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【2020年】鳴門教育大学入試解答速報掲示板 - 鳴門教育大学掲示板

【2020年】鳴門教育大学入試解答速報掲示板


0名前を書き忘れた受験生 2017/02/11 21:18  1582view
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鳴門教育大学掲示板(スレッド一覧)
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34田布施 蟻巣 2019/12/30 05:53

はじめは影だった。
彼の父は殺された。しかし世間一般では病死という事にされた。それは彼の父が殺されたという事が弱みとなり、全てが台無しになる事を避ける為だった。父の死からほどなく、彼が父の代わりになった。しかしすぐに彼もまた殺された。彼の父の死の時と同じく敵対勢力の手によるものと、彼らは偽った。彼の父が彼らに殺された事は、既に遠く外国にまで噂が広まっていた。彼はいずれその噂を聞いていただろう。そうなれば、いずれ自分達に歯向かうようになる。だから彼らは彼も殺した。彼の周りの人達は、彼の代わりを立てねばならなくなった。しかしそれが成るのを目前に彼の父と彼と立て続けに二代も殺されたと世間に知られれば、全てが台無しになるかもしれない。それに彼の代わりになった者もまた、殺される可能性が高かった。だから彼らは自分達の中から影を立てた。彼の周りの人達には、それが成り上手く軌道に乗った時に全てを明かすと偽って。だから、彼の周りの人達は、影が彼の代わりになる事を黙認した。彼の死は世間に隠された。影が彼だという事になった。それが成ったのは、影が彼の代わりになって一年も経たない内の事だった。
彼の周りの人達は、彼らの事を怪しんではいた。しかし確たる証拠は掴めず、また、彼らに歯向かえば彼や彼の父のように殺されるのは目に見えていた。そして何より、それを成すには彼らの力が必要で、他の多くの人々の為にも彼らと反目する訳にはいかなかった。彼の周りの人達には、力が無かったのだから。だから時を経て彼らの言葉が嘘だとはっきりとわかり、全てが手遅れになって尚、彼の周りの人達にはどうする事もできなかった。影は、彼になった。はじめは影だった。
それ以前の彼と、父の代わりになった後の彼とは、何もかもが違いすぎていた。彼自身が変わったというには全てがあまりにも急速で急激すぎる変化だった。

                                              田布施 蟻巣
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33田布施 蟻巣 2019/12/30 05:52
スサノヲの出雲は、中心地を含む大部分をスサノヲの子である三女神五男神の内、天穂日命が統治する事となった。この頃の出雲は滋賀以西、近畿圏まで拡がっており、これは月読命としてのスサノヲの功績を称えまたスサノヲへの支持の高まりや天岩戸騒動での反省等からこの代の天照大神がスサノヲの方が統治するに相応しいと京都を退き三重の伊勢へ移られた為と推測される。滋賀以東の北海道を除く東日本を天照大神、滋賀以西を月読命(スサノヲ)、そしてその跡を継いだ天穂日命等が統治し当時はその地域全体をして出雲とよんでいたが、しかしあくまで独立国家ではなく天照大神の国に所属する一地方であった。大国主命とは天穂日命とその子孫である代々の後継者達の事であり大国主の国譲りとは天照大神が再び京都へと戻った際の出来事の事である。大国主にとっての天穂日命とは言うなれば先祖(霊)である。一方で他の五男神、特にニニギ命の先祖とされている天忍穂耳命(正勝吾勝勝速日天忍穂耳命)は、天照大神について愛知周辺地域を当初は統治し、また祭祀を司る天照大神に代わり内政などを担当していた。天照大神と天忍穂耳命の関係は言うなれば現在の天皇と総理大臣のようなものであり、また天忍穂耳命とその後継者である子孫達が所謂「ニギハヤヒ」である。ニギハヤヒは男の太陽神だとか或いは真の天照大神だ等と考えられている事があるがそれは天照大神に代わりこの国の政治を司っていた為である。ニギハヤヒもまた国譲りの際に近畿にその拠点を移している。またスサノヲが去った後、五男神の中の末子である熊野楠日命は、その名にあるとおり紀伊半島南部、熊野周辺を治めていた。(熊は隅の意で端の意味であるが、熊野という地名自体は元は熊野楠日命から来ている可能性がある。しかし残りの五男神の天津彦根神と活津彦根神については(五男神自体はすぐ近くの東近江に縁があるらしいとはいえ)別に彦根に縁があったという訳ではないようである。どうもある時代の彦根の権力者がどういう経緯でかこの神々の名に関する権利を得て後にヒコネの名に改名させたらしい。この二神も(或いは三女神も)何処かを治めていたと思われるが具体的な場所は不明である)当初熊野周辺を治めていた熊野楠日命(八島主命)は、しかし国譲りで天照大神が京都に戻られた事に伴ってニギハヤヒも拠点を近畿に移した為に交替するように東海地方に移り、そして後世のある時代においては富士山周辺地域を拠点としていた。
この頃、当時の中国である秦から徐福が大量の中国移民を引き連れて不老不死の薬を求めて日本へとやって来た。徐福はまず有明海から佐賀県に上陸し九州を回り、その過程で現在の鹿児島県の阿多と呼ばれていた地で神阿多都姫、後の木花咲耶姫と出会い、木花咲耶姫は徐福の一団に同行し共に日本を東へと進んだ。徐福の一団はやがて現在の静岡県へと到達し、そこで徐福は富士山を目撃してその美しさを見初め、ここに不老不死の妙薬があると啓示的に感じてこの地に居住する事を決め、その際にこの地を当時治めていた熊野楠日命の末裔である「ニニギ命」に許可を得ようとし、そしてすんなりと許可を得た。天孫ニニギ命は天忍押耳命の子孫とされているが本当は熊野楠日命(八島主命)の末裔であり、また天孫降臨の高千穂の峯とは現在の九州宮城県の高千穂ではなく富士山の事である。高千穂とは元々特定の地名を指す固有名詞ではない。高千穂の高は高い事を、千は八百万が実際に八百万ある訳ではなく数多くという意味である通り単に大きい事(ただ富士山は実際に三千(七百)メートルではあるが)を意味し、また穂は槍の穂先のように先端が綺麗に尖った様を示し(また「ホ」は火とも通じ火山である事も暗に示しているかもしれない)つまり高千穂の峰とは高く大きな山頂が綺麗に尖った山の事一般を指す「称え言葉」の一種であり、宮城県の高千穂は後にニニギ尊の子の彦火火出見尊が九州に渡った後にこの言葉を元につけられた地名である(宮崎の高千穂にニニギが降臨した訳では無いが、しかしこの名を与えられた通り高千穂は当時の重要拠点の一つではあったとは思われる)。九州に向かったのはニニギ命ではなく子の彦火火出見尊(日の出神)である。富士山から見て「日が向かう方向」にある国だから「日向」と呼んだ。すんなりと居住の許可を得た徐福はニニギへの礼として自らが連れてきた中で最も美しい女性(恐らくだが木花咲耶姫よりも美しかったと思われる)を嫁として薦め、また同時に自らの研究結果である「不老不死の研究(霊法)」をもニニギへと与えようとした。しかしこの世は魂の修行場でありこの世に生を受けたならば必ず死を迎えなければならないのがこの世界の理である。それを冒し肉体的に永遠の生命を得ようという徐福の研究は悪神の物であり、その為にニニギは徐福の研究成果も嫁も断り、代わりに一緒に来ていた木花咲耶姫を嫁に選んだ。
石長姫とはこの時の徐福の不老不死の研究の事でそれを嫁として薦めた女性に例えた事を指す。やがて富士周辺に定住した徐福達渡来人達は、しかし徐々に大陸気質が出始めて諍いはじめた。例えば現在でも日本にやって来た外国人達が日本の中で外国人同士で争いになってそれが時に殺人事件に発展する事が度々起こるようになってきているが、この時の渡来人達の諍いも基本的に渡来人同士の争いであり元々住んでいた縄文人達が対象になる事は少なかった。とはいえ争いは激化しやがて渡来人たちは様々な「派閥」を作って分裂し互いに反目し合うようになり、ニニギ命が治める地域はまるで家(国)が燃えているかのような激しいいがみ合いが常に起きている状態となった。そんな中で木花咲耶姫が妊娠する。木花咲耶姫が徐福達と共にこの地に来た事からその子が渡来人の子ではないかと俄かに噂が広まったが、しかしもし渡来人と自分が関係を持っていたなら必ず彼らの間で噂となり、そしてそんな自分が政治に首を突っ込み渡来人たちを治めようとしたなら必ずその相手とされる者のいる派閥と敵対する派閥の渡来人達によって攻撃されるだろうと木花咲耶姫は燃える家に留まり続けるように妊娠中も国を治める為の活動を続け、そして見事に無傷のまま出産、それを三人の子が生まれるまで繰り返した。そんな中富士山が噴火の徴候を見せる。国を乱した事で神の怒りに触れたのだと争いあっていた渡来人達も恐れおののく中、木花咲耶姫は富士山を鎮める為にニニギ尊や親しき者達に内密で富士山に登り火口へと身を投げた。(日本の古墳から実際に「殉葬」された遺体が見つかっていない通り、人身御供という行為は古代日本には無い。正神は生贄を求めずそれを求めるのは須らく悪神である為である。木花咲耶姫は恐らく徐福から古代中国の人身御供の話を聞き、その為に自ら進んで身を投げた。神は生贄を求めないがしかし他者が救われる事を信じて自らの命を捧げた者の祈りは通じる為に自ら進んで生贄になる場合は神の守護が働く事がある。しかし生贄となる事を「強制」した場合や、また追い込んで断り難くした状態で生贄になる事を了承させる等、生贄がその内心において世界などに対し深い恨みを抱いた状態で犠牲になった場合などはむしろその「逆」となる。特攻隊などもそれである。)火口付近に残っていた遺留品や人身御供の話、そして富士山の活動が治まった事などから、
木花咲耶姫が富士山に身を投げた事を知ったニニギ尊は大いに悲嘆に暮れ、またそれまで争い続けていた渡来人達も争う事を止めた。この徐福が連れてきた中国移民達が日本に入って来た最初の大規模な移民である。Y染色体のOは中国人の系統と書いたが、そのOの中でも中国にはおらずほぼ日本固有の系統(O2b1)が存在する。恐らくこの系統が徐福達最初の渡来人達が持っていた系統である(徐福が書いたと言われる古代世界の歴史が書かれている宮下文書、通称富士古文書は偽書とされているがしかし(竹内文書もそうだが)これには真実も書かれているらしく、宮下文書についてはそのオリジナルは本当に徐福、或いは徐福から漢字を教わったニニギ尊等が書いたものと推測される。しかし現存するものは元の原文そのままではなく、後世の者、特に恐らく国学が盛んとなった江戸時代で国学をかじった者などが当時の未熟な学術研究から来る不完全な知識から見ておかしいと思った部分を勝手に改変したり、また権威を求めて勝手に誇張したりしかなり変質してしまっていると推測される)。ニニギ尊はこの悲劇の原因である中国移民達のこれまでの様子から、技術が進歩し次々と海を越えてやってくるだろう彼ら移民達を放っておけばやがてこの国そのものがいつか完全に破壊されかねないという事に思い至った。しかし今は大人しくなっている渡来人達がまたいつ争い合いはじめるかもわからない中で自分がここを離れれば渡来人達を抑えられなくなる為にニニギ尊自体は動けず、代わりに子である彦火火出見尊が「移民が最初に入ってくる地」である九州へと向かい「移民達に対処する為の国造り」をはじめた。徐福は秦氏と同じ民族であったというが(万里の長城の奴隷民を引き連れて朝鮮半島に移った秦氏の祖先は、徐福が帰ってこなかった事からその責任を負わされ万里の長城建設の苦役に就かされていたのかもしれない)ここで彦火火出見尊が出会った海神も恐らく辰韓(辰国)の「同じ民族」であったと推測される。(秦氏の系統と思われるO2b1は秦氏がいた日本と朝鮮にしかほぼ無く、秦氏がこの系統の元の民族の一部と交わったというより元の民族全体が秦氏になったかのような分布になってしまっており、或いはユダヤは元々はJ系統だと上記では書いたが失われた支族の中には元々アラビア半島以外からやってきた一族がいて、秦氏も元からO2b1であった可能性がある。)
彦火火出見は彼らと邂逅し彼らの協力を得る事(移民達と交わり、その力(悪性も含む)を取り込む事でそれを利用し自らその悪性を「外国流のやり方」で直接制御する「悪を以って悪を制す」やり事)を選択、彼らの技術を得た事もあって一気に九州で勢力を伸ばし、子のウガヤフキアエズ尊の代で九州をほぼ掌握(ウガヤフキアエズ朝などが考えられているが、ウガヤフキアエズ尊は恐らく一代、多くて二、三代程度である)、孫の神武天皇の代で九州での国造りは一旦の完成を見せた。神武天皇はしかし尚増え続ける移民に対し九州だけではなく日本全体で移民に対処できるようにならなければならないと感じ、啓示を受け日本の中心地である近畿へと東征をはじめた。ここで神武天皇は最初に大阪側から攻めようとして失敗して敗走し「熊野」へと回り、そこでヤタガラスの協力を得て反対の奈良側から攻めた事で優勢となり、ニギハヤヒとの交渉の際にはスサノヲからその子供達に与えられその後継者である子孫達にそれぞれ代々受け継がれ続けてきた「天津瑞」(恐らく実体は無く、また現在では失われていると推測される)を神武天皇が見せた事でニギハヤヒは神武が紛れも無くスサノヲの子孫であり、またこの東征も神意であると判断、その代の天照大神へと判断を仰ぎ結果天照と共に神武に国を譲る事を決めた。しかしこの際にニギハヤヒの部下の長髄彦が、代々国政を司ってきたニギハヤヒの天忍穂耳命の系統ではなく、また代々出雲を統治している天穂日命の系統ですらない熊野楠日命の系統の者に国を譲るなど認められないと強く反対し、ニギハヤヒによって殺された(実際には役職を解かれ追放された程度(社会的に殺された)と思われる)。これを受けて民の余計な反発を避ける為に神武天皇、及びその祖であるニニギ尊は熊野楠日命ではなく天忍穂耳命の子孫であるという事にされた。籠神社の海部氏系図は漢字で書かれている通り漢字の伝来(一般普及)後にこの時に捏造され流布された系統を元に書かれたものである。また神武への国譲りの際にその代の天照大神が神武と結婚し、神武の地位を確固たるものとした。天照の女系は神武と結婚後も祭祀を代々担当していたが、恐らく崇神天皇の時代の伊勢神宮への遷宮の際にその任を解かれている。神武天皇から崇神天皇の間の歴代天皇は実在しないと現在では考えられていて欠史八代などと言われているが実在している。しかし記紀の記述にあるような人間離れした長寿ではなく、
長寿ではあったがあくまで現在の長寿の方ぐらいの寿命である。またその記述が極端に少ないのは開化天皇のように時節が来るまでは秘しておくべきだった事績を行なっていた為というような場合もあるが、基本的にそれまで通りの縄文的な暮らしを送れる程に平和だった為である。しかし時代を経る毎に移民とその子孫達の数が増えると共に徐々にその悪性が露呈しはじめ、また崇神天皇の時代についに大量生産出来る金属精製技術と鍛冶技術が流入する兆しが見えた事などから、崇神天皇は各方面において悪で悪を抑える為の悪的改革に一気に踏み切った。「本当の歴史」の大部分もまた、恐らく大化の改新のはるか以前のこの時には既に失われていたと推測される。

ここまで書いた通り、天皇家の直接の祖はスサノヲである。繰り返すが上記の歴史観はあくまで私個人の考えであり、固執するつもりは無い。真の歴史など学術的に解明される事など無いだろうが、しかし神話や伝承を読み解く事で、またそれと発掘事実などを摺り合わせる事などで新しい発見や辿り着ける事実がある事は確かにあり、これはその(反面教師という意味も含めた)一つの例である。また記紀などの神典にこのような真の歴史的な意味が隠れていたとして、それはあくまで神典に込められた複数の意味の内の一つでしかなく、一つの記述においてある歴史上の出来事を示しているとしてそれのみでなく同時にその記述が別の場所や時代での別の歴史上の出来事や、また霊界の出来事、或いは訓戒的、哲学的、またあらゆる比喩的な意味や予言的な意味、更には俗的な意味や個々人のみにおいての個別的な意味なども含め諸々が併せて隠されている事が多々あり、神典の解釈については一つの意味にのみ拘るべきではない。

