




https://www.youtube.com/shorts/vbI1klN3bKg
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27日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/11/30 22:16
>21

〜三大事件建白運動

ゴロ
「ガイコツ。言論に窒息」


ガイコツ→外交失策の挽回
言論に→言論・集会の自由
窒息→地租の軽減

を求めたよ

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28日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/12/02 22:19
第一次黒田内閣をピクチャーマップでまとめてみた


https://www.youtube.com/shorts/yspMeJKWlc4
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29日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/12/03 00:11
日清戦争後、政府は民党をとりこもうとします
伊藤博文(第二次伊藤内閣)は言います。
「民党を取りこんでしまおう。いいポストを与えて、やつらを懐柔しよう」
伊藤は板垣に内務大臣のポストを与えてやりました。
後に組閣した松方正義も思います。
「私も伊藤さんにならって民党を取り込んでしまおう」
松方は大隈に外務大臣のポストを与えました
その語呂合わせです。





【語呂合わせ】
「泣いたニートにマツコ心外」

泣いた→内務大臣。板垣退助
ニート→2伊藤→第二次伊藤内閣

にマツコ→第二次松方内閣
心→進歩党
外→外務大臣




ということで
・第二次伊藤内閣の時に板垣が内務大臣に
・第二次松方内閣の時に進歩党の大隈が外務大臣になりました

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30日本史語呂合わせ決定版ちゃんねる 2022/12/03 00:21
〜日清戦争のショートショート〜
もし間違い等ありましたら、ごめんなさい<(_ _)>


日清戦争

<東学党の乱(甲午農民戦ともいう)>
朝鮮で東学党の乱がおこりました
これは、東学(儒教、仏教、道鏡を混ぜ合わせたような宗教)と農民が結びついておこった大きな反乱です。
「外国は出て行け」
「税金はやめろ」
「キリスト教は出て行け」
朝鮮国王・高宗と后の閔妃は
「もう、うちらでは、おさえきれない。清に助けてもらおう」と、清に助けを請います。
そうして清は軍隊3000人を朝鮮に送りました。
それを見た日本は思います
「あの事変(壬午事変、甲申事変)以降、清は朝鮮での影響力を強めてしまった。このままでは、日本は朝鮮での影響力を失ってしまうぞ」
「まったくです。天津条約(日本と清とでむすばれた条約)では、朝鮮に出兵するときには、お互い連絡をとってからにすると決まっていたはずです。日本も朝鮮に兵を送りましょう」
そんなわけで、日本は頼まれてもいないのに朝鮮に兵をおくりました。
乱はすっかり収まったにもかかわらず、日本も清も朝鮮を出ようとしません。
豊島沖でも、日本軍と海軍が、今にも戦争が起きそうな緊張感でにらみ合っています
そしてついに日本と清とで撃ち合いが始まりました



<日清戦争はじまる>
まずは豊島沖にて。
「清の艦隊を発見!よし砲撃開始」
これを機に日清両国は宣戦布告し、日清戦争が始まりました。
日本は、その後もどんどん清に勝ち続けます。
黄海海戦では激しい撃ち合いになりました。(黄海:朝鮮半島と中国の間の海)
「清の船、北洋艦隊は日本よりも大きい。だが、日本の船は小さいが小回りが利く。速射砲もある。それを生かして戦えば、きっと勝てるぞ」
「おー!」
黄海海戦でも勝ち、リャオトン半島の旅順・大連にも攻め込みます
さらにリャオトン半島の向かいの威海衛も占領。
日本は勝利しました。
日本中が沸き上がります
翌年、山口県下関で日本の代表・伊藤博文、陸奥宗光と清側の李鴻章との間で話し合いが持たれました



<下関条約>
内容
「清は朝鮮の独立を認めなさい」
「清はリャオトン半島、台湾、澎湖諸島を日本に譲りなさい(=割譲しなさい)」
「賠償金を2億両(3億円)支払いなさい」
「沙市・重慶、蘇州、杭州(揚子江沿岸にある都市)を開いて開港しなさい」
これにより、朝鮮は無理やり独立させられ、名前を大韓民国と改めさせられました。
それを見ていたロシアは思います。

