鳴かぬなら 俺とえちせん? ホトトギス - 大阪大学掲示板
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5名前を書き忘れた受験生 2020/07/16 12:02
>>4
鳴かない理由が喉の痛みであるとして、自分がのど飴になろう、そして元気に鳴いておくれ。という歌であると読み取れる。
鳴かない理由が喉の痛みであると決めつけているのは何とも身勝手な話である。
しかし自己を犠牲にしてまでホトトギスに鳴いて欲しいという思いは伝わってくる。
よって総評は100点満点中20点である。
>>4
鳴かない理由が喉の痛みであるとして、自分がのど飴になろう、そして元気に鳴いておくれ。という歌であると読み取れる。
鳴かない理由が喉の痛みであると決めつけているのは何とも身勝手な話である。
しかし自己を犠牲にしてまでホトトギスに鳴いて欲しいという思いは伝わってくる。
よって総評は100点満点中20点である。
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9名前を書き忘れた受験生 2020/07/16 22:00
>>6
鳴かないならば殺してやるという、なんとも自己中心的な歌であることが読み取れる。
なんとも短絡的な歌であるように思えるが、面白いことに「鳴かぬなら」には「亡かぬなら」の字を振っても歌は成立するのである。
いや、作者はこれを意図的にしたに違いない。
表現点は高いものであろう。
しかし、やはり歌の大意は残念で残忍な、非常に無情なものである。
よって総点は100点満点中37点である。
>>6
鳴かないならば殺してやるという、なんとも自己中心的な歌であることが読み取れる。
なんとも短絡的な歌であるように思えるが、面白いことに「鳴かぬなら」には「亡かぬなら」の字を振っても歌は成立するのである。
いや、作者はこれを意図的にしたに違いない。
表現点は高いものであろう。
しかし、やはり歌の大意は残念で残忍な、非常に無情なものである。
よって総点は100点満点中37点である。
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10名前を書き忘れた受験生 2020/07/16 23:32
>>8
「鳴かぬなら」で始めることで、最後の句は「ホトトギス」であろうとまず読者に予想させる。
しかし2句目で流れが変わる。「とめてやろうか」
どういうことだろうか。
「鳴かぬなら」との整合性がつかない。
そして最後の句はホトトギスではなく、「ホッチキス」である。
やられた。
ホトトギスではなく、ホッチキスなのである。
では「鳴かぬ」のは何だろうか。
あえてそれを明示せず、読者の想像に委ねているのだろうか。
ホッチキス。
それは紙綴器の一種。日本では明治45年に開発された。
これを川柳の題材にするとは、なかなか粋である。
しかし意味がわからない。
「鳴かぬ」のにさらにホッチキスで止めるのである。
余計に鳴かなくなるのではないだろうか。
それとも唇(嘴)に止めるという固定観念を抱いている私が悪いのだろうか。
分からない。
分からないので評価もできない。参った。
>>8
「鳴かぬなら」で始めることで、最後の句は「ホトトギス」であろうとまず読者に予想させる。
しかし2句目で流れが変わる。「とめてやろうか」
どういうことだろうか。
「鳴かぬなら」との整合性がつかない。
そして最後の句はホトトギスではなく、「ホッチキス」である。
やられた。
ホトトギスではなく、ホッチキスなのである。
では「鳴かぬ」のは何だろうか。
あえてそれを明示せず、読者の想像に委ねているのだろうか。
ホッチキス。
それは紙綴器の一種。日本では明治45年に開発された。
これを川柳の題材にするとは、なかなか粋である。
しかし意味がわからない。
「鳴かぬ」のにさらにホッチキスで止めるのである。
余計に鳴かなくなるのではないだろうか。
それとも唇(嘴)に止めるという固定観念を抱いている私が悪いのだろうか。
分からない。
分からないので評価もできない。参った。
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12名前を書き忘れた受験生 2020/07/17 00:30
>>11
ホトトギスが鳴かぬのなら、代わりに「俺」が泣こうという歌である。
きっと「俺」は、ホトトギスの抱える苦悩を知っているが、安易に鳴き出せないホトトギスを思って、同情して、涙するのである。
ところで、「〜ぜよ」は土佐弁である。土佐と言えば、坂本龍馬が挙げられる。
坂本龍馬は日本史において、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と(時代は異なるが)並んで有名である。
その点でも「ホトトギス」の歌で詠まれる3人の存在をも意識させうるであろう。