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32田布施 蟻巣 2019/12/30 05:52
また天照大神の近くにいながら悪心を抱えスサノヲに罪を着せる事で秘めた欲望を発散した上で罰を免れようとした者や単にスサノヲが気に食わず貶めようとした者、またはスサノヲの追撃を警戒したオロチョンの斥候が天照との間の対立工作や単に自身の欲の発散の為に行なった事であり、スサノヲの罪は全て濡れ衣である。しかしスサノヲはそれらを明かす事による民の不安や国の混乱、一度は改心した部下や一度は分かり合った人々が処罰を受ける事への心苦しさ、また自分が来た為にこれら諸々の凶事が起こった事に対しての罪悪感や更に八岐大蛇を追う事が長引く事を憂慮してなどの諸々の理由から全ての罪を背負って天照大神の国を追放される形で離れ、八岐大蛇に勘付かれるのを恐れ海路を進み安来湾(美保湾)から上陸、八岐大蛇のいる伯耆大山へと向かう。女装し酒に酔わせて騙し討ち云々というのは本当にやったのかはわからないが(どうやら本当にやったようですが)そのままではまた逃げられるので何らかの不意をついた形ではあったと思われるがスサノヲは八岐大蛇と直接接触し、やはり本当に殺したのか単に説得し帰順させただけか或いは両方かは定かではないがスサノヲは八岐大蛇たるオロチョン族達を伯耆大山にて完全に無力化する事に成功する(日野川は元は血の川と書いたがこの血とは八岐大蛇の血であるという。しかしこれだけでは八岐大蛇はスサノヲが殺したのかスサノヲに帰順した者と反対した者との間で同士討ちが起こって死んだのかそれとも恨みを抱いていた周辺住人達によって殺されたのかまでは判らないが、私は恐らくオロチョン達はスサノヲ以外の者達の手によって、それも殆どが同士討ちによって死んだのではないかと思っている)。その際、八岐大蛇の頭達に連れて来られて使われていた「尾」たる部下の中に、スサノヲの持っていた「霊的権能」の一部についてそれを超える権能を持つオロチョンの者がいた。この霊的権能が所謂「草薙の剣」の事である。「剣」と喩えられる通りにその権能は恐らく「外敵を退け」また(精神的な意味で)「倒す」ものであり、また「科学のメスを入れる」という言葉がある通り物事の性質を「切り分けて」分析し、物事の道理を「判別」する「智慧」を司る権能であると推測され、スサノヲは元々「天之羽々斬」という剣で喩えられる優れた権能を持っていたが、
これはしかし比較的乱世とは言え基本的に平和で変化の少ない縄文時代の日本で伝えられていたものであり、一方でこの尾のオロチョンの者が持っていた権能は争いの絶えない大陸で多くの者達が互いに霊的な面も含むあらゆる面で出し抜こうとし続け諍い合い争い合う中で(恐らくC1a1がC2に残した権能が)「鍛えられて」出来たものであり、それ故にスサノヲの元々持っていた権能を一部超えていた。これが天之羽々斬が草薙剣に当たり一部欠けた事に相応している。(俄かには信じ難い話だが、スサノヲの持つ天之羽々斬は本当に金属剣であったという。金属精製と鍛冶技術の伝来前に鍛冶の神である天目一箇神(に相応する人物)がオーバーテクノロジー的な固有の技術で少数ながら造っていて、統治者や限られた者のみが手に出来故に原始的武器に対して絶大でまたその為民への威圧効果も絶大だったいう。しかし弓矢がまだ無くても投槍と投石がありそもそも金属剣でも石(石器)は切れずまた金属武器が他に無いなら多対一の戦闘では壊れた武器を捨て相手の武器を利用する事も出来ない。酔いつぶれ寝ている中での不意打ちだとしても単なる剣一つでは直接戦闘で戦闘集団を鎮圧出来たとは思えず、そもそも量産化されていないという事は技術ノウハウが限られた小数のみにしか伝わっておらず発見と発想の差から技術的拡がりも小さくなりそんな中で多人数斬りに耐え切る強度の剣を造れたかも疑問であり、大蛇退治でも「頭」は兎も角「全身」を斬るには不十分であったと思われる。当時金属剣があったとしてその主たる用法はやはり相手を怯ませ服従させる霊的権能の「媒体」(心理的効果含む)としての機能(祭祀用の剣)と見るのがやはり妥当と思われる。また草薙剣については「頭」ではなく「尾」から出てきた事から「部下」が持っていたという事になり金属剣が殆ど統治者しか持っていなかったという事とも食い違う為やはり元が金属剣だったとは考え難くなる。優れた武芸者の為に持たせていたとも考えられるが、しかしそれならまず「頭」からも(それも複数)草薙剣相当の剣が出てくるはずである。)
この草薙剣の権能が具体的にどういうものかは判らないが、恐らく「帰神」、所謂「神懸かり」に関する法がそこには含まれていたと推測される(神懸かりとなった人間の「雰囲気」は異様であり呑まれた者は攻撃する意思を失い易く、また神懸かりの者は本来なら知りえない筈の知識まで話す事がよくあり、外敵を退け倒しまた智慧を司る剣の喩えと似通った部分がある。尚、これは神懸かりの法がそれまでの日本に無かったという訳ではなく、より優れたやり方だったという意味である)。果たしてこの「尾」の者を直接送ったのか、それともこの者から草薙剣たる法を伝えられたスサノヲがこの法を更に伝えだけなのかどちらなのかは判らないが、スサノヲは天照大神に草薙剣を献上した事で罪を許され、また出雲(伯耆大山と現在の出雲も含む)の地を与えられスサノヲは自身が救った奇稲田姫を嫁に貰い須賀の宮で暮らしながら天照大神の国の為に尽力した。三貴神の中の月読命とはスサノヲの事であるが、この頃のスサノヲはそれまでの活動とは一転して民のトラブルを解決したり仲裁したりする役割に主に就いていたと思われ、民もスサノヲに頼る事が多くなりその人望は天照大神に匹敵する程になっていた。その為天照大神と比較して表と裏、昼と夜、太陽と月と喩えられるようになっていた事もあったのか以前とは全く異なるこの頃のスサノヲをして元々月と縁深い事もあり、また先読み(予言)や物事の本質を読む事にも長けていた事から特別に別けて「月読命」と称え表現した等と推測される。やがて自らの子達がそれぞれの地域を治められる程に成長すると、スサノヲは八岐大蛇がやって来た地へと向かい海を越えて朝鮮半島に渡り、その際に後に新羅と呼ばれる地域の「ソシモリ」と呼ばれる地も訪れ、ここをしばらくの拠点に朝鮮半島内でその地域の民の為の活動を行なった。(これは所謂朝鮮の壇君の伝説が示す出来事とは別の話である)更に荒唐無稽な話は続くが、スサノヲは朝鮮に留まらず満州蒙古に進みそこでも活動した後、そのままシルクロードを西進しやがてコーカサス山脈周辺まで辿り着く。そこでかつてのDの国にいた「G系統の一族」の末裔達とスサノヲは邂逅し、彼らに自らの持つ知識の一部を与え、また自らの霊の一部(息吹)も与えて彼らの霊と混ぜ合わせ、彼らの霊性を造り変えた(この頃のスサノヲは年もかなり寄りよく想像される「仙人」ような外見になっていたと思われる)。
スサノヲとの接触でG系統の一族の「知能」はそれ以前とは明確に変化し数代の内にそれまでの文化水準とはかけ離れた知識を得、やがて彼らは「シュメール人」となって近代科学文明の直接の祖とも言えるメソポタミア文明を築き上げた。シュメール人達はある時歴史上から突如として姿を消すが、それは彼らが基本的に神の啓示に従って行動していた為であり、役目を終えた彼らは文明を捨てて元のコーカサス地方周辺や「サルディニア島」へと移り住んで目立たぬよう静かに暮らすようになった。Y染色体G系統の人々、特にサルディニア島の人々はシュメール人の直接の末裔であると私は思っている。生命体を構成するたんぱく質、その原料たるアミノ酸にはその構造を鏡写しにした左右逆の対が存在し、通常の化学反応ではその左右、左手系と右手系の両方が精製される。しかし生命に使われるアミノ酸は何故か殆ど左手系のみである。このアミノ酸の左右をどちらか一方に偏らせる為には「円偏光」という特殊な性質の光の中でアミノ酸が生成される必要があり、「オリオン座」の三ツ星のすぐ下にある大星雲(M42)ではこのアミノ酸を左手系に傾かせる円偏光が太陽系の四百倍以上もの範囲に渡って広がっているという。宗教は勿論そうだがオカルトやスピリチュアルも人々にデタラメを吹き込んで騙して儲けようとして作った作り話は多数存在しており、しかしこういう者は悪魔に使われているのだからそのデタラメの中でも無意識の内に善の神とそれに属するものを悪だと設定しがちである。宇宙人はいるが霊的存在であり物質的には地球人以外存在していない。アメリカが宇宙人の存在を仄めかすのは人々がいざ超常的現象に遭遇した等によって信仰心を持ち始めた際、神に代わる存在として宇宙人を刷り込む事で信仰に至る事を妨げるのに役立つからである。我々炭素生命が自然発生する確率の低さは上記で述べたが、SF等でよく述べられる架空の生命である珪素生命についても自然発生する確率は我々炭素生命が自然発生する確率よりも更に低いという。スサノヲは旅立つ前に髪や爪などを残し、それを用いて天之羽々斬と共に岡山県赤磐の熊山に埋めてスサノヲの墓がそこに造られたが、また熊山にはスサノヲの遺骸も埋められているという話であり、この時代にかなりの年と思われる中で驚異的ながらスサノヲはこの後コーカサス地方から日本まで戻ってきた可能性がある。
(ここまでオロチョン族はじめC2系統の人々を八岐大蛇として悪く書いているが、しかしモンゴルなども含めC2系統の民族は基本的に世界で日本人に次ぐ位に(語弊があるが)善良な民族である。しかし現代ではどうかは判らないが彼らには「蒙古気質」というものがあり、これは最初に強く信用し従うと決めた相手が例え後に極悪人に豹変しても裏切らずに従い続けるというような気質で、八岐大蛇の尾たる部下達の大半は最初に「頭」である例外的な極悪人たちの偽善に騙されその本性が明らかとなった後も蒙古気質の為に離れられずついていき続けた為に悪化してしまった人々であると推測される。モンゴル帝国の時も概ねこの通りと思われるが、しかしチンギスハンやフビライハンについては滅ぼした敵国の女性を犯しまくったという話は嘘である(少なくとも誇張はされている)と思っている。この話は一次史料ではなく「モンゴル帝国史」という「イスラム教」であるオスマン帝国の外交官が書いた「小説」が元であり、この話は作者がこの小説を書くに当たってモンゴル帝国の皇帝達もまたイスラムの王達のように侵略した地の女性達を犯す事を愉しみにしていたのだろうという想像によって書かれた物であると私は思っている。女性というものは強かなものである。もしもチンギスやフビライの子を強姦の末に身篭った女性達が複数いたなら、そんな女性達の中には例え憎しみに燃えていても、いや憎しみに燃えているからこそあえて子を産みその子を使い憎む相手に取り入ってその「懐」に深く潜り込もうとする、或いは辱められた屈辱を自ら晒してまで皇帝の子という権威を使いその地域で権力を得よう等する女性達は(特に女性が元王族などなら尚更)数多く現われたはずであるし、皇帝がそんな婚外子まみれだったらモンゴル帝国は40代も存続せず下手をすればフビライの孫の代あたりで内乱塗れになって滅んでいたように私には思われる。モンゴル兵達が殺しまくった事は事実であり、また征服地で強姦などもしていたとは思われるが、しかし東欧などのモンゴル人由来の遺伝子の拡散はこのモンゴル兵達の陵辱によって起こった訳では無く元々遊牧民で定住民族より他国へ移住しやすい故にモンゴル人がモンゴルから周辺地域へと(ただし中国等敵対する国は避けて)頻繁に移り住む事がありそれが主な原因であると私は思っている。でなければ元時代に最も陵辱されていたはずの中国人達にC2が殆どいない事が謎である。
 また蒙古気質以外にもモンゴル人などは元々騎馬民族であり騎馬で戦う民族であった為に、馬や、のみならず車などの「乗り物」に乗っても気性が荒くなり易いようである。また、八岐大蛇は縄文時代の現実世界での出来事においては当時日本に上陸したオロチョン族達の事を指すが、これはあくまで八岐大蛇として表現されている複数の存在の内の一つの意味でしかなく、根本的な意味において八岐大蛇とは主としてこの人間世界全体に普遍的とも言えるほどに遍在する大悪霊の内の一つの事を指している。)

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31田布施 蟻巣 2019/12/30 05:52
Dの国が崩壊した後、Dの一族を追い出しその国に留まろうと(乗っ取ろうと)した全ての一族は混乱状態に陥り以後その文化と信仰(と一部は言語も)は長い間失われたと推測される。現在のユダヤ教は、シュメール神話やゾロアスター教、そしてエジプトのアトン信仰などの影響を受けて発祥したと考えられておりそれは一部事実だろうが、しかしその「大本」はそれ以前にあった更に古い信仰であり、現在のユダヤ教はその(一部の)「復古」である。そしてそれはシュメール神話やゾロアスター教やその他各地の神話伝承から「逆算」されたものではなく、モーセをはじめ初期のユダヤ教預言者達に断片的に、または元の形から変形した形ではあるが直接「啓示」として「与えられた知識」から発祥している。そしてこの「霊的啓示」からはじまったユダヤ教はシュメール神話やゾロアスターやアトン信仰等より恐らく「原型」に近いものだが、しかし現在のユダヤ教の教えには、クルアーン(旧約聖書)の時点で既に(一時的に必要である等の理由から神により意図的に放置され、また無害な解釈も出来るものだが)悪神(悪魔)の教えが多数混在している(ユダヤの過越の祭り等も恐らくそうではないかと私は思っている。ただしこれはモーセはじめユダヤ教の聖人達が神ではなく悪魔に使われていたと言っている訳では決して無い。残酷な行為も諸々の事情から避け難い為に真の神が命じた物も確かにあり、また教えには後に「歪められた」ものも多い)。そして秦氏を通してユダヤの影響を受けた日本(と奈良時代以降の本州からの移民が多数やって来た琉球)の神道や伝統文化にもその悪神の教えが多数混在しており、上記の蘇民将来の話(祇園関連)や節分の豆撒き等はそれに当たる。釈迦が興した仏教が釈迦が元いたバラモン教の教えを聖典とせずほぼ完全に捨て去った事とは対照的に、
ユダヤ人であるナザレのイエスが興したキリスト教は旧約聖書も聖典としあくまでユダヤ教の一宗派として発生したが、イエスが旧約聖書を否定しなかったのはユダヤ人達にイエスがその教えをより広く浸透させる必要があった為というのがその重大な理由の内の一つであったと私は見ている。後年の事を見るならば、釈迦がいたインドは歴史的発見なども数多くありまた世界史におけるその影響も決して無視できる程小さくは無いが、しかしカースト制度の影響かその巨大さの割に欧州やアメリカは勿論中国に比しても世界全体に対するその社会制度的、科学技術的、世界情勢的な影響と言うのは(「陰土(インド)」と書ける事もあってか)かなり限定的、悪く言えば「パッとしない」ものであり、対してキリスト教の広まったヨーロッパはその後の世界への影響を見れば説明するまでも無く絶大なものであり、そこに浸透したキリスト教の世界への影響も釈迦が興した仏教より遥かに大きい。イエスが旧約聖書を否定しなかったのは後に白人達に多大な影響を与える(人種的)ユダヤ人達になるべく多く教えを浸透させ、それによって白人達の、その後の世界への「悪影響」を極力抑えまた後の世界の動きを「制御」する為であったと私は思っている。対して釈迦についてはバラモンを否定しまた一方で当初は悟りを開いてもそれを積極的に人々に広めようとはしなかったが、これは後のインドの世界への影響がそれほど大きくなく、釈迦が自らの教えをインド人達にあまり広める必要を感じなかった為と見る事も出来る(しかしインドでは廃れても仏教は後に中国や日本などに多大な影響を与える為、釈迦は一転して布教に励み出したとも)。もし、イエスが処刑される事無くその教えを当時のユダヤ人達に十分と言える程浸透させる事が出来た場合、イエスは釈迦のように旧約聖書を(完全にではなくとも)否定していたのではないかと私は思っている。(一方でムハンマドが旧約聖書を否定しなかったのはムハンマドがイスラムを直接広める対象もユダヤ人達であった為というのは勿論あるが、それ以上にユダヤと対立する運命にあったイスラムが旧約聖書を否定するとイスラムとユダヤの和解がし難くなる為というのもあったと私は見ている。)

上記の歴史観等はあくまで私の個人的な考えであり、私は別にこの考えに固執するつもりは無い。もし現実にこれに対する反証となる新たな事実などが私のアンテナに引っかかりそれが確かだと思えたなら、私は容易く自説を翻す。また、例えばY染色体を調べてみて縄文人固有の型であったとして、それは男系でほぼ確実に継がれるから残っているだけであり、それ以外のもっと重要な、個人の能力や精神に関する遺伝子なども含めた他の遺伝子の大部分は現代日本人は既に殆ど縄文人由来の物を失い、遺伝子の大半はもはや中国人、朝鮮人と殆ど同じものになっているという話であり、また更に広い目で見れば人間とチンパンジーの遺伝子も殆ど一致するという話であるのだから、縄文由来の遺伝子を持っていたとしてそこにアイデンティティを抱くのは勝手ですが、それを以って自分こそが縄文人の血を強く受け継いでいる特別な存在だなどと考えるのは愚かとしか言えず、またそれを以って他者を見下し特別扱いを求めるのはむしろ縄文人の精神性からはかけ離れていると言える。また文化についても神道や日本の文化はユダヤの更なる源流であり特別だなどと思っても今の日本の文化は勿論神道についてももはや縄文の頃の物とは変質しかけ離れたものとなっているだろう為、そこに他の教えには無い特別な力を期待しても殆どが期待はずれに終わる事だろう。縄文の頃の信仰には(制限が多く「誇示する事」などできなかったが)確かな力があった。しかし縄文の信仰(と文化と歴史)の大半は、必要最低限を除いて崇神天皇の手によって失われた。それは幾つか複数の理由からと思われるが、その内の一つは「罰を防ぐ為」である。その頃には日本人が時代を経る毎に悪化していく事はもはや明白だったが、同じ罪を犯すにしても悪いと知りながら罪を犯す事と、悪い事とは知らずに罪を犯す事のどちらの方が罪が軽いかという話である。

更に怪しい話は続くが、時代は不明だが恐らく縄文海進が進んで大阪平野が海に沈みはじめ、また植生の変化などもあってか関東地方の人口が急速に増え始めるなど本州全体の人口分布に大幅に変化が起き始めた縄文早期から中期にかけての時期に、具体的な戦争行為にまで発展していたかは分からないが各集落間での対立が強まり、またそれまでの男系王族の求心力が(恐らくそれまでの住処を追われる海進が止まらない事や海水面の上昇と温暖化に伴い激化した台風等の災害等を主な理由に)失われ縄文人達は日本全体としての「まとまり」を欠いた状態に陥った。この(災害が多く)ギスギスした時代において当時の縄文人達は自分達を纏め得る新たな王を探し続け王を何度も変えながら最終的に富士山周辺を拠点として女王が誕生し、以後「天照大神」であるこの女王とその女系子孫達が縄文人達を統治する事となる。(ここで言う天照大神とはあくまで縄文時代の物質世界の日本の歴代女王たちの意味であり、神典における天照大神が示す意味とは無論ここでの意味だけに留まらず、霊的世界における意味も含め複数の意味を含有している)この天照大神の女系は初代こそ富士にいたがそれから数代の間に伊勢に移り、その更に後に元の縄文人達の中心地である京都周辺地域に移る。天照大神が何故王として認められたかは恐らく主に関東地域(関東平野)の人口増に伴う食料問題を解決した等の理由からであると思われる。(関東に多い落葉樹林は関西に多い照葉樹林より実を多く取れるがしかしその植生は偏りが大きくここから食料を得るとごく限られた種類に依存しがちになり、その限られた種類が不作となると食料豊富な状態から一転して一気に飢饉に発展し易いという。天照大神(初代)はこの飢饉に対する対策としての保存食の造り方を普及させたり植生の違う集落間を和解させ集落間で供給網を敷き不作の際に助けあう関係を築かせるなどしたのかもしれない。また関東平野で多く縄文人の遺体が見つかっているのはこの飢饉によって一度に多くの人が死に、遺体の多さから自然に還元する葬送が出来ずやむなく一所に集めて墓に埋める事が度々あった為というのもあるかもしれません。)天照大神の出現は恐らく関東の縄文人達の人口がピークに達する前であり、ピークに達した頃には既に天照大神は近畿に移っていたと推測される。
一方そのすぐ後の時代においてモンゴルや満州で「オロチョン族」(現在のオロチョン族の祖先というよりモンゴル満州からロシア北東部周辺にかけてのC2男系を持つツングース民族達の内の幾つかの民族の祖先たちの混成集団と思われる)が侵略的に勢力を伸ばし、その中の一団(或いは全部)が朝鮮半島から海を渡り現在の石川県(加賀国)、恐らく小松周辺に上陸し元いた地域の寒冷な気候に近い地域を求めてか各地の縄文人達を襲いながら北進し新潟(高志国北端)を経由し最終的に群馬県の「榛名山」周辺地域に拠点を構え、そこで周辺の縄文人達を度々苦しめていた。一方そこから地理的に近い現在の長野県松代、皆神山周辺地域では、何代かは不明、恐らく初代の天照大神の弟の男系子孫である一族がその地域を治めていたが、その跡取りの男が群馬に巣食っていたオロチョン族の女性と恋に落ちて駆け落ちしたがオロチョン族に殺され、最終的にその女性が遺した男の赤子だけがかろうじて皆神山に連れ戻され跡取りとして育てられた。その子は成長すると父母の仇であるオロチョン族達を群馬から追い出す事に成功し、オロチョン族達は高志の国を戻り今度は加賀を南進し天照大神のいる近畿圏の縄文人達の中心地近く(大江山)に一時的に拠点を構えたが劣勢と見てすぐにこの場を捨て、追っ手を警戒し海に出てもっと人が少なく好き勝手出来る場所を求めて西進し現在の鳥取県米子の境港に上陸、伯耆大山周辺に居を構え、そこでもまた現地の人々を苦しめ続けた。このオロチョン族というのが縄文時代の物質世界という意味においての所謂「八岐大蛇」であり、そして皆神山の統治者とオロチョン族の女性との間に生まれた赤子が同意味においての「スサノヲ」である。オロチ退治の出雲は現在の出雲大社のある島根ではなく元は雲が常に出ている山である伯耆大山周辺を指しており、日野川も元は血の川である。スサノヲの八岐大蛇退治の神話は金属剣である草薙剣の存在から金属器伝来後の事と今では考えられ八岐大蛇は暴れ川の事でありその退治と草薙剣の入手は川の制御と製鉄技術の獲得だなどと言われているが誤りであり、スサノヲの八岐大蛇退治は縄文時代の事でありまた金属器と(大規模な)金属精製と鍛冶技術の伝来は崇神天皇の時代前後の事である。草薙剣をはじめ三種の神器は元は(「寄り代」はあっただろうが)「実体」を持たず三種の神器が「丈夫で長く保存できる」金属器に移されたのは崇神天皇の時代の事であり、
剣や玉や鏡とはその権能の喩えである。崇神天皇は太古の信仰にあった「力」を失わせ、またそれまでと異なり軍によって暴力で民を鎮圧し税を以って民から財を奪うようにし、また戸籍によって民を厳密に管理しようと決断したその最大の理由の一つは恐らく金属精製、加工技術の伝来(の予兆)である。金属器は容易に民に力を与える上に加工技術を得たこの時代ならば量産も容易で、手にした者達が欲望のままに奪い殺す事を容易く実現できるこの武器が現われた中、性質が悪化し続ける民達をこれまでのように人々の善意のみを頼りに緩く統治していては必ず国が大きく乱れ夥しい血と穢れが齎され、更に多くの「秘法」が失われまた穢され(天罰的に)「取り返しのつかない」より破滅的な事態を招く事になる等の理由の為である。故に崇神天皇は三種の神器など「国を維持する為の必要最低限」のみを残して太古の秘法を隠し(失わせ)、また民を力と財(金)によって統治するよう方法を取られる事となった。無形の霊は、それを見る者が穢れれば、特に神聖な霊には見る事も触れる(干渉する)事も出来なくなり、故に三種の神器は無形のままならば容易く失われていたが、具体的物質に移せば例えどれだけ穢れようと見えなくなる事はなく無形であるより遥かに失われ難くなる。スサノヲに話を戻すと八岐大蛇であるオロチョン族達が群馬から逃げ近畿に向かうのを受けて、スサノヲもそれを追って近畿へと向かった。スサノヲが天照大神と邂逅するのはこの時で、この時天照大神がスサノヲを疑って共に琵琶湖周辺(恐らく東近江周辺や竹生島)で行なった天の安河の誓約では実際に天照大神とスサノヲが子を成した訳ではなく、互いに連れていた部下(スサノヲ側は三女神に相応する三人の女性、天照側は五男神に相応する五人の男性)をそれぞれ相手に部下として仕えさせて彼らの性質や言動や仕草等を以って相手が信用に足るかどうかを判断した事であると推測される(ただしこの時とは別にスサノヲの本当の子としての五男神と三女神も後に生まれている)。結果として信用を受けたスサノヲはしかし記紀ではその後暴れ回り結果天照大神が岩戸に引きこもる事になるが、しかしこれは濡れ衣で本当は記紀に挙げられた罪はスサノヲが行なった事ではなく、スサノヲが連れてきた部下の中でオロチョン族から帰順した後に変心を起こした者や、