<三国干渉と臥薪嘗胆>
<我がロシアもこれからあちこち占領しようと思っているのに、リャオトン半島を取られてしまうと、それが難しくなる。ちくと日本を脅してやろう。清に勝ったといったところで、このロシア様が脅せば日本も断れまい>
ロシアはフランス、ドイツを誘って日本に言いました
「日本君、あなた、ちょっと調子乗りすぎじゃありません?アジア平和のために、リャオトン半島は清に返しなさいよ」
三国干渉です。
「くやしい。だが今の日本ではロシアと戦っても勝てぬ」
日本は悔し涙を飲み、これを受け入れます
「ロシアめ。何もせずに口出しをしおってからに。いつか見てろよ」
日本は「臥薪嘗胆」を合言葉にロシアへの憎しみを燃やし、日清戦争でぶんどった賠償金のほとんどを軍事費につぎこみます
一方、そのロシアはといえば、なんと日本に返させた旅順・大連(リャオトン半島)を清から借り受けてしまっていたのです(=租借)。
「なに!ロシアがリャオトン半島の旅順・大連を借り受けただと?」
「ああ。その旅順と大連の不凍港(冬でも凍らない港)を拠点にしてアジアに勢力を広げるつもりらしい。無理やり日本からリャオトン半島を取り上げたくせに、ネコババとは卑怯なことよ」
「しかもフランスも広州を借り、ドイツも膠州湾を借り受けたそうな」
「ロシア、フランス、ドイツめ。日本に三国干渉をしておきながら。許せん」
「イギリスも九竜半島を借り、侵略の足掛かりにしておる」
「清はボロボロだな」







(もう少し短いまとめ)
「外国は出て行け!」
朝鮮で東学党の乱がおこり、清は朝鮮にお願いされ朝鮮に兵を送りました。
それを見た日本も、「このままでは、清の朝鮮での立場がますます強くなってしまう。日本も天津条約を口実に参戦しましょう」
と朝鮮に軍を送りました。
しかし乱がおさまっても両軍ともに兵をおさめずにらみ合っています。
今にも戦争がおこりそうな緊張状態。
そしてついに緊張の糸が切れました。
豊島沖で両軍が激突。
お互い宣戦布告し、日清戦争がはじまります。
日本は次々と清を破り(豊島沖海戦→黄海海戦→旅順・大連→威海衛)、ついに清は降伏します。
日本と清の間で講和条約がむすばれました
「清は朝鮮を独立国として認めなさい」
「日本に領土の一部(リャオトン半島、台湾、澎湖諸島)をよこしなさい」
「4つの都市も開港しなさい」
「もちろん賠償金も2億テールきっちりはらっていただきますよ」
といったものです。
これを見ていたロシア、フランス、ドイツは「日本君、リャオトン半島くらいは清に返しなさいよ、アジアの平和のためにもね」と脅してきました(三国干渉)。
ロシアと戦っても勝ち目のない日本は、悔し涙を飲み、これを受け入れます。
しかし当のロシアは、そのリャオトン半島を借り受ける(租借する)始末。フランス、ドイツ、イギリスも、清という獲物に食いつき、やりたい放題です。





(さらに短いまとめ)
朝鮮で乱がおこりました。
「清さん、助けてください」
朝鮮に請われた清は朝鮮に兵を出します
日本も頼まれてもないのに、朝鮮に兵を送ります。
乱はおさまりましたが、日本と清はバチバチ向き合ったまま、今にも戦争が起きそうな緊張状態です。
そして、ついに戦争がはじまりました。
戦ってみれば日本の大勝利。
清は日本にさんざん、賠償金や土地などを取られボロボロです。
それを見ていたロシア・フランス・ドイツが「リャオトン半島を清に返せ」と日本に言い寄ります。
ロシアと戦っても勝てない日本はこれを受け入れます。
清は、列強のエサとされ、食い物にされました





(もっと短いまとめ)
朝鮮で乱がおき、清と日本が出兵しました。
乱が収まった後も日本軍と清軍のにらみ合いはつづき、ついに戦争になりました。
日本は清に勝ち、多くの賠償金や他にも土地や権利を得ます。
そこにロシア、フランス、ドイツが三国干渉をしてきました。
戦っても勝ち目のない日本はそれを受け入れます。
その後、清は列強によってたかって食い物にされました
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