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40歳で医学部に入学、3児を育てながら医師に 何歳になっても、何度でも挑戦できる - 医学部受験

40歳で医学部に入学、3児を育てながら医師に 何歳になっても、何度でも挑戦できる


0名前を書き忘れた受験生 2021/11/16 14:11  1305view
 愛知県内の病院で働く前島貴子さん(56)は7年かけて40歳で医学部に入学し、54歳で医師になった。現在19*13歳の3人の子を持つ母でもある。医学部在学中にも出産、留年を経験し、医師国家試験の浪人も乗り越えた。命をつなぐ医師の道を諦めなかった背景には、父を自死で失った悔しさがあった。 (細川暁子)
 三十二歳の時、飲食店を経営し、借金を抱えていた父が自死しました。私は大学卒業後、故郷の島根県で薬局を営んでいましたが、父を救えなかったことが悔しくて、申し訳なくて。以前から夢だった医師への思いが一層強まり、医学部受験を決意しました。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/106629
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7ブラックチャック 2022/02/12 10:28
受験戦争をゲームのように勝ち上がって、高偏差値の学校に合格する事にのみ注力して、気がついたら医学部生になっていたと言う志(こころざし)の無い学生より遥かに立派だと思う。
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5名前を書き忘れた受験生 2021/11/17 13:07
54歳で医師になったのか
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4名前を書き忘れた受験生 2021/11/16 22:03
明日から5時起きで勉強を始める
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1名前を書き忘れた受験生 2021/11/16 14:11
予備校に通って勉強を始め、同じ頃、結婚もしました。中学、高校時代から勉強は大の苦手。不合格のたびに落ち込みました。三十六歳で長女、三十九歳で長男を出産して育児にも追われましたが、子どもを保育園に預けながら勉強と受験を続けました。授乳期には胸が張って痛みに耐えられず、試験会場で搾乳したことも。七年越しでようやく愛知県内の大学の医学部に合格しました。
 奨学金を借りて医学部に入った後も、授業に付いていくのが大変でした。子どもが公園で遊んでいる時もテキストを読んでいました。在学中に次男が生まれ、留年もして卒業。医師免許を取得するための国家試験にも落ちてしまい浪人しましたが、二〇一九年四月から医師として働き始めました。
 昨年は、研修医としてコロナ患者を担当する呼吸器内科などでも経験を積みました。月に六回ほど当直もあり、体力的にきついですが、命をつないだと実感できる時が何よりの喜びです。
 子どものお弁当作りなど、仕事と子育ての両立は大変。でも、夫も子どもも食事作りや家事をしてくれて助けられています。子どもたちは、私を応援してくれています。医学部時代は、島根に住む母も手伝いに来て支えてくれました。亡くなった父も、医師になりたいという私の夢を知っていて、「頑張れ」と背中を押してくれた気がします。
 長引くコロナ禍で先が見えず、つらくて真っ暗闇の中にいる人もいるかもしれません。でも、どこかに必ず光はあります。一筋の光を見失わず、光をたどって生きていってほしい。何歳になっても、何度でも挑戦できるし、やり直しもできます。働き盛りの時期と出産、子育てが重なり、夢を諦めがちな女性たちに特にそう伝えたいです。
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3名前を書き忘れた受験生 2021/11/16 14:12
俺ももう一度目指してみようかな。医学部。
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9名前を書き忘れた受験生 2022/02/13 11:29
すげえ
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2名前を書き忘れた受験生 2021/11/16 14:11
すごいなぁ。
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6名前を書き忘れた受験生 2021/12/01 17:31
俺も後に続くわ
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8名前を書き忘れた受験生 2022/02/12 22:24
ですね
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12名前を書き忘れた受験生 2022/04/07 08:47
予備校に通って勉強を始め、同じ頃、結婚もしました。中学、高校時代から勉強は大の苦手。不合格のたびに落ち込みました。三十六歳で長女、三十九歳で長男を出産して育児にも追われましたが、子どもを保育園に預けながら勉強と受験を続けました。授乳期には胸が張って痛みに耐えられず、試験会場で搾乳したことも。七年越しでようやく愛知県内の大学の医学部に合格しました。
 奨学金を借りて医学部に入った後も、授業に付いていくのが大変でした。子どもが公園で遊んでいる時もテキストを読んでいました。在学中に次男が生まれ、留年もして卒業。医師免許を取得するための国家試験にも落ちてしまい浪人しましたが、二〇一九年四月から医師として働き始めました。
 昨年は、研修医としてコロナ患者を担当する呼吸器内科などでも経験を積みました。月に六回ほど当直もあり、体力的にきついですが、命をつないだと実感できる時が何よりの喜びです。
 子どものお弁当作りなど、仕事と子育ての両立は大変。でも、夫も子どもも食事作りや家事をしてくれて助けられています。子どもたちは、私を応援してくれています。医学部時代は、島根に住む母も手伝いに来て支えてくれました。亡くなった父も、医師になりたいという私の夢を知っていて、「頑張れ」と背中を押してくれた気がします。
 長引くコロナ禍で先が見えず、つらくて真っ暗闇の中にいる人もいるかもしれません。でも、どこかに必ず光はあります。一筋の光を見失わず、光をたどって生きていってほしい。何歳になっても、何度でも挑戦できるし、やり直しもできます。働き盛りの時期と出産、子育てが重なり、夢を諦めがちな女性たちに特にそう伝えたいです。
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10名前を書き忘れた受験生 2022/02/26 03:37
俺ももう一度挑戦しようかな
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