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30田布施 蟻巣 2019/12/30 05:51
Y染色体の型で最も古いとされるAとBはほぼアフリカのみに存在する系統であり次に古い「C」(正確にはCとDの共通祖先)が現生人類(ホモサピエンス)ではじめて出アフリカを果たし、またアフリカ以外の全ての現人類の祖先となった系統であり同時にアフリカ以外の全ての文化と信仰と言語の「原型」を持っていた系統である(或いはAB系統より新しい系統であるEやRなども古代からアフリカにいたように現在のアフリカ原住民が持っていた文化や宗教や言語の殆どはアフリカへの「逆輸入」によってもたらされたものが由来である可能性もある)。そして日本固有のC1a1はこのC系統の中でも「特に古い型」である。(これは根拠の薄い個人的な考えだが、出アフリカ以前にも現生人類は簡単な単語や幾つかのジェスチャー、また死者や自然の背後に存在する「見えない存在」である「霊」の認識やそれと交流しようとする体系化されていない即興的な儀式的行動、また獲物の歯や骨や毛などや又は植物などで衣服に簡単な装飾を施したり石器に意向を凝らす程度の事はしていたと思われるが、しかし簡単な文法規則を幾つか持つ「体系化された言語」を初めて持ち、また初めて「創造主、主宰者としての神」を認識し宗教と「社会規範としての法」を初めて結び付け、また衣食住や遊びの為の行動の延長ではない表現する事自体を目的とした「芸術」を初めて始めたのはこの初めて出アフリカを果たしたC系統の一族であった(それらを編み出した者(王)が一族の中にいて、同時にそれが普及しえた)と私は思っている。しかしゴリラやチンパンジーが手話を使ったり絵を描くようにアフリカにいた頃の人類にも体系化された言語や芸術位あっておかしく無いように思えるが、しかしゴリラやチンパンジー等の場合は野生(群れの中での権力闘争も含む)から切り離され更に高度な言語を操る人間が傍にいて言葉や手話などを「教えられ」、また絵を描く事だけを目的に造られた「道具などを与えられて」初めてそれだけの学習や表現が出来るのであり、そして教えられて理解できる事や与えられて出来る事と誰にも教えられず何も与えられない中で自ら発見し編み出す事の間には巨大な断絶が存在している。体系化された言語と芸術は出アフリカを果たすだけの知能と社会性と余裕が無ければ辿り着けなかったと私は思っている。しかしネアンデルタール人等についてはどうかと言われると声帯の発達の関係等位しか言えない程度に説明に困るが)
やはりここからも信憑性の薄い話が続くが、出アフリカを果たしたC系統の一族は当初、数万年(散発的に出ていた者達もC系統だったなら数十万年)程は世界に拡がらず、ある程度まとまったままアラビア半島を経由して後に「スサ」や「バビロニア」等と呼ばれる地域周辺(更に後にペルシャなどが出来る現在のイラン西部周辺)に定着した。恐らくこの「スサ」周辺にいた頃のC系統の人々の暮らしは、一族全体に同族としての帰属意識はあり全体を纏める「王」や王族はいただろうがしかし基本的に個々の集落で自活し他の集落とは深く関わらないモンゴルの遊牧民的な生活形態に近い暮らしをしていたと推測される。一方でC系統と早くから分離したD系統とE系統の共通祖先とC系統の一部が西進、C1a2はトルコを抜けてヨーロッパへ、Eはシナイ半島を戻り北アフリカ沿岸部へ、そしてDはコーカサス山脈以南、現在のアルメニアやグルジア(ジョージア)あたりから恐らくアラビア半島北部辺りまでの何れかの範囲に拡がり、そこでD系統の一族はC系統の国よりも集落間の繋がりが強く、また民が王に物品を捧げ、それを用いて王が施しが必要な民に施しを与え、それを「常に」、「継続的に行ない続ける」という明確に「国」と呼べる最も原始的な集団を史上はじめて興した。国常立。(またこの国は途中(下手をすれば建国者の娘である次代から)で女王が統治するようになり王権が女系で継がれた時期もあったと推測される)。しかしD系統の一族の中からこの生活に窮屈さを感じてかこの国を離れる者達が現れ、彼らは東進しCの国を抜けてインド周辺で暮らし始めた。しかしD1aのグループ(D系統としては彼らの方が早くに出現した一族である)は後にやってきた現在のインド人の祖に追われ一方はヒマラヤもう一方はインド洋の島に逃れた。またDの一部がインドに向かう以前、Cの中からも東進するグループが現れ彼らはインドを通り抜け東南アジアやオーストラリア、オセアニアの島々に定着しアボリジニや東南アジアやオセアニアの原住民となった(同時期、血縁が近い他の一族もアラビアやロシアなどに向かっている)。更に時代を経るとCから派生したFから派生したG系統の一族などもDの国に加わるが、しかし異なる一族同士共存し他の一族との間の婚姻も頻繁にあっても同化する事は無く男子が婿として他の一族に入る事はほぼ皆無であり、一族(男系)としての垣根はこのD系統の国では維持され続けた。
やがてCの国はしかし人が増えて様々な一族(男系)が増え、Cの王に従わず敵対する一族が増えた事で元々の一族であるC1a1の一族は全体で中央アジア方面へと逃れた。しかしここも別の一族が入ってきた事で再び東進するという事を繰り返し、最終的にバイカル湖周辺で派生したC2の一族を避けて(或いは追われて)彼らの一部は東南アジア方面を目指し、そこで今度はO系統の一族を避けて台湾に渡り、また残りの大半は樺太へと渡った。台湾に渡ったグループは大陸から近いことからOの一族の侵入を危惧して台湾を「緩衝地」として捨てて南西諸島に渡り、恐らくこれが日本列島にはじめて辿りついた現生人類の祖先である。また一方で樺太へ渡ったグループはそのまま北海道に渡ったがC2の一族の樺太への侵入を受けて北海道を同じく「緩衝地」として捨てて本州まで逃れ、そのまま本州から日本全土に拡がり、最終的に淡路島と四国に辿りつきそこでC1a1の王は居を構えた(また北から入ったグループはその後のC2の一族の侵入をいち早く察知して伝達する為に本州北端の青森に多く留まったとも。また恐らく四国近畿より先、九州から更に南西諸島まで南下した者達もいたが彼らは奄美諸島にて南進したグループと合流し台湾までは進まなかった)。一方でD1bの国も様々な一族が増えた事で次第に不安定になり、恐らく最終的にアラビア半島で勢力を増した「J系統」の一族によって国を乱されて追われ、各地で他の一族に追われながらインド中国を経て南進したC1a1のグループと同様に台湾を緩衝地として捨てて南西諸島に入り、そこで定着していた「自分達と殆ど同じ言語と信仰」を持つC1a1の小集団と出会う。D1bの一部はそこにいたC1a1から逃れる事無く留まって共存し南西諸島に定着するが、残りの大部分はそのまま北上して九州から本州に到り、やがて淡路島と四国へと辿り着きそこでC1a1の国に辿り着き、D1bの王は近畿に居を構えた(この時はまだD1bの国の王は天照大神の女系ではない)。また本州に広がり北上した集団の一部は青森でもC1a1の集団と出会い、恐らく彼らとも婚姻はしたが一族の区別はあり続け、やがてアイヌの先祖達が北海道に渡る決意をしても青森のC1a1の一族は「C2の一族の伝承」から共に北海道に行く事を断った為アイヌにC1a1が発見されていないのだとも推測される。
(東北アイヌについてはその後北海道から本州に戻って来た者達、或いは北海道のアイヌ達から文化の輸入を受けた者達が元であると推測される)C1a1とD1bが日本に来る遥か以前にスサとアルメニアにあったCとDの国の言語と信仰は殆ど同じであったと思われ(ただしCの国の信仰は食に関する事などDの信仰より幾分か「緩い」ものだったと思われる)、そしてこれらの国の言語と信仰こそが縄文人の持っていた信仰と言語の原型であり、同時に、日本語とヘブライ語、古代神道と古代ユダヤ信仰のそれぞれの原型であると推測される。Dの国を崩壊させたのがJ系統と書いたが、これは現代のユダヤ人とイスラム(アラブ)人の系統であり(ロスチャイルドはJ系統を持っている。白人ユダヤはシナイ、アラビア半島ではなく後年のハザール国で改宗した偽ユダヤだという言説が陰謀論であるが間違いであり、単に白人と混血してその特徴を得ただけである。ハザール由来のユダヤ人もいるだろうが恐らく少数であり、また陰謀論で言われているような悪魔的な事も行なわれてはいるが、それを行なっている白人ユダヤがハザール由来と考えるのは短絡的としか言えない)、なぜ彼らの祖先がそうしたと考えたかについて何ら科学的な根拠はないが、しかし現在も含めたこれまでの歴史の中でユダヤ人とイスラム人が同族同士の争いも含めて事ある毎に離散や迫害や戦災等の苦難に晒され続けている(苦難に晒され続けながら神の道具として使われ続けている)のは、かつてのDの国を崩壊させた事で民族としての業を背負っている故(或いは、傾向として持ち易い「民族的悪性」を利用しまた克服昇華させる為)であったのではないか?という考えを抱いた為である。「水の流れ」は「血の流れ」「血脈の流れ」ひいては「人種民族の流れ」を表す場合もあると思われ、「洪水」とは「多数の血脈人種がせめぎあって溢れた混沌状態」を意味し、そして洪水による死は民族、人種としてのアイデンティティの死、つまり文化や歴史や信仰(や言語)などの喪失を意味している。また現代は自覚し難いが文化とはその住む土地の自然に根ざしたものであり、植物や動物の保存はつまりは自然の保存、ひいては「文化の保存」を意味している。また「雲」とは常に移ろい行き形を変え続けるこの「浮き世」、つまり「人の世」全体を示し、また「虹」とは「異なる色」、「異なる民族、文化」がそれぞれ「異なるままで」調和している様を意味し、
「雲に架かる虹」とは「異なる民族同士が互いの民族の伝統や文化、そして気質(傾向)の違い(秩序)を保ったままで調和するという理想が人の世(雲たる浮き世)で実際に実現した状態」を意味している。虹は「色の帯」が「分かれて」おりまたその位置関係は「固定」されており、更には「上下」が存在する通り、この虹たる調和は民族や国家としての「区別」(差別)が「存在する上での」調和であり、色の帯同士の位置関係が「固定」されている通り「住む国(地域)」も「定まっており」、また「色の上下」、民族間の「立場的」そして「気質的」な「優劣」というものが存在する事も「認めた上での」調和であり、虹が示す調和とは今のグローバリスト共やフェミニスト共、また極端なLGBT論者や反差別主義者達が叫ぶような「全ての人(人種)を完全に同じに見て同じ扱いにする」というような全てを「雑に一緒くたにする」ようなものでは決して無い。(人種では無いがトランスジェンダーの方が性別に違和感を持って性転換手術を行なった後も違和感が消えずに元の性別に戻りたがる事が多々あるそうだが、生まれ変わりで前世と今世で違う性別に生まれる事はありふれており性別に違和感があったとして今生でその性別に生まれる事は必要あっての事である。別にそれで男らしく、或いは女らしく振舞う必要など(世間はどうあれ)全く無いが、しかし例えばトイレや風呂など公共の場での男女毎の区別等についてはその肉体的性別に従うべきである。女性の精神で男湯等に入るのは恐怖だろうが、しかし女性がどうか知らんが男湯等で男の体を性的な目で見てくる男など基本的に男にとっても恐怖でありまた男でも男に体を触られるなど基本的に不快であり程度こそ違うとは言え女性の精神だといって肉体が男の者に男も不快感や恐怖を感じる事を一部のジェンダー論者が言うような女湯等に入れてまで回避させようとする等は多くの女性達に不快感と恐怖を強いてまで認めるべき事ではない。実際人権意識()とやらの高い欧州等ではトランスジェンダーを偽った(或いは性癖だけが女性愛者の)男が女子トイレや女性刑務所などに入りそこで女性達に性暴行を加える事件が頻発しており一部のLGBT等ジェンダー論者達の主張は自らの快適さの為に他の多くの女性達に性被害の危険を強い将来的に多くの女性達の心と体に不快感処でない致命的な傷を与える事に繋がる、自らとは異なる者への配慮が全く無い主張である)
また虹の色ははっきりと分かれてはいるがその「色の境目」は「曖昧」な通り、ヒンドゥーのカースト制度のように所属する「身分」(民族や国等)が完全に固定されるようなもので無く、また虹が(一般的な意味で)美しく見える通りにその「調和」は、「上」が「下」を(或いは名目上は対等でも一方が異なるもう一方を)搾取し虐げ下を力尽くで従わせるような「醜い調和」ではなく、上が慈しんで施し下が慕い支えるような外部から見て(一般的な意味で)美しく見える関係性による調和を意味する。虹といえば2019年10月22日の現天皇陛下の即位礼正殿の儀が行なわれた際、それまでの雨空に一時晴れ間が現われ皇居など東京各地に「虹」が出現し、更には富士山では初冠雪と共に山麓の山中湖には「白い虹」まで出現し、全く吉兆であると一時盛り上がっていましたが、しかし「虹」は世界各地の伝承において恵みを齎す吉兆として伝えられる事もあるが、それ以上に「災いが起こる前の凶兆」として捉えられる事も多く、凶兆以外にも例えば虹を指差すとその指が腐るというような禍々しい伝承もある。虹は「大地」(地中、地の獄)から空へと向けて噴出する巨大な自然の力の象徴であり、それ故に恵みと災いの二面性を持ち、また大地から空という「異なる秩序の世界」へ「境界」を越えて伸びる事からも「境界や秩序の破壊」をも虹は示す。旧約聖書のノアの箱舟の話の大洪水後の契約のしるしの虹も大地からではなく「雲と雲の間」に出現したものであり、大地(地の獄)から伸びる通常の虹そのものではない。また「白い虹」については近年において地震の前に出現するとも言われだしており311の前にも出現していたそうであり、また2018年6月7日には長野県白馬村に出現しましたが、その約二週間後の6月18日に大阪府北部地震が発生し、以後、西日本豪雨、史上初の逆走台風である12号、2018年夏の記録的猛暑、台風21号、北海道胆振東部地震等のそれまでは数年に一度あるか無いかぐらいの災害が半年にも満たない間に連続で発生している。また白虹は井伏鱒二さんの小説「黒い雨」において、二二六事件の前や敗戦直前の1945年8月13日に原爆投下後の広島でと「国の凶事」の前に出現したとも述べられており、伝承は所詮伝承であり地震や災害等の虹の出現なども単なる偶然で、また黒い雨の白い虹の記述なども所詮は小説の記述でしかなく、また虹は災害のみでなく恵みの象徴としても見られる中、
徒に不安を煽るべきではないとは言え、天皇陛下即位の日に虹が出現したその神話的なタイミングの良さと荘厳さ美しさを以って短絡的に吉兆だとのんきに考えこの吉兆を以ってこれからも今まで通りの考えで過ごそうというのは、最近の日本や世界の情勢的、自然環境的な変化の様相を見ても危険であると言わざるを得ない。富士山の初冠雪が即位礼祭殿の儀に重なったのも日本の象徴である富士山がこの日に「雪に閉ざされ始めた」事で、以後日本の未来が「閉ざされていく」事を象徴しているようにさえ見えるのだから。

