サクサク読める日本の歴史 - 勉強法掲示板(総合)
サクサク読める日本の歴史
0ふなっしー 2021/12/29 13:47 794view
サクサクやめるように日本史をかみくだいて書いて見ました。まだ途中ですが随時更新していきます。日本史の苦手な方へ。
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2名前を書き忘れた受験生 2021/12/29 20:42
114 平安後期(清盛vs後白河法皇・鹿ヶ谷の陰謀)
後白河上皇平滋子 平清盛平滋子の姉
↓ ↓
高倉天皇 徳子
↓
(安徳天皇)
▼1176年、建春門院(平滋子)が病気で亡くなりました。建春門院を失うことで、後白河法皇と平清盛の仲をとりもつ人間を失ってしまうことになります。
その後、後白河法皇・平清盛・院の近臣の間では政治の主導権をめぐる激しい対立が起きたこともありました。
翌年1177年には、後白河法皇の近臣が鹿ケ谷(ししがだに)に集まって話し合いをします。西光(さいこう)、俊寛(しゅんかん)、藤原成親(なりちか)らが陰謀を企てます。
「清盛は好き勝手に政治を行なっている。もはや、みなで平氏の時代を終わらせよう」と。これは鹿ケ谷の陰謀と呼ばれます。
ところがこの陰謀のことを清盛に漏らしてしまう者がいました。清盛は集まりに参加した者たちを捕まえ処刑や島流しとします。
清盛は怒り狂い後白河法皇をも捕らえようとしますが高倉天皇と徳子の間に皇子ができないと政治は安定しないと説得することにより清盛は後白河法皇にまでは手を出しませんでした。
1178年、ついに清盛の娘、徳子が高倉天皇との間に皇子を出産し後白河法皇は多いに喜びます。そして、この子を、必ずやみかどにすると誓いました。
114 平安後期(清盛vs後白河法皇・鹿ヶ谷の陰謀)
後白河上皇平滋子 平清盛平滋子の姉
↓ ↓
高倉天皇 徳子
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(安徳天皇)
▼1176年、建春門院(平滋子)が病気で亡くなりました。建春門院を失うことで、後白河法皇と平清盛の仲をとりもつ人間を失ってしまうことになります。
その後、後白河法皇・平清盛・院の近臣の間では政治の主導権をめぐる激しい対立が起きたこともありました。
翌年1177年には、後白河法皇の近臣が鹿ケ谷(ししがだに)に集まって話し合いをします。西光(さいこう)、俊寛(しゅんかん)、藤原成親(なりちか)らが陰謀を企てます。
「清盛は好き勝手に政治を行なっている。もはや、みなで平氏の時代を終わらせよう」と。これは鹿ケ谷の陰謀と呼ばれます。
ところがこの陰謀のことを清盛に漏らしてしまう者がいました。清盛は集まりに参加した者たちを捕まえ処刑や島流しとします。
清盛は怒り狂い後白河法皇をも捕らえようとしますが高倉天皇と徳子の間に皇子ができないと政治は安定しないと説得することにより清盛は後白河法皇にまでは手を出しませんでした。
1178年、ついに清盛の娘、徳子が高倉天皇との間に皇子を出産し後白河法皇は多いに喜びます。そして、この子を、必ずやみかどにすると誓いました。
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