ただ、「俺」という現代風な一人称はやや時代離れ感もあり、マイナスである。
したがって総点は、100点満点中56点である。
>>11
ホトトギスが鳴かぬのなら、代わりに「俺」が泣こうという歌である。
きっと「俺」は、ホトトギスの抱える苦悩を知っているが、安易に鳴き出せないホトトギスを思って、同情して、涙するのである。
ところで、「〜ぜよ」は土佐弁である。土佐と言えば、坂本龍馬が挙げられる。
坂本龍馬は日本史において、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と(時代は異なるが)並んで有名である。
その点でも「ホトトギス」の歌で詠まれる3人の存在をも意識させうるであろう。
ただ、「俺」という現代風な一人称はやや時代離れ感もあり、マイナスである。
したがって総点は、100点満点中56点である。
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16名前を書き忘れた受験生 2020/07/17 16:45
>>14
「鳴かぬなら」なぜ「3日で死ぬ」のか。
一見不明瞭な繋がりである。しかし、これには深い意味がありそうである。
そもそもホトトギスの歌が狂歌として歌われ始めたのは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人である。
その中の1人、織田信長はこう歌われる。
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
そう、この歌では、鳴かぬのならホトトギスは殺されるのである。
元の歌に戻ろう。元の歌では「鳴かぬなら」、「3日で死ぬ」、すなわち3日で殺されるとも言い換えられる(鳴かない ということと 死ぬ ということには直接的な、自発的な関係はないように思われる)。
このように考えると少し繋がりが見えてくる。
そう、織田信長の歌が背景にあるのである。
ではなぜ「3日」なのか。
これは「三日天下」のことを表している。
三日天下とは、戦国時代、明智光秀が本能寺で織田信長を討って天下をとったが、十数日で豊臣秀吉に討たれたことから、権力を握っている期間が、きわめて短いこと。の意である。
一見繋がりのないような歌であるが、この背景には織田信長と明智光秀の存在があったのである。この二者の特徴を捉えて、この歌は詠まれているのである。
このような背景があるものの、しかしこの歌自体には特に面白みは感じられない。整合性もない。
したがって総点は100点満点中43点である。
>>14
「鳴かぬなら」なぜ「3日で死ぬ」のか。
一見不明瞭な繋がりである。しかし、これには深い意味がありそうである。
そもそもホトトギスの歌が狂歌として歌われ始めたのは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人である。
その中の1人、織田信長はこう歌われる。
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
そう、この歌では、鳴かぬのならホトトギスは殺されるのである。
元の歌に戻ろう。元の歌では「鳴かぬなら」、「3日で死ぬ」、すなわち3日で殺されるとも言い換えられる(鳴かない ということと 死ぬ ということには直接的な、自発的な関係はないように思われる)。
このように考えると少し繋がりが見えてくる。
そう、織田信長の歌が背景にあるのである。
ではなぜ「3日」なのか。
これは「三日天下」のことを表している。
三日天下とは、戦国時代、明智光秀が本能寺で織田信長を討って天下をとったが、十数日で豊臣秀吉に討たれたことから、権力を握っている期間が、きわめて短いこと。の意である。
一見繋がりのないような歌であるが、この背景には織田信長と明智光秀の存在があったのである。この二者の特徴を捉えて、この歌は詠まれているのである。
このような背景があるものの、しかしこの歌自体には特に面白みは感じられない。整合性もない。
したがって総点は100点満点中43点である。
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22名前を書き忘れた受験生 2020/07/18 00:57
>>18
「鳴かぬなら孫まで待とう」という句から、「鳴くまで待とう」の歌で知られる家康の忍耐力をはるかに凌ぐ読み手であることが伺える。
自分もまたその1世代先も鳴き声を聞けなくてもいい。2世代先で聞けるのならそこまで鳴くのを待とうという歌である。
しかし、一般にホトトギスの寿命は野生化で長くとも5〜6年くらいではないかと言われている。
弱肉強食の野生の世界では、多くの野鳥は1,2年ほどしか生きられない。