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29田布施 蟻巣 2019/12/30 05:51
Y染色体の分布において日本もまた7〜8割程度が中国人と同じ「О」という系統を持つが、残りの大半は「D(ディー)1b」という「ほぼ日本固有の系統」であり、更にもう一つ「C1a1」というモンゴル人などの「C2」と同じ「C系統」ながら「更に古い型」である「ほぼ日本固有の系統」が(Y染色体ハブロタイプ(型)は原則アルファベットや数字が若い程古い系統を示す)確かその次に多いが、この「D1b」と「C1a1」という日本固有の系統が、所謂「縄文人」の系統であると言われている。さて、ここからは私の信仰する教えや伝承等も参考にした私の個人的な考えというより信憑性の薄い事を書いていくが 日本神話での国産みの神である「イザナギ」と「イザナミ」とは恐らくそれに相応する人物も実在したとは思われるがその人物のみでなく「二つの民族の喩え」という意味もあり(無論ここで述べた意味だけではないが)、そして「イザナギ」と「イザナミ」の「ミトノマグワイ」とは、「D1b」と「C1a1」という「二つの民族」が出会ってその二つの民族間で婚姻を行い血が混じりあった事を意味し、「国産み神生み」とはその結果その後に生まれた国(殆どは地方組織としての小国)や人々(個人と一族双方の意味)の事をも指していると私は考えている。そして恐らくD1bがイザナギに相応し、C1a1がイザナミに相応していると私は思っているが、国産み神生み後もイザナギとイザナミがそれぞれ別々に存在しているように、或いは性交渉の後に男女の肉体自体が一つに融合してしまう訳ではないように、このミトノマグワイの後もD1bとC1a1の二つの民族は完全に融合した訳ではなくそれぞれが日本列島内に「別々の国」を持っていたと私は推測している。C1a1は沖縄奄美の南西諸島(南西諸島はD1bも多い)や青森、そして徳島などに多いが、この内の徳島の「鳴門」周辺地域、或いは「淡路島」や「四国」などが此処で言う「C1a1の国」であり、そしてこの国やその統治者が所謂「淡島」や「ヒルコ」として表現されているとも私は推測している。(ただしヒルコにも相応する特定の個人(神)がいるようであり、その意味でのヒルコは淡路島から流された後兵庫県西宮の海岸で漁師に拾われ、そこで祀られたのが西宮エビスのはじめでありまたこの時言代主命と合祀した事からエビス神と言代主命が混同される様になったという事である。またヒルコと淡島は少彦名命と南極も意味する)
またこの「C1a1の国」は後の「黄泉の国」(と常世国)が示す国の一つでもあると思われ、また上記に記した「天日槍」がやって来た「新羅」が示す本当の国とはこの国(淡路島、四国)の事であると私は考えている。対して「D1b」の国は近畿を中心に本州、九州(或いは四国の一部や北海道も)に広がり、この国が所謂後の「大和」の原型である。縄文期の大和の中心地は「基本的に」近畿圏である。縄文期の人口分布は縄文中期のピーク時に東日本26万人に対し西日本1万人未満と西日本より東日本の方が圧倒的に多かったと推定されており遺跡の多さや居住に適した平地(台地)面積などを見ても東日本の方が確かに人口は多かったと見られ、国の中枢の街と最も人口の密集した街が異なる国や地域は多くあるとは言えこれほど人口格差があると西日本に国の中心があったというのは無理があるように思われる。しかしその推定人口の大きな論拠の一つとなっている主食の堅果類の分布については東日本に栄養豊富な実を持つ落葉樹が多く西日本は照葉樹ばかりであるからと一般的にはされているが実際に分布を調べてみると食用となる落葉樹も照葉樹も差こそあれど東西問わず全国に広く分布しておりまた西日本でも照葉樹林の二次林に落葉樹林が出来る地域も多く、縄文中期の温暖化を考慮に入れてもここまで極端な人口格差を生む程その植生が西日本と東日本ではっきりと分かれていたという訳では無い(また、実際に検証してみると照葉樹林の方が食料生産性が高かったという話もある)。また鮭の遡上する川が東日本の方が多かったという理由も鮭が主食であったという訳では無い為に人口格差に対する寄与は僅かである。では何故遺跡の数にこれほどの差があるかというと、私は縄文人達の「宗教観に基づく生活文化」にその原因があると考えている。それは「動物食を極力避け」、また自然を極力壊さず住居や道具も大事にして極力「再利用」して使い回し、食物も食べられる部位や利用できる部位は全て食べて利用し「極力ゴミを出さず」、また住居に住めなくなったり道具が壊れ再利用も出来なくなったり食べカスのゴミが出たならならなるべく自然に還元し易いように跡を消したり還元され易いように分解したりし「生活の痕跡を極力自ら消し」、そして人々の遺体についても墓自体はあっただろうが例外的なものを除いて肉体は自然に還元出来る様に動物葬や水葬などにしたりして「極力死体も残らないようにする」というような、
「徹底した自然尊重、還元文化」である(そしてこのような文化は「信仰」が無ければ不可能である)。また一部例外的な時期や地域を除いて原則として「国の中心」である「信仰の中心地」の近くに住むほどこの生活スタイルは徹底していたと考え、その中心が主に近畿にあったと考えると近畿圏に遺跡が少ない事の理由となり、更に縄文時代にあった鬼界カルデラの破局噴火による西日本全域の直接の人口減や迷信も含めた「忌避地化」、またD1bが南西諸島から北上した為に西日本には先に定着した者達が多くこの生活習慣から少しでも遠ざかろうとした者達が他に定住地を探すなら東に行き易かった事(また中心から遠い為に最初はこの生活を守っていた者達も心理的にこの生活を破り易い事)を考えると 近畿のみでなく西日本全域に遺跡が少なく東日本に遺跡が多く残っている理由に人口差以外の理由が出来る。(また利根川と多摩川と荒川の三つの大河川が流れる関東平野は水害が多く、その度集落や遺体などがそのまま土砂に飲み込まれその為に遺跡が多く残ったというのも恐らくあるだろう)そもそも縄文人がそんな宗教観を持っていたという確証も無く、また縄文程度の文化では集落や村ごとの帰属意識はあっても国単位の帰属意識など無かっただろうと思われるかもしれません。ところで縄文人の食文化は発掘結果からドングリ等の堅果類や魚介類が主であるとほぼ無批判に我々は受け入れているが、日本の生物相を考えるとこれは「随分と奇妙な食文化」である。何故なら日本には東日本は勿論西日本にも鹿や猪といった比較的数も多くて大きな食用になる獣が広く生息し、また鳥やウサギやリスなどの小型の獣も、更には熊や狐狸や猿や狼やネズミ鼬モグラ蝙蝠や蛇などと言った火を通し適切に調理さえすれば食べられるような獣も数多く生息していたにも関わらず、植物類、魚介類に比して縄文人達がこれら陸上の動物類を食べた痕跡が「あまりにも少なすぎる」為である。特に西日本など全体でも一万人以下しかいなかったというのだから殆ど動物肉頼りでも十分に生きていけたはずであるし、石器や土器を造る程度の知能はあった以上獣を罠に嵌めたり追いつめたり調理する為の知恵が無かったという訳でも決して無い。肉は大量に食べていたが日本の土壌は酸性の為に骨などは殆ど融けて残らなかったというのも土壌中で分解されるのは植物性の食物等も同じであり、
そもそも魚の骨が残っているのに動物の骨が残らないのは不自然である。また遺跡でよく見られるように食べカスの骨をゴミとして一つの処にまとめて捨てたり土壌の酸性を中和する貝殻などと共に捨てていれば必ず、比較的多くの動物食の跡が見つかる関東の遺跡よりもずっと多くの動物の骨が大量に残るはず、少なくとも主食は堅果類ではなく動物の肉であったと言える程は残るはずであり、またD1bが八割以上(残り二割の大半はC2)であり遺伝子的に縄文人に近くヒグマなども食す「アイヌ」が肉食中心の狩猟文化を古代から形成しており縄文人達が肉食に適応出来なかったとも考え難い中、縄文人の食文化にこれほど動物食が少ないのは自ら動物食を避けていた(または隠していた)と考えるのが自然であり、そしてそれが体質から来る本能的な反応ではなく理性的な思想などから来る選択なら食欲という最も強力な部類の本能に抗い続ける必要がある以上それは信仰からと考えるのが自然である。また土着的な宗教観から自然崇拝をしている場合、肉食のアイヌもそうだが自然への破壊や干渉を極力小さくするような文化を形成する場合は多く縄文人が肉食の原則禁止の宗教観をもしもっていたならその延長として自然破壊と干渉を極力禁じる宗教観も同時にもっていたとも考え易く、そして現存する縄文遺跡を見ても縄文人の生活は実際に自然破壊と干渉を避けた生活をしていたように見える。(縄文時代でも作物の栽培は少数ながら行なわれていたがそれが農業として大規模に発展しなかったのもこの宗教観から自然環境を大きく変える事を避け続けた事に主な原因があると私は思っている)また関東では比較的多いとは言えそれでも動物食の割合は堅果類に比して低く、関東以東においても「この宗教観」はある程度はあったと見られる事から国という程明確ではなくとも関東以東の縄文人達も宗教観と共に「同一民族」という「帰属意識」を共有していた可能性はかなり高いと私は思っている。縄文人達が共通してもっていたこの「宗教観」はD1b、C1a1それぞれが元々持っていた信仰が元であり、そしてその信仰は両方ともが、恐らく現在のユダヤの信仰の、その更なる「元型」から来ている。現在のユダヤ教の最初期の信徒達のY染色体の系統は発祥の地のシナイ半島やアラビア半島由来のJ系統であり次に古いのが北アフリカ沿岸部に多く古くに教化された集団由来と思われるE系統であるが、
これはどちらも縄文人のD1bとC1a1とは人種的に異なる系統である。またユダヤ教の発祥時期には既に縄文人の両系統ともが日本列島に住んでおり現在の分布でも日本にJとEのユダヤ系統がほぼ皆無である通り、縄文人とユダヤ人とは一見何の関係も無いように見える。しかしカタカナとヘブライ文字の異様な類似性をはじめ、神道のシンボルや祭祀や伝承中にユダヤのシンボルや祭祀や伝承と類似するものが幾つも存在し、更に「淡路島」の「イスラエル遺跡」など、真偽は不明ながら日本全国に「ユダヤ関連」と伝えられる遺跡などが点在している事からも、日本とユダヤには何らかの文化的、宗教的関連性があるのは明確である。無論それは縄文以後に新羅(辰韓)からやってきたというユダヤの影響を強く受けていたとされる「秦氏」などの影響とも見てとれ、実際、現在神社仏閣や神道由来の行事などに見られるユダヤとの類似性は殆どが秦氏が仕込んだものと推測される。カタカナとヘブライ文字の類似性についても恐らく秦氏の影響である。漢字を隠れ蓑にヘブライ文字を隠した(神道関連等に密かに散見されるシンボル等もそうだがこのやり方は表に立たず密かに干渉していくユダヤのやり方そのままと言える)。しかし秦氏の影響とは考え難い類似性も存在する。それは日本語とヘブライ語それぞれの「発音と意味」が「同じ」か「極めて近い単語」が非常に多い(一説には類似した言葉は3千個とも)という点である。今の日本語は大和朝廷が造りだしその作成に秦氏が関わっていたというような事は相当苦しいながら考えられるかもしれないが、しかし侍とヘブライ語のシャムライ(守る者)のように秦氏が日本にいた事が明確な時代に出来た単語についてはその可能性はあるとは言え、他の圧倒的多数の一般的な単語については当のユダヤ人達でさえ3世紀には殆ど発音を忘れていたヘブライ語を中国朝鮮(恐らくインドも)を経由しそこでそれぞれその国と深く関わりその国の言語に染まっていた秦氏がその発音処かヘブライ語自体碌に覚えていたかどうか怪しい上、国民に広く普及させる教育機関処か文字という伝達手段すら恐らく無くあっても識字率はほぼ0の状況で新言語を人工的に造りそれを強引に日本中の人々に定着させた上に元の言葉をほぼ完全に捨てさせるような真似が当時出来たとは到底思えず、やはり日本語とヘブライ語の類似性は「日本語が誕生した瞬間」から、
引いては縄文時代には既に存在していたと考えるのが私には妥当であるように思われる。つまり縄文人の二系統がイスラエルから遠くユダヤ人もいない日本列島に定着する以前からである。そしてこれは、古代ユダヤ人以前に日本語とヘブライ語の共通祖先とも言える言語が存在し、それに加えて縄文人達が信仰を持っていたという事は古代ユダヤ文化以前に「その更なる原型」とも言える文化と信仰があった事をも示唆している。
(現代日本人よりずっと縄文人の血を濃く継いでいるアイヌの「アイヌ語」は孤立言語とされているが私はこれは日本語からの派生言語だと考えている。アイヌの食文化は肉食でありその信仰は肉食を肯定する信仰だがそれは先に書いた縄文人の食文化や信仰と反する。アイヌの祖先は恐らくこの食文化の為に本州以南のグループと(北海道の体温を維持し難い寒さと一方で動物食(と毛皮)の豊富さから不満が溜まる等して)袂を別った縄文人達であり、決別の際に自分達の独自の言語を使おうとアイヌ語の原型を生み出した。その際に新しい言語であるアイヌ語は単語や文法も出来るだけ日本語からかけ離れたものにしようとまず日本語ではあまり使われない「半濁音のパ行」等を頻繁に使うようにし(またパ行を多用する言葉をスムーズに発音する為に閉節音の使用が増えた(閉節音に変化していった)という事もあるだろうか?)文法については言語学も無く文字も無いアイヌ達が「膠着語」である日本語の語尾変化のような微妙な意味の変化を示す共通の細かなルールを新たに作るのは難しく、しかし語尾変化等を真似ただけでは日本語の変形でしかなく、そこで幾つかあらかじめそれ単体で意味のある単語を決め、微妙な意味の変化等は既存の単語を組み合わせて新たな単語を作る事で表現するという言語としての不完全さを都度補い易い「抱合語」という言語形態を取り、やがて本州の縄文人から独立する意思の下移住したアイヌの祖先たちは進んで日本語を捨てて「自分達が作った言語」であるこの新しい言語を使い出した事でアイヌ語が成立していったと「今の私は」考えています。そして信仰が深く生活に根ざしたアイヌ達にとって最も重要な「神」についてはしかし言語が変わってもその言葉、「言霊」は極力変えたくなかった為に日本語の神(カミ、カム)に近い「カムイ」となったと。言語学を学んだ訳でも無く文字も無い為この作業は「感覚的」に行なわれたと推測され、その為日本語の「音的感覚」が残って母音が日本語と同じ五音のままとなり、また「文構造に依存した物事の認識感覚」もそのままの為に基本構文が日本語と同じSOV型のままとなったとも推測できる。とは言え袂を別ったアイヌ達の方が結果的に縄文人の遺伝子を和人達よりも遥かに多く残していたように縄文時代の信仰や文化、そして精神性についてもアイヌ達の方が現在日本の神道や伝統文化や精神性よりも遥かに色濃く残されていると私は思っています)
そして日本に残る「古代ユダヤの遺跡」の幾つかは、後年に秦氏などが手を加えた物もあるだろうとは言え、この古代ユダヤ以前の信仰と文化に由来していると私は思っている。(秦氏について書くと、その出自は恐らく失われたイスラエル十支族の内の一つである。ただ相当数が日本に移住し一時隆盛を極めたにも関わらず日本のY染色体分布にユダヤ人の系統がほぼ皆無な事から、恐らく(かつて仕えた国に対し成り代わる意思が無い事を示す等の目的もあって)意図的に現地民(恐らく大部分は中国人)と婚姻し、また自らの息子ではなく娘やその婿、或いは現地民の養子などを取って彼らに一族の教えを受け継がせるようにした事で(あるいは単に弾圧に遭い男が殆ど殺されるなどした事で)男系自体が途切れた為、或いは僅かに男系で継いでいる者もいたが渡来した秦氏の殆どが教化された現地の中国人や朝鮮人等で構成され元の男系を残していた者が秦氏の中でも僅かだった為に少数過ぎて(或いは現代までに途切れた為に)Y染色体分布の調査にひっかからなかった等の理由が考えられる。もし日本に存在するユダヤとの類似点が秦氏以前からあるなら、秦氏達はそれによって日本に定着する事(或いは日本へと渡る事も)を決めたと思われる)

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28田布施 蟻巣 2019/12/30 05:50
「日本書紀」「先代旧事本紀」においては、スサノオは朝鮮半島にあった新羅のソシモリという地に高天原から天降られたとされ、また、「古事記」においては「三韓征伐」を成し遂げた神功皇后は、新羅より渡来した天日槍の子孫であるとされている。だが、これは「古事記」「日本書紀」にともに記述のある「三韓征伐」において、神功皇后の夫である仲哀天皇が朝鮮半島の存在を知らず否定した事と矛盾している。スサノオの伝承を知る天皇家の人間であり、更に新羅から来たという天日槍の子孫である神功皇后を妻に持つ仲哀天皇が、朝鮮半島の存在を知らなかったというのは、考えてみればおかしな話である。「古事記」は、当時天皇以上の力をもっていたとされる藤原不比等の心証を損なわぬように記されねばならなかった。藤原不比等の父である中臣(藤原)鎌足(或いはその父の御食子)は、実は新羅と同じく朝鮮半島にあったとされる百済からの帰化人であったのではないかとも言われており、「続日本紀」などにはそれを示唆するともとれる記述が存在している。私は鎌足は元々は三韓征伐の際に百済を統治するなどの為に百済に派遣されるかして百済人と婚姻し混血した天児屋根命の一族の者の子孫であり、その縁で鎌足は日本に来た際に同じ天児屋根命の末裔の中臣家に養子として迎えられたのだと考えていますが、もし鎌足や不比等、或いはその子孫である藤原氏が、今の韓国、朝鮮人やその血を引く者達のように民族的自負心を強く持っていたのならば、「三韓征伐」自体を否定できないのならそれを行った神功皇后は元は自分達と同じ民族だったと捏造しようとしても不思議ではない。百済ではなく新羅としたのは、内心嫌っている故に完全に自分達と同じとするのを嫌がった故であるとも取れる。「古事記」口述者の稗田阿礼はおそらく「矛盾」という形で真実を隠し、そしてその目論見は、「日本書紀」にもこの「矛盾」が残っている通り成功している。天日槍は本当はおそらく朝鮮ではなく、かつては同じ日本列島内にあったが当時の大和朝廷とは違う国の人であったと私は考えている。
「日本書紀」も「先代旧事本紀」も不比等の時代、及びその子孫である藤原氏が権勢を誇っていた時代に成立している。これら古記の記述よりスサノオは朝鮮人であるという説が存在しているが、これら古記には「子と共に天降った」とある通りにこれは誤りである。スサノオが朝鮮人であるというのならば古記の「天降った」とは地上に生まれた事と読む事になり、スサノオが朝鮮人の間に「人として」生まれたという事になるが、現界において(おそらく霊界においても)自分の子供と共に出産される人間などいない。しかし、牛頭天王とスサノオは同じ存在であり(ただし「蘇民将来伝説」(又はカムイコタンの伝説)で巨旦大王(又はニッネカムイ)を討伐し「五節句の祭礼」を伝えたのは本当は「牛」頭天王(又はサマイクル、オキクルミ)ではない。「牛」ではなく「午(うま)」の「午」頭天王の方である(また馬頭観音や牛頭馬頭の馬頭等とも恐らく別である)。これは邪神であり、また巨旦大王は本当は善神である。五節句の祭礼は邪神が善神を呪う為に偽って人々に行なわせているものであり、本来は「行なってはならない呪い」である。)、またスサノオが子(部下)と共に日本を離れ朝鮮に渡り、後にソシモリと呼ばれるようになった地を訪れた事があるのはおそらく事実である。スサノオがソシモリの地を訪れた事などを日本が知ったのは、後に日本が朝鮮と関わるようになった際に当時の朝鮮に残っていた地名や史跡、伝承からそれを知ったのだと推測される。

「倭」に対しての「大倭」である。和を重んじる為に後に大倭を大和と改めた。最初に中国に発見されたのは倭(委奴)の方でありその為に混同された(一時期(三韓征伐後)倭が大倭の「一部」となっていた為)。卑弥呼と天照大神は別人である。卑弥呼とヒミコ(日巫女、火水子)も別である。三韓はその位置と規模が時代によってかなり違う。古朝鮮の場所は最初は朝鮮半島ではなく遼東半島辺り(今の遼寧省周辺)でありそこから移動しており、そこから比定される国々の位置も現在の通説とは全く違う。中国の古文書には楽浪郡や帯方郡が「朝鮮半島」にあったとする記述は一つも無いそうであり、実際「史記」夏本紀には楽浪郡には万里の長城の起点があったと記述されているそうだが、万里の長城は朝鮮半島を通っておらず、また(上記の史記の記述などから昔は朝鮮半島にも万里の長城が通っていたと考えられているようだが)その「巨大なはずの」遺跡も朝鮮半島からは「全く」発見されていない。考古学的にも朝鮮半島からは中国古文書の記述の中の楽浪郡や帯方郡の記述に関する遺跡は発見されていないそうであり、楽浪郡や帯方郡があった事を示しているとされる茶碗などの物についても、中国からの移民である辰韓人の物であると解釈できるなど明確な証拠と言えるものはやはり発見されていないそうである。これは日本も「同様」であり、だからこそ未だ決着が着かない(本当はどちら(九州と近畿)にも無いので決着のつきようも無い)議論が続いている。今の通説としてまかり通っている誤解は古代の国の位置(と地形的な誤解)をそのまま後年の国の位置と同じだと考えた為に起こっている。今の朝鮮半島人は辰韓人の血を最も濃く受け継いでいる。卑弥呼は後の新羅や百済(後百済)同様に外国勢力(この場合は魏)を引き入れて対抗国を滅ぼして貰おうとしたが、その際にその卑しさ(外国に助けを求めた事それ自体ではない)を見破られた。それ故の最初の破格とも言える厚遇から一転しての魏の冷遇である。志賀島の金印は大乱の際に卑弥呼以前の王によって「遥か南方」に隠されそのまま失われた物であると推測される。卑弥呼は恐らく崇神天皇(神武天皇ではない)と同じ位の時代の人であったと私は考えている。徐福の時代には既に日本の噂は大陸には伝わっていた。「名前の類似」については権威づけや他国との関係を優位に結ぶ為に、或いは単に誇大妄想から自らをそれと思い込み名を騙る事は十分在り得る話である。
ここまでぼかしてきたが、はっきり書くと上記は邪馬台国があったのは日本列島ではなく朝鮮半島であり日本のルーツとは「全く関係が無い」という事を述べている。これは私が言い出した事ではなく戦前からあった学説の一つであるそうであり、そして戦後、日本の「あまりに不明瞭な」歴史的位置づけに苦心した(飯の種に困った)国内の考古学者達や「おらが村起こし」などの為に関係各所が「あえて無視した」学説である。荒唐無稽に見えるがこの説は上記で少し書いたように畿内説や九州説よりもずっと魏志倭人伝をはじめとした史記の記述や発掘された歴史的資料等とも整合性が取れ、また国内説では説明出来なかった謎も解けるという事である。またこのような事を書くと朝鮮びいきだの日本を貶める為だのと誤解する方もいるだろうがしかし魏志倭人伝で書かれる卑弥呼の様子など一人の若い男だけに世話をさせて普段は引きこもり、民の前では怪しげなまじない(鬼道)をして民の心を惑わせて自身への支持を維持していたとあるだけであり全く王として良い部分は見えず、民も民で(どんな効果があったか知らないが、あまり良くは書かれていない事から大した事はなかったのだろう)そんな「妙なまじない」に惑わされていた原始的な土人程度という印象しか無く果たしてそんな卑弥呼と邪馬台国が日本にあったとしてそこに「日本の誇り」とやらを見出せるかというと私には大いに疑問である。少なくとも誇りという面に関しては執着する程では無いだろう。卑弥呼と邪馬台国の記録は魏志倭人伝にしかなく日本の古文書の中にその記録は一切無い。魏志倭人伝は古代日本に関する外国の唯一の記録でありこれが覆れば日本に古代国があったかどうかその確証性が失われてしまうという危惧を抱く方もあるだろうが、しかし確かに不明瞭にはなるが中国の記述に頼らなくとも古墳などから古代の日本に国があった事など明白であり邪馬台国が日本ではなくとも古代の日本に国があった事自体は何ら揺らぎはせずその危惧は杞憂でしかない。卑弥呼の後に中国に朝貢していた「倭の五王」というのも歴代天皇ではなく朝鮮半島内の国の王達であり日本とは関係が無い。また日本にある三角縁神獣鏡は後年中国や朝鮮などから日本に流入した物とそれを模して作られた物であると推測される。三角縁神獣鏡は恐らく最初は卑弥呼を称える為だけに造られたがその在り方や、
また恐らく外交において(今の韓国のGSOMIA破棄やホワイト国除外に対する対応程では無くとも、助けを求めながら相手の都合は聞き入れないような)不味い対応をした事で魏側に失望されて卑しく見られた事でその価値を大きく失い、当時の貴重な材料として銅に戻され道具や武具として再利用されたりまた財政の足しにと倭国内からも売りに出された為に殆ど現存していないのだと私は推測している。また好太王碑に書かれている倭も日本列島の大倭の事ではなく朝鮮半島内の倭の事であると思われる。(しかし三韓征伐自体はこの碑に記録された時代付近に行なわれたと私は思っている。碑に記された倭の侵攻も三韓征伐時に日本列島の大倭(ヤマト)という後ろ盾を得た事で倭が朝鮮半島とその周辺へと勢力を広げる為に仕掛けたとも)三韓征伐後に大和の介入が殆ど消えた後も「後百済」(前百済ではない)は朝鮮の倭国の流れを強く残していたと私は思っており、漢文書物に詳しかった鎌足とそのシンパの中大兄皇子(天智天皇)などはその為に朝鮮半島こそが日本の大和の本来のルーツであると誤解していたのかもしれない。朝鮮半島人の本来の祖はモンゴルや満州、またはオロチョンやオロチやエヴェンキやニヴフやウイルタと言ったバイカル湖以東のロシア先住民族などと同じ、男系のみに伝わるY染色体で「C2」という型を持つ「ツングース系民族」であるが、現在の朝鮮半島人はY染色体のタイプの8割近くが「О(オー)」というほぼ全ての漢民族と同じタイプである(漢民族は多民族から成るが、しかしその実そのほぼ全ての男系祖先は共通で実は極めて単一民族に近い)事からも中国からの移民(奴隷労働からの逃亡民)から成っていた辰韓、後の「新羅」の血を最も濃く受け継いでいる。倭も元は恐らく辰韓の一部であったと私は思っている。(王族である弓月君(秦氏の先祖)が日本に亡命した後、辰韓は全てが新羅になった訳ではなく統一後何度も国家が分裂を繰り返した古代中国史と同様に辰韓が崩壊した当初は新羅以外にも倭を含む幾つかの国に分裂したと私は思っている)現在の朝鮮人の最も古い祖はその容姿的特徴や土着文化からも恐らくエヴェンキ族の祖と同じか近い民族と思われる。彼らは感情的な面は強いかもしれないが、しかし容姿的な偏見からネット上で言われているような現在の朝鮮人の悪性の由来が彼らにあるというのは現在の朝鮮人の遺伝子分布から見ても誤りである。
(10世紀の白頭山の噴火で朝鮮半島からそれ以前の朝鮮人が絶滅してその後にエヴェンキが云々という言説があるが山体崩壊も起こしていない程度の規模の上に火山灰も大半は半島にかからず半島から東に流れたような程度の噴火で半島から人が絶滅する事など無い)、現在の朝鮮人達の悪性は元々感情的な部分が強かった(単に喜怒哀楽が表に出易い(正直)という意味)ところに中国人達と混血した事で、中国人達が比較的多く持つ傾向がある強烈な「我の強さ」(強い執着心と他罰意識(恨みがましさ)と自己保身欲)と「嗜虐性」と「浅はかさ」と「杜撰さ」を取り込み、更に数百年に及ぶ中国への朝貢などで優秀な人材やまともな人材や「容姿の良い」人材が恒常的に流出し続けた事などに由来していると推測される。

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27田布施 蟻巣 2019/12/30 05:50
白人(と一括りにするのはどうかと思うが)が現在の科学と文明を持つ事が出来たのは、欧州(又は地中海)周辺の地理や気象や植生や歴史的経緯や彼ら自体の能力の高さなどが大きな因だが、他にも「あらゆる意味で」彼ら白人の「情」が(他の人種に比して)「比較的」希薄(又は「いびつ」)になる「傾向」がある事も大きく関係していると思われる。即ち人への「情」の一般的な欠如は人間関係を希薄にし、しかしその分だけ「思索」や「研究」などに没入する時間と余裕を彼らの中の一部に与え(その種の人間にとってこれら探求による充足は人間関係で得られる充足を十分に代替する処か時に容易に越え得る)それは優れた思想や深い洞察を齎し新たな発明を生み得る性質であり科学をはじめ学問を発展させる事に有利に働き、(「どのような人種であれ」突出した天才はいるものだが、人との関わりより学問や技術等の探求を選ぶ人間が他にも多くいなければ天才一代で進歩は止まる(または失われる)。天才たちの成果を残し引き継ぐという点でも白人達の比較的「個人主義」的な人間が出易い「傾向」は、その分だけ人間関係より研究を優先する気質の人間を多く輩出し続け研究を引き継ぐ者達の数を増やす事に繋がり、またそのような人間が多くなる事で社会全体においてもそのような人間やその研究の重要性への理解が深まり社会において研究を引き継ぎ続ける環境を生み出し易くなり、「家族主義」(家族への情)や「部族主義」(部族への情)を強く持ち其処から離れた気質や性質の人間には冷淡、或いは尊重はするが理解は出来ない他の民族に比して優位であったと思われる)、また特定の「人物」や「権威」への「情」、「愛着」の希薄さ(又は歪さ)はその人物や権威が生み出した「思想」や「法」や「制度」に「拘泥」し続ける事から(他の民族や文化に比して)比較的早く「自ら」脱却する事に繋がり思想的、学問的、科学技術的、又は文化的なブレイクスルーを「起こし易く」し、また「自然への情」の希薄さは開発の為の自然破壊や動物実験を容易に行なわせ続けこれも社会や科学や医療などの発達を促し、
また「自分の住む社会への情」の希薄さは古い文化や法や制度を破壊した上で新たな文化や法や制度を構築する事を容易にさせ、これも社会や文明の発達を急速に促進させる事に繋がり、(これら社会自体や自然や伝統などに対する愛着の希薄さは、社会の不自然な「機械化」を容易に受け入れ、処か多数の職人達の職を奪いそれまでの生活を破壊してまで機械を最大限に活用しようとする事にも有利に働く。また、自らの文化や民族への愛着(執着)の希薄さは(「どのような形」であれ)異なる文化を持つ異民族を自らの社会の中に「組み込み」、また(今の博愛を建前に安価な労働力を確保する為のグローバル社会のように)有益であればその文化や異民族の優れた人材を「十分有効活用出来るように組み込める社会形態」を形成し易い。)、また情の希薄さは人同士、組織同士、国同士の争いを容易に生み、それを防ぐ為、又は解消する為に「利害関係」や「事の善悪」を明白にする必要があった事から「ルールの明文化」と「その共有」が必要になり「具体的な社会のルール」である「法」や「制度」を生み出してそれを広く敷く事を促し、また「法の明文化」と「共有」は数や自然科学の法則の「正確な認識」とその発達、そして「共有」(研究機関や教育機関の発達)にも必須である。そして「情の希薄さ」から恒常的に起こり続ける社会の中での比較的激しい利害関係の均衡は「社会法」の発展を常に促し続け、それは近代以降の社会の劇的な変化への柔軟な対応を可能とし、現在に至るまで「法」の概念の発展と共に社会の更なる発展を促し続けた。そして「他者への情の希薄さ」は、彼らの傲慢さとも相まって彼らに他民族を頻繁に侵略させ植民地や奴隷等として搾取する事を促し、それは彼ら白人社会の「物質的な豊かさ」を増大させ、また白人同士でも民主主義下でさえ資本家や企業(資本主義)、或いは国そのもの(共産主義)が労働者達から搾取し、そうやって得た物質的な豊富さがより優れた研究環境を研究者や技術者に与え続けそれもまた科学的、技術的、文化的な発達を促進させる事に有利に働き続けた。また、急速な発展に伴う社会の劇的な変化はそれに対応し続けそれによって搾取や淘汰をされないよう振舞えるだけの知性を持つ者達の血を広め易くして社会的な淘汰を促す事で彼ら全体の知性を底上げし続ける事にも繋がった。という具合である。
愛情表現の激しいアメリカ人などを見ていると情が希薄というのは違和感があるかもしれないが、しかし愛情表現の激しさは一面においてそれだけ激しくアピールしなければ相手に愛情が「届かない」、又は相手に自分の愛情が届いているという「実感や確信を得られない」という事の「裏返し」とも取れ、事実アメリカはじめ欧州などの白人圏での「離婚率」や「身内による殺人件数」というのは基本的に日本よりも依然高い水準にある。「情の希薄さ」は、一面においては「自由を求める性質」とも言える。なぜなら家系にしろ結婚にしろ友人同士の付き合いにしろ情によって結ばれた関係性というものは、(例え無自覚にでも)多かれ少なかれその人の時間や言動や思考、「心」さえも「縛り」、様々な意味で「自由」というものを奪っていく為である。言い換えるならば白人とは最も「自由」を求める人種だとも言えるだろう。キリスト教が白人にあれだけ広まったその原因の一つは、キリスト教が「赦し」によって、彼らの心を「罪悪感」や「天罰(因果応報)に対する恐怖」から自由にする為という処は大きいように思われる。またキリスト教は愛を全面に押し出す教義を持つが、「情」の希薄さ故に、欠けたものを補うように白人達がそれに惹かれたという面もまたあるのかも知れません。彼ら白人は手探りにあらゆる物を自由に探りたがり、またあらゆる場所に「自由」に足を運びたがるという意味で「手足」であると言える。白人達(とユダヤ人達の一部)の行いは破壊的だが、しかし世界には食人文化やアステカの人間の心臓を生きたまま抉り出す儀式のような野蛮な生贄文化など「滅ぼさなければならなかった」文化というものは多数存在していた(いる)為(もしこれらの伝統が「尊重」され今のグローバル社会まで残り続け世界中で一部でも認められた状態となっていたのなら、世界の(人権や思想的なものも含めた)混乱は今以上に酷いものとなっていただろう)、彼らの破壊性というものもまた一面においては有用ではあったとは言えたのだろう。

悪魔の数字として有名な「666」という数字は、キリスト教の(またイスラムにとっても)聖典である新約聖書の中の「ヨハネ黙示録」において、終末において神と敵対する獣の名をあらわす数字、或いは人間を表す数字とされ、ここから転じて黒魔術や映画オーメンなどでこの「666」が悪魔の数字とされ有名になっていますが、元ネタの黙示録ではこの数字が示す獣とされる者は、その獣の名かこの数字が額か右手に無い者は売買、つまり経済活動の一切を禁ずるとされており、既にインドでは全人口の大半である11億人もの生体データがデータベースに登録され、公共サービスの利用や銀行口座開設、携帯電話の使用時などには指紋認証や網膜認証などが必要になる「アーダハール」という管理プログラムが行われはじめ、中国においても電子マネー化が進んだ事によって個人の売買が細かく記録され、また中国独自の国民管理プログラム「社会信用システム」は監視カメラに写る信号無視した人物の顔からデータベースを用いてその本人を即座に特定出来る程に管理社会化が進んでいるらしく、これらの国ではデータベースに無い者や中国共産党に反抗的と見なされたり共産党にとって都合の悪い人々の社会活動の一部が制限されるなど、黙示録の中で「666」の獣が刻印の無い者の経済活動を禁じた事を彷彿とするような出来事も既に起こっているそうであり、これら人口が十数億人に上るインドと中国でさえその膨大な国民一人一人に到るまで細かく管理出来るなら、これらのシステムがもっと人口の少ない日本をはじめ他の国々でも導入されればあっという間に世界中が管理側にとって都合の悪い者が社会から容易く排除出来るようになる超管理社会と化しそうなものであり、
先進国の中でも既にアメリカでは2012年の段階で元CIA(中央情報局)、元NSA(アメリカ国家安全保障局)のエドワード・スノーデン氏がNSAが2007年から「プリズム」という監視プログラムを用いてアメリカ及び日本も含めた世界中の大多数の人々の私的な電子メールや電話の盗聴やネット閲覧履歴等も含めた個人情報の網羅的な収集とそれら情報の紐付けと監視を秘密裏に行い続け(また、日本についてはスノーデン氏は横田基地駐在時に日本がアメリカの同盟国で無くなった時に電力システムを停止させるマルウェアを仕込んだ事も暴露している)、CIAと共にそれを利用し活動している事を告発し当時のオバマ大統領もそれを認めるという事が起こっており、(他、NSAはドイツなどの外国の諜報機関にその手法の一部を伝授した事や、イギリスのGCHQ(政府通信本部)などもネット上での個人情報の網羅的な収拾を行なっている事等が暴露されている)、また2019年初頭にはスノーデン氏をNSAにスカウトした元NSAの女性であるローリ・ストラウド氏がアラブ首長国連邦(UAE)も反政府組織のみならず米国民などに対しても米政府と同じ様なハッキングと監視を行なっている事を暴露しており、またこれとは違いますが2018年末にはスウェーデンで手にチップを移植しそれでほぼ全ての電子決済や身分証明等を行なうシステムが実際に稼動しはじめ、日本においては広島の叡智学園で生徒全員に端末を身に付けさせ心拍数や血圧や歩数などの生徒のリアルタイムの健康情報を医者でも何でも無い教職員や保護者が見れるという(随分と情報管理の甘そうな)システムを導入するという話もあり、2019年1月には総務省が無作為という建前と脆弱性への注意喚起という名目の元でパソコンやスマホなど個人や企業の電子情報機器に通じるルーターやウェブカメラなどに無断で侵入する(情報を盗み見る)事を決定するなど、果たして総務省自体が外国などの外部からそういう攻撃を受けて無断閲覧した個人や企業の情報を盗まれたらどう責任を取るのか疑問に思うような事を発表しましたが、
果たして人の立場や扱いなど情勢次第ですぐに変わるものなのにこのようなシステムを作ったり推進している人間達は自分が監視される側に回らないとでも思っているのか、情勢によって挿げ替えられた利己的な人物によって将来今とは比にならないレベルで悪用される事になる事など決して無いとでも思っているのか、暗い未来を予見しながらも仕方無しに流されているだけなのかは定かではありませんが、先進国においても黙示録の獣を連想出来るような超監視社会の下地が着々と出来上がりつつありますが、それはさておき、この「666」という数字はヨーロッパをはじめとした「キリスト教圏の白人世界においては」神と敵対する獣の名(或いはまた「太陽悪魔」ソラトの名)を表すとされていますが、しかし日本語と仏教においては「3つの6」で「みろく」と、「西洋のキリスト教」とはほぼ真逆とも言える「別の存在」を示す意味を見出す事が出来る数字でもあったりします。