孫まで待っていたとしても、第0世代で鳴き声が聞こえなければ、そのホトトギスの鳴き声は二度と聞けたものではないだろう。
しかし、その家康をも凌ぐ忍耐強さ、ならびに子を超えて孫の世代まで待とうとする心意気を歌として詠んだのは評価されるべきである。
したがって総点は100点満点中60点である。
>>18
「鳴かぬなら孫まで待とう」という句から、「鳴くまで待とう」の歌で知られる家康の忍耐力をはるかに凌ぐ読み手であることが伺える。
自分もまたその1世代先も鳴き声を聞けなくてもいい。2世代先で聞けるのならそこまで鳴くのを待とうという歌である。
しかし、一般にホトトギスの寿命は野生化で長くとも5〜6年くらいではないかと言われている。
弱肉強食の野生の世界では、多くの野鳥は1,2年ほどしか生きられない。
孫まで待っていたとしても、第0世代で鳴き声が聞こえなければ、そのホトトギスの鳴き声は二度と聞けたものではないだろう。
しかし、その家康をも凌ぐ忍耐強さ、ならびに子を超えて孫の世代まで待とうとする心意気を歌として詠んだのは評価されるべきである。
したがって総点は100点満点中60点である。
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23名前を書き忘れた受験生 2020/07/18 01:02
>>19
ホトトギスを「鳴かぬ」ではなくあえて「泣かぬ」とする、擬人法を用いている。
ホトトギスにも苦悩はある。
それを知ったうえで、涙を堪えるホトトギスに感涙し、「代わりに泣こう」と読み手は言っているのだ。
しかし、この歌は過去の他者の歌から考えるに、剽窃の可能性が高い。
意図的な引用かどうかは疑わしいものである。
ほぼその大意が同様である歌が散見される。
そのため、総点は100点満点中7点とする。
>>19
ホトトギスを「鳴かぬ」ではなくあえて「泣かぬ」とする、擬人法を用いている。
ホトトギスにも苦悩はある。
それを知ったうえで、涙を堪えるホトトギスに感涙し、「代わりに泣こう」と読み手は言っているのだ。
しかし、この歌は過去の他者の歌から考えるに、剽窃の可能性が高い。
意図的な引用かどうかは疑わしいものである。
ほぼその大意が同様である歌が散見される。
そのため、総点は100点満点中7点とする。
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26名前を書き忘れた受験生 2020/07/20 14:21
>>21
「鳴かぬなら」すぐに返品してしまおうという歌である。そのときの返品されるもの(歌の体から察するにホトトギスのことであろう)の心情が最後の句に表れている。
「トホホすぎ」
トホホ−それは感動詞。情けなくみじめな気持になったときなどに発する言葉である。
「トホホすぎ」とは「情けなすぎる」の意であろう。返品されてしまう我が身の情けなさを憂えているのである。
ここに1つの技がある。「鳴かぬなら」の歌では最後の句は「ホトトギス」で終えるのが通例である。しかし、この歌では「ホトトギス」の心情を、その韻を踏んで詠んでいるのである。
「トホホすぎ」
しかし、返品とはどういうことであろうか。
まさかホトトギスを所有していたとでもいうのだろうか。
一般に、野鳥の飼育は鳥獣保護法により禁止されている。ホトトギスにおいては、1892年の「狩猟規則」においてから、保護鳥獣として指定されている。
そんなホトトギスを所有し、さらに返品するとはいかがなものか。返品先はどこなのか。
表現は評価できるものの、読み手のモラルの欠陥が垣間見える歌である。
よって総点は100点満点中40点である。
>>21
「鳴かぬなら」すぐに返品してしまおうという歌である。そのときの返品されるもの(歌の体から察するにホトトギスのことであろう)の心情が最後の句に表れている。
「トホホすぎ」
トホホ−それは感動詞。情けなくみじめな気持になったときなどに発する言葉である。
「トホホすぎ」とは「情けなすぎる」の意であろう。返品されてしまう我が身の情けなさを憂えているのである。
ここに1つの技がある。「鳴かぬなら」の歌では最後の句は「ホトトギス」で終えるのが通例である。しかし、この歌では「ホトトギス」の心情を、その韻を踏んで詠んでいるのである。
「トホホすぎ」
しかし、返品とはどういうことであろうか。
まさかホトトギスを所有していたとでもいうのだろうか。
一般に、野鳥の飼育は鳥獣保護法により禁止されている。ホトトギスにおいては、1892年の「狩猟規則」においてから、保護鳥獣として指定されている。
そんなホトトギスを所有し、さらに返品するとはいかがなものか。返品先はどこなのか。
表現は評価できるものの、読み手のモラルの欠陥が垣間見える歌である。
よって総点は100点満点中40点である。
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