私達の国である日本は神武天皇の東征よりはじまり、天皇は神武天皇の末裔である。イスラムと日本とは遠いようだが、しかしどちらもはじめは神意を受けた者が武力によって開いたのであり、実は日本とイスラムは似ていると言える。とはいえ、日本国内においてイスラム教は不要である。元は寛容な面があると言っても現在のイスラム圏を見るとおりイスラムは僅かな切欠でテロ等の暴力や他宗教や他民族の迫害や「名誉殺人」などの迷妄的悪行や迷信に容易に傾き人の尊厳と文化を徒に破壊する邪教に成り下がりがちであり、その上穏健派も攻撃対象になる為著しく「自浄作用」に欠け外部からの圧力が無ければ際限なく悪化していく宗教形態である為である。こんな現在のイスラムが日本に入ってきても日本に巨大な害悪ばかりをもたらす結果に終わるだけである。イスラムの教えは「そのままの形」では基本的に当時とその後数百年先程度までしか恐らく想定されていない。イスラムは恐らく「教義的な意味でも」明確に何処かで「巨大な破綻」が来る事を折込んで定められている。現在のイスラム教の「先」にある宗教形態、又は社会形態としては恐らく「バハイ教」が教義的な意味でも最も近く、かつ現在のイスラムよりも正しいものと思われる。とかく日本において教化されて、又はイスラム教徒との婚姻等によってイスラム教に入信した方々については、日本以外の他のイスラム圏への移住、又は(出身が日本であったり、また極度の危険地帯以外の場合)婚姻した相手の出身国(又はその周辺)へと移るべきである。酷な話ですが、しかし現在のイスラム教は棄教は死刑であり一度入ったら抜けられず、また情勢によって過激派組織に「取り込まれた」なら殺人にも時に加担しなければならないものであり、日本に生まれながら自らこのような現在のイスラムに入ったという事は「それなりの覚悟」で入られたと思われる為、故郷の日本を離れて暮らす事ぐらいは容認し得るべきでしょう(大多数は犯罪にでも加担しない限りは短期の里帰りなどで日本に二度と入れないという事も無いでしょう)。また、兎角日本より大変なのは現在のイスラム圏である為、そこの人たちを助けるという意味でも海外のイスラム圏へと移住する事の方が宗教的な(霊の向上的な)意味でも意義のある事だと言えるでしょう。

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26田布施 蟻巣 2019/12/30 05:50
とはいえ、このような他を平気で害する事が出来る悪性の強い者達ほど集団の中で主導権を握り易くまた他者を陥れ悪認定して容赦なく(集団で)苦しめたり殺したりしがちなものであり、また、議論などにも強く自らを善人や普通人に偽る能力にも長けていがちな為、他者に対して攻撃的な活動、特に対象の殺害さえ含む攻撃的な活動を行なう場合は、アフリカなどの粛清ばかりの土人国家での政情と治安がどんどん劣悪になり続けているようにむしろ逆に悪性の蔓延を招く事になり易く、また一宗教人としては「悪性の根源は霊にあり、殺せば改心や「死後の裁きの口実」が出来難くなる」という考えから、死刑も含めて「人間が」悪を殺す事や迫害する事は個人的には多くの場合あまりよい結果にはならないと考えている。上記の少数派遺伝子の淘汰や悪性の蔓延の話も確かにこのような事はあるだろうとは言え、しかしあくまで「淘汰」という「不完全な進化論」的な観点からの話にしか過ぎず、これが全てではない。兎角遺伝子などは優勢劣勢がありまた隔世遺伝というものもある通り例え完璧に優れているように見える人でも潜在的にでも何かしらの悪い因子を持っているものであり、更には環境の変化や個として出会う限定的な特殊状況において一般に悪い性質だとされているものが有効に作用し結果その悪いとされている遺伝子を持っている故に生き残るという事は生物界では多々ある事であり遺伝子の善し悪しそのものが人間基準で単純には計り難いものであり、また遺伝子は突然変異を頻繁に起こしどれだけ優れた遺伝子だけ残そうとしても必ず悪い要因を持つ者は出てくるのであり、
また悪い遺伝子を持っていたとしてもそれが子や子孫に発現するとも限らず、また遺伝子自体が子に伝わらない、或いは伝わり発現しても子孫には滅多には発現しないという事も多々あり、その為、国や社会というような画一的な価値観でしか動けない上にその活動が大規模になりがちな集団によって優れた血だけを選別し残そうとするというナチスの優性思想政策のような真似は愚かとしか言えないだろう。まして放射性物質と無数の化学物質の拡散の影響が蓄積され続け、更に試験導入した街で住民の不眠や体調不良、胎児の障害の発生率や流産まで増加し、更には鳥の謎の大量死や昆虫の減少なども発生しているという第五世代無線通信システム(5G)のように愈々人々の心身に明確な悪影響が出るレベルの強さを持つ電磁波が社会の中に日常的に溢れ出す兆しが見えはじめ それ以外にも地磁気や宇宙線の異常なども含めて地球周辺環境全体で過去(少なくとも現文明発生以後)類を見ない妙な状態になって来ている上に太陽にも異常が起こり始めているという現在においては恐らくこれから遺伝子異常はどんどん発生し易くなる恐れがあり、のみならず(既に一説には2019年までの27年の間に植物の受粉を担ったり鳥などの小動物の餌となるような羽根を持つ昆虫の75パーセントが減少していると言われる程昆虫の数などが大きく減りはじめている通り)人間だけでなく自然界全体でも「少子化」が進行し(もはや世界中の何処にでも拡散しているミクロサイズのプラスチックには脳の機能などを阻害し、またオスとメスそれぞれの生殖機能を蝕む化学物質が含まれている。)人の数自体が「大きく減少し」はじめるかもしれない徴候が現われはじめてさえいるのですから。例えどれだけ邪悪に見えようとこの世に既に在るものを極力殺して否定するべきではない。またそれは自身(自殺)についても同じである。

この文章での悪(悪性)とは主に利己的でかつ他を平気で踏みにじる事が出来る性質や他を故意に苦しめる事を好む性質という意味で用いているが、何が善で何が悪であるかは、立場や価値観や状況や目的や善悪の定義などによって容易に変わる相対的なものであり、また、そのように容易に変える事が出来る通り、各々が自らの中で勝手に何が善で何が悪かを決める事が出来る通りに、本来は(全く人為的ではない状態。あるいは「何者でもない立場」などの「仮定」の上では)善も悪も存在してはいない(これは「価値」やら「意味」やらについても同様である)。しかし、本来存在せず人が勝手に定めているだけの恣意的なものだと言っても、その立場や価値観などの「中においては」善悪は存在しており、またその立場や価値観等の中においては(価値観等が「不変」、或いは「その時点での」価値観等において)その善悪は絶対的である(相対性の中の絶対性)。つまり我々は人間であり「人間という立場」においての「絶対的な善悪」というものも(それを果たして人が真に知る事が出来るかどうかは兎も角として)確かに存在してはいる。そして、ここからは信仰を持つ身としての考えであるが、人は皆(この自然や森羅万象の背後に存在する)神によって生かされているのであり、例え神に反する者でも神の(陰の)助け無しに生きていける者はいない。また神は人間(及び全生命を含んだ森羅万象の全て)が幸福になる為、かつ成長する為に働かれておられるのであり、つまり人の生存にとってその協力が必要でありかつ人の幸福と成長の為に神が働かれているというのなら、神にとっての善悪こそが人にとっての絶対的な善悪という事になる。ただし、「右手」と「左手」が違うように、或いは「手や口や足など」にはそれぞれ別々の動きをさせなければならないように例え同じ行為であっても行なった者の事情や状況によってその善悪が大きく変わる事も多々あり、人にとっての絶対的な善悪(又は神にとっての善悪)を法律のように人が表面的な言動とその結果(影響)から一律的に定める事は恐らく出来ないだろう。恐らくかなり個別的であり、完全にそれを知れるのは神のみである。とはいえ概ねにおいては人の良心や倫理観、又は使命に沿うものではあるはずである。
多くの宗教や霊能力者などが自殺は地獄に行くだの成仏できないだのもう一度苦しみを繰り返すだのと説くがこれは概ね正しい。それは罪人の魂が過去世の罪を清算する禊の為や、また単純に学びや成長の為、又は神から直接に特別な使命を課せられる(しかし自覚的なものの殆どは単なる思い込みと邪霊による偽りの吹き込み、または「ある(その)一時だけ」の使命である)などの理由から人がこの世に生まれてくる事に対し(この世で悪が放置されまたこの世が苦痛に塗れているのはこの為だともいう)、自殺はそれらの課題や使命などを「自ら完全に」放棄する事になる為というのが主な理由だという。(また、霊界は想念の世界の為に、実際に自死してしまうような精神が、自滅する霊達とその世界に同調する為という面もあるだろう)、苦しんだ末に自殺した方が死後も苦しむというのは遺族の方等にとっては不愉快極まる話でしょうが、しかし遺族感情と事実は別であり、また「めんどい」という理由で自殺した中学生も2013年にいましたがこのように自殺が安易な現実逃避の手段になる事に対し多少なりとも抑止になるという意味でも、この残酷な事実は周知されるべきとまでは言わなくとも否定するべき事ではないでしょう。残された遺族に出来る事はただ相手の安寧と苦痛からの解放を祈り供養するだけであり、そしてそれは多少なりとも相手の霊の苦痛を和らげる効果はあるよう思われます。少なくとも、自殺者の死後の苦痛の話を本人の霊や周囲や世間に対して言い聞かせるように躍起になって否定し続けるよりはよほど。しかし自殺が罪であると言ってもそれはあくまで、少なくとも周囲が故意に追い詰めた結果などでない限りはその罪は本人にのみ帰するものであり、部外者や部外者同然の者が自殺者の遺族まで罪人扱いする事はそれ自体別の罪業であり、また自殺自体への罰なども自殺の直接の被害者は多くの場合本人のみであり無関係の他人がそれに対して罰を与えるなど全く筋違いの話である上に、自殺自体の苦痛と生前が全く報われぬ死後の苦しみのみでも罪に対しての罰として既に十分以上であり全く他人が責める必要など皆無である。自殺への罰という名目で攻撃を行なう者はそれによって別の新たな罪業を犯しているといえるだろう。自殺は死後も苦しむ羽目になるが、しかしそれは「概ね」であり自殺しても死後に天国へといける例外はある。
ただしそれは善良でかつ信仰篤い者が何年も苦痛に塗れ苦境を脱しようともがき耐え続けてそれでも生活出来なくなるほど追い詰められた末にというレベルでの話であり(またそれで天国へ行けても恐らくせいぜい下層までである)、ちょっとしたイジメや悩みや病苦程度では、まして美意識()とやらをこじらせた結果なり大義()とやらを周囲や世間へと訴える手段として自殺を選んだ場合などはやはり死後激しく苦しむ事になるだろう。人によっては拷問レベルの事をされても自殺が許されない場合などもあるようでありやはり自殺などはするべきではない。人が自殺に追い込まれるのは身体的、社会的な拘束以上に心理的な拘束に依るものが多く傍から見て他に取れる手段があったように見えるような場合も多いが、まず自殺を考え不意に実行しようとする程心が追い詰められたならせめてその状況から一度は形振り構わず逃げ出そう(現状を放棄しよう)とはするべきである。しかしその一時の逃避すら許さず何処までも責め苛み続ける者達がいてもはや自殺するより他に道が無いように思えた時はいっそ責め続ける者達を殺してしまった方が「霊的な面」においては自殺してしまうよりはまだ罪は軽いと言えるだろう(「尊属殺人被告事件」などのような過酷な虐待の末の親殺しなどはこれに当たるだろう)。また、死ぬ確率は高いが必ず死ぬ訳では無い物事に死の覚悟を以って望む事、例えば死亡率の高い危険な仕事への従事や戦争での危険な死地への突撃などは自殺とは言えないだろう(自身の手で直接自身を害した訳でも相手に自分を殺すよう頼んだ訳でも無いという意味でもこれらは自殺ではない。自殺と自殺行為とはまた別である)。また、自身の死が「直接」他者の生存に「直結する」場合の「自己犠牲による自殺」については、(例えば明らかに自分も相手も助かる別の道があるのにあえて自殺を選んだ場合などを除く)殆どの場合恐らく自殺による死後の苦しみは無い。また高額な医療行為を続けなければ生きられない状態で延命措置を自ら拒絶した結果の死も恐らくそれによる死後の苦しみは無い。人には天命というものがある程度定まっており、不自然な延命を続け苦痛塗れの中で死ぬ方がむしろ死後余計に苦しむ恐れがある。とはいえ安楽死などは自殺に当たるが。
最近の研究で人間の腸内に棲む腸内細菌のかなりの種類が人の脳で働く神経伝達物質を腸内で作り出している事が発覚し、更にそれが人の精神や神経にかなり大きな影響を与えている可能性が示唆されはじめており、自殺を引き起こすうつ病や自閉症や発達障害などの精神、神経的な病や、また繊維筋痛症などの原因不明の神経症などについても、腸内環境の荒廃が原因、或いは大きな要因となっている事が突き止められ始めている。また腸内細菌環境は人の精神や神経関連以外にもアレルギーやがんなどあらゆる種類の病気と関係がある事も判明しているが、この腸内環境の改善には現在の医学では健康な腸内環境の人の糞便を移植する方法が取られる事がありかなりの効果があるそうだが、しかし原則として一度大きく破壊された腸内環境は完全には回復しないそうである。基本的に(直接殺菌作用のある物のみでなく抗うつ剤などの精神病治療薬などさえ含む)どんな薬もこの腸内環境を大きく変化、破壊し得る物であるが、腸内環境の恒常的な改善にはどうしても薬の使用の制限や中止、また腸内細菌の栄養となる食生活の改善が必須になる。腸内環境を改善させる細菌の種類としては「強ミヤリサン」などの商品に含まれる「酪酸菌」が比較的重要な種類のようであり、摂取するとその効果も大きく出易いようである。また、他に薬なども無い(買えない)ような環境下などで腸内細菌を回復させる手段として土を直接食べる事が挙げられる。ただし毒素や病原体が含まれる場合も多い為、何処のどんな土を食べるかはよく選ぶべきであるが、こと腸内細菌を取り込む目的なら(微量の殺虫剤や除草剤や農薬ぐらいはもはや何処でも含まれているだろうとは言え)化学薬品等の影響の無い自然下の土をなるべく未加工のまま食べるべきである。

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25田布施 蟻巣 2019/12/30 05:50
資本主義下の過度な経済競争は人々から時間と余裕を奪い、更に物質的な豊かさから来る豊富な娯楽と個人が選べる選択肢の多さが結婚と子育て(処か恋愛自体さえ)という多大な「負担」と「リスク」の回避を人々に容易に選択させ(開発競争等による仕事の「高度化」とそれに伴う子供への「教育」の為の負担の増加もそれに拍車をかける)、結果、資本主義はやがて「少子高齢化」を招く。少子高齢化が進む中、資本主義を維持しようとするなら(上層が下層を搾取する構造を拡大し維持し続けようとするなら)「移民」を入れるのが最も「安価で手っ取り早い」。対して物質的な豊かさが小さく、個人が選べる選択肢の少ないアフリカやインドや中南米や東南アジアやまたかつての共産圏などの発展途上国では、例え貧困(と紛争)の為に時間と余裕が無くとも娯楽と選択肢の少なさ等により子供の数は自然と多くなる。その中でも、女性の権利(選択肢)を制限する事でほぼ強制的に女性を子を産み育てる事に専念させる上に、一夫多妻を認め教義でも子を多く持つ事を推奨する「イスラム圏」は特に人口増加が顕著である。彼らイスラム教徒達は多産を推奨する教義を持つ上、教義から生活の自由も自ら強く制限する為に資本主義国下においても他の娯楽に流れ難く多産であり続け、その為その「増殖速度」は凄まじく現在もヨーロッパをはじめイスラム教徒が入り込んだ国々を凄まじい速度で内部から侵食し続けており、安倍政権のおかげで日本においても順調にその数を増やし続けていますが、その地域の元の住民達の数を移民とその子孫の数が上回り現地民を迫害する地域も既に多数存在しており、欧州ではフランスなどは後数十年もしない間にイスラム教徒の移民とその子孫が過半数を超えるとされるが、「子の増加速度の差」を見れば欧州で白人が「少数民族」になるのも時間の問題であり、「現在の状況」が続く限りそれを止める手段は無い。リベラル共は彼らが世界中で受け入れられる事で世界が一つになるとでも思っているのかも知れないが、しかし現状の増殖速度の中「内部(宗派間)闘争まみれ」の上に、2018年に起きたサウジアラビアの皇太子による記者の拷問殺害などのように「不正も辞さない身内びいき」が横行し続けるイスラム圏の所業を見る限り、このまま世界中でイスラム教化が進んだ先にあるのは現在の中東などで起こり「続けて」いるような収拾のつかない紛争と混乱の連続であり、
現在のようなイスラム教徒が増えた先にあるのはリベラル共が常々謳うような「平等」だの「自由」だのとは無縁の世界である。イスラムは本来「寛容な面のある」宗教であると言っても、人は力を持てば容易に悪に傾き、そして「数」というのはこの社会において最も強力な「力」の一つである。数が増え、彼らが社会の中で(しかも大半は教育も十分ではなく「都合の良い歯車」としてしか扱われない為に大部分は貧しいままで)その存在感を増し続ければ彼らは今の欧州での移民達以上に「悪化」していく事だろう。リベラル共の背後にいる商人共は金さえ貯め続ければ自分の周囲が貧しいイスラム移民ばかりになっても(老いた)自分や「親族の安全」は依然守られ続ける等と思っているのかも知れないが、もしそうなら脳みそが腐って更に土と化し既にお花畑にでもなってしまっているという程にもはや末期的としか言えないだろう。果てに破滅が待っているが大きく儲ける事が出来る儲け話を最初は自重していても、一人が出し抜けば次々と追従し出し(社会全体をも巻き込みながら)破滅するまで止まらなくなるのは商人達の愚かな悪癖であり、「「常に」吊るし上げられるべき」習性である。フランスなどは不正ばかりしていた元日産のゴーンを逮捕した日本に対しグチグチ文句を垂れているが本国では富裕層を優遇しその負担を下層に押し付けすぎたおかげで2018年末から大規模な暴動が発生する有様であり、どうにも現代の貴族とも言えるグローバリスト共は富裕層なら不正をしても搾取しても「許されて当然」だと思っているようである。「フランス」という国は貴族やらグローバリストやらと上層が酷く傲慢になりがちなお国柄なようであり、なるほど歴史上はじめて革命が起こったというのも頷ける話である。「水道民営化」が実際に行なわれる際にはフランスの「ヴェオリア・ジェネッツ」が中心となって進出してくると予想されるが、このような下層を蔑ろにする傲慢なグローバリスト共に掌握された会社に任せても碌な事にならないだろう事は、世界中に溢れる水道民営化失敗の事例を見ても明白だろう。社会混乱を齎し将来的な破滅を呼び込みながら私腹を肥やし続ける商人共は自分達が死ぬまでの間だけ逃げ切れるならそれで良いと思っているのだろうが、しかしあの世に金を持っては行けないというのに、死ねば確実に地獄に行くような者達が一体何処に逃げようかという話である。

以下は酷く単純化した話でありあくまで「例え話」でしかないが、「遺伝子」は、父と母の双方から半々ずつ選ばれ、この時どの遺伝子が選ばれるかは基本的にランダムである。「例え」として、父と母がそれぞれ白人とアラブ系の混血であるとし、しかし双方とも(というより親の世代全体が)アラブ系の血の方が僅かでも濃い(多産で一気に増えた為)とすると、子(の世代)に継承される遺伝子は少ない白人の遺伝子よりも、必然的にアラブ系の遺伝子が選ばれる確率が高くなり、結果、「子の世代」の遺伝子からは親の世代よりも白人由来の遺伝子が減り、「アラブ系由来の遺伝子が増える」事になる。更に子の世代の者達がまた子を成した場合、アラブ系由来の遺伝子が増えた為にますますアラブ系の遺伝子が継承される確率が高くなり、孫の世代では子の世代よりも更にアラブ系の遺伝子が増える事になり、そうやって世代を重ねていけば行くほど、「数の少ない」白人由来の遺伝子は、「数の多い」(多産な)アラブ系由来の遺伝子に次第に駆逐されていく。このように「多数派の民族の遺伝子」は、もし混血が(民族間の大きな隔絶も無く)進んだ場合、原則として世代交代を重ねる毎に「少数派の民族の遺伝子」を次第に「駆逐」していく(これは遺伝子が発現するかどうかとは関係が無い為、例えそれが発現し難い劣勢遺伝であっても基本的に同じである)、「少数派民族」は、「混血」を自ら避けなければ世代を経る毎にその血を知らず知らずの間に失う事になる(とは言え血縁が近い者達同士での交配が続くと遺伝子の異常や脆弱性を抱え易くなる為、「ある程度」は外からの血を迎える必要はあるのだが)。世界中の民族や集団が自らの民族などの出自に固執し、他民族等との交わりや「混血」を避ける傾向があるのは、この事を本能的に察知していた為という面ももしかしたらあったのかもしれません。(また、中国がチベットやウイグルで行なっている様な「民族浄化」に強姦や強制結婚が伴うのもこの為だろう)無論、遺伝子の子への継承は完全なランダムではなく、例えば男系女系でそれぞれほぼ確実に継承されるものや、またある特定の二種以上の遺伝子が競合した場合、殆どの場合において(或いはほぼ確実に)ある一方の遺伝子のみが選ばれる(選ばれる確率が高くなる)場合などもあると思われ、また当然、ホルモンや外界からの刺激などの環境的な要因の影響や、「自然淘汰」による最適な遺伝子の選別等も存在していますが、
しかし、ある程度安定した人間社会の中での「淘汰」、特に現在の欧州のように「差別」を恐れて「犯罪を容易に犯す移民達」が見逃され続ける「悪性を優遇する社会」においての「淘汰」を考える場合、多数派の遺伝子が少数派の遺伝子を駆逐していく事よりも更に悪い結果を齎してしまいます。なぜなら、悪人でも「倫理」や「法」の為に殺す事や「ハンデ」を負わせる事処か追い出す事さえ容易に出来ない「やったもん勝ち」の悪性優遇の人権尊重社会では、今の日本についても言えますが基本的に、馬鹿(後先考えず手を出し)で、暴力的(力を誇示する事で「その場限り」でも「要求」を飲ませ易く、時に無理矢理手籠めにし)で、卑しく(脅す事や媚びる事、「不正な関係を結ぶ事」などに抵抗が無く)、狡猾で(容易に人を騙したり陥れたりする事が出来)、自分の快楽しか考えない(子が出来ても簡単に捨て、また別の異性と関係を持つ)と言うような、悪が強い利己的な人間の方が容易に「子をつくれる」傾向が強い為である。当然ながら人の気質や性格は育った環境など後天的に決定する部分が大きいとはいえ、しかし確実に「遺伝」による先天的な部分は存在しており、「悪貨は良貨を駆逐する」の言葉の通り、悪人ほど好き勝手して子をつくり易い「人権が過度に尊重された」社会においては、世代が進めば進むほど、少数派多数派どちらの由来も関係なくより馬鹿(衝動的、短絡的)でより暴力的でより卑しくより狡猾でより自己中心的でより利己的な先天気質の遺伝子の「割合い」の方が「増えていき易く」なり、それは人心の悪化も招く事からやがて「生育環境の悪化」をも招き、つまりこのような社会においては世代交代によって時を経る毎に民度「自体」が劣悪になっていく事を意味している。上記の例なら白人とアラブ人のそれぞれの先天的な悪性を継ぎ「より悪くなった混血達」がどんどんその数を増やしていくという事になる。現在、中南米の多くの国で非常に犯罪率が高いのもそこに住む混血のヒスパニック達にこのような「悪性の優遇」が起こったからという面はあるのかもしれません。またこの「悪性の優遇」は極端な悪性の蔓延は刑罰によってある程度制限できても、刑に引っかからない、或いは罰が軽微で済むような比較的軽い悪性の蔓延は例え移民の流入のような事が起こらず警察や刑法が正常に作用している社会においても進行し続けるものであり、
少子化が進む現在の日本においてさえ「子の虐待」が増え続けているのも、地味にこの「悪性の優遇」による影響が大きいのかもしれません。また現在の日本人の(核)遺伝子が、元々の縄文人のものよりもはじめ少数派だった中国朝鮮からの渡来人由来のものが大半を占めているのも、(弥生期に田畑の開発の為に自然を縄文人達に比して躊躇無く壊せた強欲さと旺盛な性欲から人口爆発を起こしたのが渡来人とその混血達だからという部分も大きいが)かつての縄文人と渡来人が混在した弥生初期のように異なる民族が混在し異なる文化と社会が融合しつつある中、その混乱から渡来人達の多少の「悪事」も見逃されただろう当時の社会においてはより利己的な遺伝子ほど増え易かった事が推測され、その為に渡来人由来の遺伝子の方が多くなったという面もあったのかも知れません。他者を害し奪う事に躊躇の無い「利己的な者達」にとっては、戦いを肯定し、略奪を肯定しているようにも見え、女性を暴力によって支配する事を肯定しているようにも見え強姦や奴隷売買さえ肯定しているようにさえ見えるイスラムの教えは非常に「利用し易い」物であり、それ故にそのような粗悪な野蛮人たちからイスラム教は何処までも支持され続け、これからも野蛮人たちの数を「ネズミのように際限なく」増やし続けていく事だろう。それは「多数派の遺伝子による少数民族の遺伝子の駆逐」という意味でも「悪貨の蔓延」という意味でも脅威であると言える。だが悪貨が蔓延し切った国に待つのは衰退や滅びである。使えば人類が滅びかねない戦争や環境被害に発展し得るような兵器や技術が多数存在し、今もそれが発展しながらも生み出され続ける中で、このままグローバリスト共が世界中で移民を蔓延させ続ければ戦いを肯定する教えを盲目的に信奉し後先を考えない命の軽い「悪貨」達がこれから先も世界中で増え続ける事になる。
とかく自分達こそが至高と定めている通り「下」が欲しいのはイスラム教徒達とて同じである。仮に世界が全てイスラム教化された場合、イスラム教徒同士は平等と言っても発祥の地のアラブとその他の地域との間や、各地域間においては教化された地域の順等に「格差」が出来るのは想像に難くなく、イスラム教徒が白人達を支配し切りイスラム教に教化させた場合、(イスラムの中では「下の方」になる事もあって)キリスト教でもそうしたように白人達は「白人主体のイスラム」を「造り出し」、イスラム全体を内部から破壊するようになる事もあり得る話ではあるのかも知れません。そしてそうなった時の白人達の「悪性」は、これまでのイスラム圏やキリスト教時代の白人達を軽く上回るものとなるだろう。白人全体がそこまでイスラム教化される事は恐らく無いと思われるが。イスラム教徒こそが最も優れているというコーランの教えは、自尊心の高いアラブ人達に向けての、仏教でいう所の「方便」のようなものと言える。「現状」を見る限りはそうとしか言えないだろう。一夫多妻も多産の推奨も砂漠の中で戦争ばかりと子も夫も亡くし易いアラブで未亡人の救済や人口と勢力の維持の為に特別に推奨されたものであり、原則として当時の状況とそこから数百年先程度に対応する為のものでしかなく、「そのままの意味(解釈)」では常に遵守し続けなければならないような普遍的な教えではない。それは現在の段階でも人類の人口爆発に環境問題や資源問題も含めた「様々な致命的な問題」が生じていて、仮に現在の人類約70億人の全てが全てイスラム化して世界中で一夫多妻と多産を実践し始めた場合「どうなるか」を想像すれば容易に判る話である。白人達は(歪んだ)キリスト教絶対の暗黒時代を超えてキリスト教の枠を超えた近代倫理に辿り着いたが、イスラム圏においても同様の道を辿らなければ待っているのはイスラム自体の自滅も含めた破滅である。際限の無い人口爆発は「物質の大量消費社会」ならぬ「命の大量消費社会」を招く。それは(人命の大量消費を厭わないソ連や中国等がそうであったように)全ての「安全の基準」を曖昧にし、結果、より深刻で不可逆的な環境破壊を齎す。そしてそれは、やがては人類自体の大量死へと繋がっていく話である。果たして人の命は地球よりも重いという話だが、そろそろ人権の重さとやらに人類全体が「押し潰される時」が近づいているのかもしれない。

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24田布施 蟻巣 2019/12/30 05:50
偶像崇拝を禁止し、その中でもとりわけ破壊活動に走る過激派組織が出来易い現在のイスラム教徒達が移民政策によってアメリカに増加し続けた場合、いずれアメリカの象徴である巨大な偶像「自由の女神」も破壊される恐れがある。というより911の時よく狙われなかったものだと言える。アメリカと言えば多くの陰謀論があり、その中にはアポロ月面着陸が捏造であったというものがあるが、確かにアポロ以後は月に行かずにスペースシャトルで大気圏のほんの外に出る程度でそのスペースシャトルの技術もロシアのソユーズより劣っているものだったり、当時の映像等に十を軽く超える怪しい部分(「一例」としてアームストロング船長が月面への最初の一歩を踏み出す場面が月面から撮影されている事等)があったり、これほどの大計画で科学的な意義や技術的な意義も大きいはずで機密も多いだろう計画の資料や技術が何故か尽く失われていたり(資料に関しては話題になった後忘れた頃に出てきたり)する程後の管理が杜撰であったり、人という「壊れ易いもの」を乗せての「繊細な航行(特に加減速と離着陸)」が当時の初期の家庭用コンピュータ未満の性能の技術で果たして本当に出来たのかという点や、二番目に月に降り立ったバズ・オルドリン氏が2015年に「自分達は月に行っていない」という旨の発言をした事などが挙げられますが、ここに挙げられているような疑問以外にも多くの疑問がありそれらについて大体は何らかの反論がされていますが、しかしその反論の多くはどうにも「その反論に対して更なる反論を返せる」程度にはいまいち腑に落ちないものが多いです。例えばアポロ以後何故月にいかないのかという理由について当時と違って予算が無いからという反論がよくされますが、しかしアポロ計画が行なわれていたのは「ベトナム戦争の真っ只中」であり、当時も別に予算に余裕があったという訳ではありません。またソ連との宇宙開発競争に勝つ為に必死だったというのも、それよりももっと直接的で重要なソ連との代理戦争であるベトナム戦争で勝つ方がより重要で宇宙開発より優先すべき事だったはずなのですから(事実ベトナム戦争の敗北はアメリカに深い爪痕を残したという)ソ連との競争の為に云々という理由も怪しいものとなります。月には何も無いからこれ以上行く理由が無いというのも、しかし月には未知の部分が未だ多く残っており、
また宇宙開発は元々基本的に行って少し調べた後に帰ってくるだけと調査自体が主目的である場合が多く、有人で月に行って帰って来る技術を持ち、また宇宙開発も頻繁に行っているアメリカが例え予算を抑える為に10年に一回程度のペースでも月の再調査や開発に行かなかったというのはやはり不自然に見えます。他にも実際にロケットが飛んでいくのを世界中のアマチュア活動家が観測して監視していたというのも、飛んでいたのは「無人機」であると考えられますし、アポロ以前にソ連が無人機で月から少量の石を採取していた事を考えるなら月の石の回収も反射鏡の設置も、2008年頃からかぐや等の観測衛星から確認された素人目には他の地形と区別がつかないアポロ計画時の着陸跡等とされる痕跡をつけたのも無人機が行なったと考えれば説明がつくものです。そもそもロケットは音速を遥かに超える速度で航行しており、またその大きさは月と比べれば塵にも満たない程の小ささなので、無人機を飛ばしていた場合、地球付近なら兎も角、月にまで近づいた高速で飛び続ける小さなロケットの行方をアマチュア活動家達が追い続ける事は不可能だったでしょう。月に行く技術は衰えて失われたとしても観測技術はあの頃とは比べ物にならないほど向上し続けており、しかしそれでも人工衛星で地表より遥かに接近してからでさえアポロ計画の時の明確な痕跡を確認出来ず、着陸跡とされる画像も大半の人間には他の地形とさして変わらないように見える程度には不鮮明であり、現在の進んだ観測技術でもこのような状況の中で、当時の地球からの観測で月と比べて極小のアポロが着陸する予定の地形の状況(高低や傾斜等)を正確に知れたのかは疑問であり、また航行中にリアルタイムに観測して計算し続けたとしても果たしてミサイル以上の速度で近づくアポロがファミリーコンピュータ程度の性能で、観測された地形に応じて臨機応変に計算出来たのかは疑問である。データだけ地球に送って計算結果だけを受け取ったとしても、今でも地球上の衛星中継でさえタイムラグがあるとおりこれもかなり困難に思える。特にアポロは垂直に着陸しておりよほど繊細な計算が必要である。いくら月面が無重力で大気が無い状態に「近い」からと言って、そのような環境が地球に無い為に「実践練習」も出来なかった宇宙飛行士たちが、
そんな繊細な着陸を「ぶっつけ本番で」しかも「何人も」「何度も」「ほぼ確実に」成功させる事が出来たというのはどうにも胡散臭い話であると言える。なぜ突っ込み処のある「垂直着陸」にしたのかというと、飛行機のような着陸法だと「跡」が大きくしかも「ハッキリと」残るだろう為に月面を観測されると容易に「バレて」しまう事を懸念した為であると推測される。また捏造だとするとなぜソ連がバラさなかったのかというのも、アメリカが無人機を実際に飛ばして更に(製作された)月面着陸の瞬間の映像を実際に全世界に中継さえした中でソ連がそんな事を言っても単なる負け惜しみとしか取られず誰にも相手にされずに恥をかくだけなのは明白だったからだというのは理由としては十分あり得るものでしょう。また、アポロに携わった関係者達から捏造が漏れなかった(漏れているが)理由については実際に無人機を飛ばす準備をしていたのでキューブリック監督のように直接映像を製作するなど捏造に深く関わらなければ大半の関係者は本当に月に行く為の活動をしていると思ったままであり、実際に口止めする必要があったのはごく少数で済む事になります。その少数もケネディ元大統領のように大統領でさえ公衆の面前で暗殺される様を見せ付けられれば誰もが黙ったままでいる事でしょう。またこれとは別にソ連までがアポロの捏造を黙っていた理由として先に挙げたものの他にも、ソ連とアメリカとの間に「ある密約」が結ばれた事からという可能性もあります。その密約とは、「ソ連がアポロ計画の捏造を黙り宇宙開発競争での勝利をアメリカに譲る代わりに、アメリカはベトナム戦争から手を引き、またその後の共産圏の拡大にもある程度までは干渉しない」というものです。一見すると不平等もいい所に見える馬鹿な密約でありこのような密約はほぼ一方的にアメリカの国益を損なうだけに見えます。それはその通りでこの密約はアメリカにとっては「国の為に」結ばれたものではなく、主にアメリカの支配層の一部の者達の「利権の為に」結ばれたものだからです。アポロ計画の「膨大な予算」をその一部の支配層の者達が「横領」する為に。アポロ計画では膨大な予算が使われましたが、しかしそれを月面までの有人宇宙飛行の為の技術やロケットの開発の為に使わず、既存技術を用いての無人機を造るのみで済ませた場合、
例え捏造の為に多大な予算を使って嘘の映像を用意し、多数の専門家を雇って入念な理論武装を行い、ソ連を含めた各国の関係者達に金を払い口裏を合わさせ、また一部アマチュア天文家に成りすましたCIAなどの世界中に潜んでいる工作員やその協力者達に自分達も確かに目撃したと言わせるなどして世論を操作し状況証拠を固める等の裏工作を行なわせたとしてもまだまだ莫大な上に自由な金が捏造を計画した一部の者達の懐へと収まる事になります。案外にケネディ大統領の暗殺もこの辺りに関係があるのかも知れません。こう考えるなら、なぜアポロが捏造ならボロが出る可能性があるにも関わらず何度も月に行ったのかという疑問も、何度も行なえばその分だけ予算が計上され計画者達に金が入る為という単純明快な理由となります。ベトナム戦争で予算の余裕が無い中莫大な予算を投じて計画されたアポロ計画は、それが終了した年が1972年とアメリカがベトナムから撤退した年と同じ年であった事からもベトナム戦争と密接に関係していたとも言われています。ソ連側からすればこの密約はアメリカのアポロ計画の嘘を黙っているだけでアメリカの軍事力を封じ自らの勢力圏を拡げる事が出来るという殆どメリットしかないような話なので(警戒こそすれ)乗らない理由はありません。それでもソ連は密約を結んだ当初はベトナム戦争後、少なくとも共産圏を拡大した後にでもこの嘘をバラすつもりだったかもしれませんが、しかし先に述べたように実際に無人機を飛ばし月面映像を用意し全世界に中継するという周到さを見た事から黙り続ける事にしたとも考えられます。(またソ連側にも宇宙開発について「嘘」があり、この密約はアメリカもアポロの嘘の代わりにソ連側の嘘を黙り続ける事も含まれていたのかもしれません。例えば「月の石」など。当時の技術で無人機が月に着くまでは兎も角、そこから無人機が地球に帰ってこれるのかは個人的に疑問である。ちょうど2019年1月に月の石の一部が元々古代の地球にあった石である可能性があるいう発表がありましたが、月の石は案外地球上で合成、或いは隕石などから採取されたものなのかも知れません。そしてアメリカも「同様の方法」でそれを得たと。)ベトナム戦争後、アメリカは軍事介入に消極的となり、対してソ連は軍拡を行い世界中で共産圏が拡がっていきますが、
しかしその為の膨らんだ軍事費等にソ連の経済は次第に圧迫されていき、結果的にベトナム戦争の勝利とその後の共産圏の拡大はソ連崩壊へと繋がっていきます。実際に上記のような密約があったとして、「虚」を取ったアメリカが最終的に勝ち、「実」を取ったソ連が負けるというのは何とも奇妙な結果に見えますが、しかしこれは金融などの虚業の方が強い力を持つ資本主義(というより貨幣経済)的な結果であるとも言えるのかもしれません。このような密約がもし本当に結ばれていたとしてアメリカがここまで計算していたかというと、少なくともこの密約を提案した者の中の一部はそこまで計算していたよう思われます。もしそのような人物がいるならその人物達の少なくとも何人かは十中八九ユダヤ系でしょう。この密約は一見殆どデメリットしかないように見えながら、しかし結果的にアメリカに冷戦での勝利をもたらし、またアポロ月面着陸という嘘の栄光はベトナム戦争の敗北による国民のアメリカへの失望を幾分か和らげ、また、軍事的敗北はしかし世界一強大であるが為に増長する恐れのある米軍の政治的な力を弱めて御する事に役立ち(湾岸戦争やイラク戦争等での米軍の不祥事も、その為に故意に起こされた面もあったのかも知れません)、またアメリカの政治権力の中枢に巣食う腐敗した者達に対しても莫大な利益を彼らに与える事で彼らを手懐け手駒にする事に役立ちます。この密約は、もしあったのならこれらの一見して判りがたいメリット故に許容された面があったのかもしれません。或いはアポロ計画自体はじめから全部その為に計画された可能性もあるのかもしれません。
共産(社会)主義かどうかは不明で、また正確な名称も以前と完全に同一ではないだろうが、「ソ連」という名称(略称)は復活する可能性がある。そしてもしそうなった場合、アメリカとソ連の間で直接的な戦争が起こり、その結果アメリカは負けて以後二流国家に成り下がるだろう。(なお、この予言の元ネタは私ではない。またこれを書いている私個人には予知能力やその他霊的な能力などの「明確な」特殊な能力は一切無い事を書いておきます)。ただし、もしこの通りになったとしてもそれはソ連(ロシア)又は共産(社会)主義がその後の世界を制するようになるという意味では無い。それは経済的な理由が主だが、しかしそれとは別にその頃にはもはや世界はイデオロギー(思想主義)では制御出来ない状態となっている為でもある。その敗北の後、アメリカは土地の荒廃と「品種」と「人種」の混乱によって、もう二度と以前のような強さを取り戻す事は出来なくなるだろう。そしてその時(或いはそれ以前から)、それまでアメリカで暮らしてきた者達の中から多くの者たちが、アメリカ自身を象徴するインスタント(大量消費)文化そのままにアメリカという国そのものを「使い捨てる」だろう。

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23田布施 蟻巣 2019/12/30 05:49
コーランはイスラム教の聖典であり、故にそれが燃やされたり破り捨てられたりした際にイスラム教徒の方々の中には怒って暴れる者も現われ、時にそれは殺人にまで発展する事がある。しかしイスラム教徒にとって大切なのは物質としての書ではなく、その中の教えそのもののはずであり、大切な教えが書かれた書が粗末に扱われて怒る気持ちはわかりますが、しかしもはや世界中にコーランが存在しムハンマドの教えが完全に失われる恐れの無い現在において、その為に暴れ、まして殺人まで犯すというのは、コーランと言う物質の書そのものを神に見立てて崇めているようなものであり、その心性は彼らが禁じる偶像崇拝者となんら変わりがないように個人的には思われる。物には霊が宿る。悪霊も多く宿るが、中には神霊(天使、仏)が宿る事もある。悪霊が宿る偶像は確かに破壊しなければならず、また争いを好み人を貶める事や欲望を貪る事をよく行う穢れた心性の下では悪霊が宿る事が多いが、しかし物に宿り働かれる神霊もある為に何でもかんでも破壊すればいいという訳では無い。また別に宗教的な意味で崇拝されている訳では無い単なる絵画や写真や芸術品や歴史的遺物やその他の芸術作品の類まで「全て」禁止し破壊しようとするなどはむしろ天国から遠ざかる迷妄の極みだと言えるだろう。イスラム、キリスト、ユダヤ教などで偶像(或いは特定の対象物)へ拝む事が禁止されているのは、西洋人や中東人達の心性に依る所も大きいと思われる。また「祈り」(礼拝や供養という形式そのものの意味では無い)は、なるべく主神にだけ(主神に向けて)行うべきであるという事も確かなようである。
とかくイスラム教の開祖ムハンマドの言行を元として作成されたイスラム教の法「シャリーア」の一般的な解釈によれば、強姦は加害者が罰されるべきであるとされている。しかし多くのイスラム国家は何をどう曲解したのか女性が加害男性を訴える際にはイスラムではその証明には4人以上のムスリム男性の証言が必要だという事にしているようであり、そして強姦などは大概人の居ない場所で行われるのであり、つまりほぼ全ての場合において強姦された女性は訴える事も出来ずこれらイスラム国家では逆に女性側が男性を誘惑したとして被害者の女性が処刑されている。強姦の立証に四人の男の証言が必要、などという訳のわからない法律はムハンマドの教えにも根拠が無い上に、脳みそか良心が少しでもあれば欠陥があるのはすぐにでもわかるはずであり、このような法がこれらイスラム国家において大きく問題視される事も無く受け入れられているなどは、全くムスリム共が最も大切な内面のジハードを怠った結果としか言えず、またこのようなムスリム共の中にはイスラムの中の寛容の教えや節制の教えを全く無視し、イスラム教の女性でなければ強姦しても罪にはならないという考えの者達までいる始末であり、果たして本当に神の名を汚しているのは誰なのかという話である。
イスラム教の多くの国や派閥ではイスラム教を抜ければ死刑になるが、寛容の教えの通りにコーランにもムハンマドの言葉にもそのような事を命じる言葉は無い。組織維持と自分達の権力保持の為のムスリム共の保身と欲望から来る単なる曲解の賜物である。女性もあそこまで全身を隠せなどとはコーランにもシャリーアにも書いてはいない(男性を欲情させる魅力的な部分を隠せとはある。最も厳しい所では「目」だけ出す事を許しているがしかし「性癖」など多岐に渡り当然女性の「目」に欲情する男もいる訳で男の性癖の全てを考慮すれば目も含めて全身を完全に隠しきらなければならず最も厳しい所でさえもイスラムの教えに反しているという事になり現実的ではない。また服装自体のフェチや服の上からわかるスタイルや更に女性である事自体で欲情するような男にも対処しておらずこの教えは男が欲情して起こす性犯罪や不適切な関係を「ある程度」抑える為のものであり女性に徹底して守らせなければならない程厳密に規定された教えではない。最低限性器である胸股尻だけを隠していればよく、後は太股や胸元など一般的に男の視線を集め易い部位やまた身近な男の(視線や噂などで判明している)性癖に該当する部位を隠すぐらいでいいだろう。また、男達に(何らかの手段で)欲情さえさせなければ別に素っ裸でもいいという事でもある)
イスラム教に入れば天国にいけるというのなら、イスラム教徒の国といいながら同じイスラム教徒ばかりを殺し悪逆の限りを尽くし、神の為といいながらその実、イスラム国家ではない某国(アメリカ、イスラエル)等がイスラム教を内部から破壊する為に使っているに過ぎないテロ国家のメンバー達も天国にいけるという事になる。イスラム教徒達もせっかく天国にいってもそこでまたテロ国家のメンバー達に再び会う事になるとなれば堪ったものではないだろう。シャリーアといえばムハンマドは音楽は悪魔の誘惑という言葉を遺しているとされその為に日本のイスラム教徒の一部の中にも音楽を聴くことや楽しむ事を禁じている人もいますが、しかしシャリ―アの記述は膨大で捏造も多く音楽を悪魔の誘惑と言ったこの記述も捏造である可能性はあり、またムハンマドは自身も弟子に自身の性事情をあけっぴろげに話したり下世話な話もする程には「くだけた人間」であっただろう為にこの音楽は悪魔の誘惑という言葉も「音楽は他の事が手につかなくなりまるで悪魔に誘惑されるが如く魅力的なものだ」と一種の賞賛の意味で弟子に語ったものが要約されて伝わったものである可能性もあり、(先の解釈が正しいかどうかは兎も角として)シャリーア(とコーラン)の中には他にもこのようにニュアンスの違いで本来の意味とは違って理解されているものが多数あると思われる。音楽は確かに人の人生を狂わせる力があり、また現在の音楽は(特に攻撃的な音楽は)悪魔的な力がかなり強く働いている面があるが、
兎角天国に昇るには地上で喜びを見出す事が必須である為、(どんな)音楽も徒に否定するべきではないでしょう。そもそも音楽を否定する教えについては、イスラム圏の多くの国でも伝統的なイスラム音楽があったりアーティストの音楽活動が認められていたりとそんなに重視はされていないようですが。各地でテロや戦争を起こす侵略的なイスラム過激派達は、自分達はムハンマドと同じ事をやっていて、最もイスラムの教えに忠実であると思っている事だろう。だが、彼らは最も重要な事を無視している。ムハンマドが侵略は行ったのは神からの直接の命令や許可があったからであり、神の直接の命令や許可なくば侵略を行わなかったという点である。コーランの教えに従っていると彼らは言うだろうが、しかしコーランには寛容の教えの方が多く、攻撃的な教えにのみ従っている者達は、しかし大部分を占める寛容の教えに反している為に、神の教えの一部分に従っている一方で、同時に彼らは神の教えの大部分に反してもいる。故に、神からの直接の命令や許可なく、ただムハンマドの行動の表面だけを真似ているだけの彼ら侵略的なイスラム過激派達は、最も肝心な部分が欠けている「似て非なる者」、全く以って「単なるまがい物」の「偽イスラム教徒」であると言えるだろう。これらのような旨の事を、世界中のイスラム移民達やイスラム国家の者達に広めてみるのも、あるいはいいかも知れません。先に書いたように直接に言うのは危険なのでなるべくは避けるべきですが。コーラン婦人章第29〜30章において明確に自殺は禁じられているにも関わらず、イスラムテロ組織では自爆テロという名の自殺が行われ続けている。その為、イスラム国家やイスラム系住民や移民のいる地域、またイスラム系組織の自爆テロの標的となった国や地域において、各メディアやテロの標的となる可能性のある施設内や街中でのアナウンスや広告などにおいて、アラビア語とその国の言葉などで、「コーラン婦人章第29章、第30章において明確に自殺は禁じられている。自爆テロも行えば必ず死ぬ故に自殺の一種である。それを命じる者達が神の御心に叶っているとでも思うか?その者達に従い悪を行う者達が天国に行けるとでも思うか?」というような意味の文言をテロ防止の為にそこら中で流し続けてみるも或いはいいかも知れません。

聖書に「殺すなかれ」とあるにも関わらず戦争(しかも侵略戦争)を行い、その矛盾を棚上げし続けてまた次の戦争を行い続けている時点で今のキリスト教徒もユダヤ教徒も大半は駄目だろう。愛と平等を説き教義的には最も穏健な宗教である「べき」はずのキリスト教のカトリックでさえ、神父による「伝統的な」児童への性的虐待がアメリカやヨーロッパやオーストラリアなどで2002年頃から大々的に報道されて問題視された後も尚バチカンはそれを隠蔽しようとし、その上糾弾された神父が南米などに渡って今もそこで同じ事を繰り返している事を半ば黙認しているように組織的な腐敗も未だ根強い(2019年7月には、過去のバチカンに住んでいた少女の失踪事件の調査の過程で、バチカン内(チュートン大学地下)から身元不明の数千本の人骨(と言っても全てが違う人の物で無いなら数人から数十人分だが)が発見されている)。闘争を好む「傾向」、或いは攻撃的になり易い「傾向」があるという「民族的な気質」から、或いは個人においては暴力無しでは生きられない状況等その置かれた境遇から、また国や民族などの共同体においては周囲に侵略国があり戦争を行なわなければ国や民族が滅ぼされるなどその地政的な側面からそれぞれ暴力や闘争と深く結びつき、そしてそれを肯定しなければ生きていけない人々について、彼らを(神にとっての)「正しい道」(天国)へ導く為には、神の教えの中に戦争や暴力や闘争を肯定する教えを入れてその在り方を一旦肯定しなければ、「それ以外の神の教え」を彼らに肯定させ更正させる事などは到底出来ない事である。また実際「奇跡」というものが原則として禁じられているこの現界において国や宗教、または社会や文化や科学などの「維持や発展」の為には、どうしても「武力」を用いて「闘争」を起こす必要があり、旧約聖書(タルムード)やコーランの中に闘争や殺人を肯定する教えがある理由の内の幾つかはこれらの事からである。しかし「殺すなかれ」とあるように武力や闘争は原則として神にとっては悪であり「間違った物」であり、
故に形骸化し不必要にこの闘争を肯定する教えに拘る人々をより神の方へと「近づかせる」為にキリスト教が出現し、そしてキリスト教が形骸化し本来その教義において強く否定するべき「暴力によって」侵略と略奪行為に走ったキリスト教の暴走からそれまで発展してきた科学と文化を守る為に再び闘争が必要となった事でイスラム教が出現した。「剣を出す」とは(幾つかの例外はあるだろうとは言え)原則としてキリスト教徒「が」剣を出すという意味ではない。ナザレのイエスがそうしたように、敵対する者達に剣を「出させる」という意味である。その「悪性」を「暴露させる」為に。しかし結果として白人キリスト教徒達は逆に自ら「剣」を出してその悪性を暴露し世界中で侵略と略奪の限りを尽くしてキリスト教の名を汚してきたが、ナザレのイエスが負っている罪の十字架には恐らくこの悪名も含まれている。黙示録ではイエスの再臨は救う為ではなく「さばく」為であるという。アラビア半島周辺の人々は古来から闘争と強く結びつき、その攻撃性という抑えがたい一種の悪性を神は(抑え難く、また無理に抑えるよりは利用する方がまだ容易かつ効率がいい為にいっそ)一時的に、又は例外的に許しそれを現界を動かす為に利用して来た。故に彼らアラビア半島やそこに出自を持つユダヤ人やイスラム教徒などは世界を動かす為に神に選ばれた「選民」といえ、また世界を動かす為の(白人達等の活動を「内外」からそれぞれ「制御」する為の)「神の道具」であると言える。「天のしるしの時」は既に過ぎ去った。「建国の時」のように「事を起こす」のなら「しるし」が現われるその時かその直後に行なうべきだったが、「彼ら」は「周到に徹するあまり」その機を逸してしまった。それ故に、「イラン攻略」は泥沼と化していくだろう。北朝鮮を今仕留められなかったのも失策である。恐らくそれも「予定調和」だろうとはいえ。

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22田布施 蟻巣 2019/12/30 05:49
もしもこの世界に「見えざる意思」が無いのなら、祈りや儀式と言った宗教的な行動ほど無駄なものは無く、むしろ殆ど害悪でしかないと言えるだろう。何故ならこれらは時に生存が困難になるほどの非合理的な理不尽を人々に強い、またその異様さや排他性からそれ以外の人々に嫌悪感や忌避感等を抱かせる事で迫害等を招き、また知恵こそが最大の武器である人間から相当な割合で合理的な思考力さえ奪い、何より祈りや儀式に時間を割いた分だけ確実に、人が競争に勝ち残る上で最も重要な物事を学び考える時間や身体や技術を鍛えて磨く時間や社会の中で自らの勢力を拡げる為の時間と機会を多かれ少なかれ奪っていくものだからである。宗教的な戒律等も同様であり、それを守った為に飢え死にする事や子を残せず血を絶やす事なども少なくは無い。宗教に陶酔した者達同士の閉鎖的な団結力と非論理的な攻撃性、凶暴性を生存の上での大きなメリットと考える事は出来るように一見見えるが、しかし例えば発生した疫病を解決法が見つからないから神の怒りだなどと言って放置し続け集団内で疫病が蔓延し幹部だけがそれから逃れて優遇され続け結果として誰も頑なに対処しようとせず疫病が集団の存続が不可能なレベルまで蔓延したり、教主が財産を全て捧げよと言って信者が尽く全て捧げ教主以下一部の幹部を除いて信者とその家族の多くが破綻しやはり宗教集団そのものを存続困難にさせそこに属する者達も血が絶えかねない程その人生に支障をきたすなど、陶酔している上に閉鎖的である上に各種の制限的な思想の為に一般に宗教集団やその信者達の現実における重大な問題に対する対処能力や技術的な発展性はそれ以外の集団に比して著しく低く、また攻撃性、凶暴性から周囲へ攻撃を繰り返し反発と迫害を自ら招き、更に異なる宗教思想同士でも無為な争いを無駄に人々に繰り返させ続け個人のみではなく一族や国の存亡にさえ大きな悪影響を与える事も珍しくはなく、その団結性、攻撃性を考慮してもやはり個人のみでなく集団としてもメリット以上に致命的となり得る巨大なリスクを抱えているように見える。そしてそのメリットに成り得る集団での団結性や攻撃性さえも、宗教化されていない集団でも(しかも宗教的な盲目性を排した状態で)持ち得るものであり、宗教特有のものという訳では無い。
果たして現在の進化論では環境に対して大きなデメリットが無ければ自然淘汰の対象にならないという話であるが、しかしどう見てもこれら宗教的な行動や思想については無害処かもはや普遍的とさえ言えるほどに個人の生命や集団の存続にとってとてつもなく巨大なデメリットがありしかもそれがメリットを大きく上回っているようにしか見えず、にも関わらずこのような宗教的な行動や思想は、原始的な狩猟採取生活を続ける民族達さえ含めて世界中の何処の民族にも大抵は存在しているほど自然淘汰されずに人類という種に普遍的に備わっている。世界中の、それも原始的な生活を続ける狩猟採取民族達さえ持っているという事は、この宗教というものは、これは原始的な文明が発生する以前か、少なくともその発生の前後から既に人々の中に付随していた習性であると推測できるが、しかし弱者や愚者まで広く保護されるようになった為に自然淘汰が上手く働かなくなった文明発達以後なら兎も角、文明以前や原始的な文明の黎明期のように野生の状態に近い状態で自然淘汰が起こり続ける中、合理性の欠如から猛獣や飢餓などのみでなく、疫病や災害などへの対処を誤り易く個人どころか集団全体を全滅させる恐れさえあったこの宗教という習性が人々に広く残り続けた事は、神や霊といった見えない意思や力の存在、及びその助けを否定するならば、一つの大きな謎と言えるものであるように思われる。
現在アメリカやヨーロッパ等では(白人達の)キリスト教離れが進行しているそうである。キリスト教国家は確かに歴史を見ればこれまで世界中で略奪と虐殺の限りを尽くしてきたが、しかしキリスト教自体には「殺すなかれ」「奪うなかれ」「隣人を愛せ」などという教えがあり本当にこれらの国がキリスト教の教義に忠実なら魔女狩り(及び異端審問)もインディアンやアボリジニや中南米原住民やアフリカその他世界中の原住民達の虐殺も植民地支配も奴隷貿易も十字軍による侵略戦争なども起こってはいない訳であり、これらの行為の前には大概相手をキリスト教に改宗させる為というような「口実」はよく使われていたが一生奴隷としてこき使われたり虐殺されては改宗もクソも無くそんなものは単なる屁理屈でしかない。果たして「異教徒や土人は人間じゃないから殺してもOK」「隣人達から奪い尽くし殺し尽くす事はむしろ自分達の愛故だ」などというような事でも思っていたのか自分達の行いと教義との間のこの辺りの整合性について当時これらの行為に加担した白人達はどう考えていたのかは定かではないが、これら過去の白人国家にキリスト教という博愛を説く宗教が蔓延していなければ、戦争や侵略が日常的で世界中に植民地を持っていた過去のヨーロッパの国々ならわざわざ「建前」などを考慮する必要も無く「白人以外は人間ではないから何をしてもいい」などともはや口実とさえ言えない屁理屈だけ述べて世界中での略奪と殺戮を正当化させていてもおかしくは無かったように思われ、これら白人国家はキリスト教という「口実」がなくてもやはり儲ける為や権力の為や集団ヒステリーやらでどの道これらのような事をやらかしていたよう思われる。魔女狩りに関しても魔女(魔術師)という概念やそれを恐れ忌避する傾向は土着宗教どころか宗教化する以前の迷信や各地の都市伝説などにも見られるものでありその起源もキリスト教とは関係がなく、これらの国々で迷信が広がり集団ヒステリーが起こればキリスト教が無くともアフリカの迷信深い地域のようにやはり似たような事が起こっていた可能性は高いだろう。「キリスト教があったせいで今まで世界中でこれだけ悲惨な事が起こり続けていた。」というような事はネット上などで無神論者などからよく出る言葉だが、キリスト教離れが進む今、それを捨てた白人達が今後「本当にマシになるのかどうか」は、恐らくそう遠くない内に見れる事になるように思われる。

イスラム教の聖典であるコーランにははっきりと異教徒を殺せと書いてあり、またイスラムの開祖でありコーランを記した預言者ムハンマド自体も戦争によって実際に異教徒を殺している。だが、コーランの中で異教徒に対し攻撃を促す部分は少なく、大部分の教えは異教徒に対しても「寛容」を説いたものであり、信仰を無理強いする事を禁ずる教えもコーランには存在している。イスラム教の多くの者が、この寛容な教えと攻撃的な教えの間で揺れている。ここで一つその均衡を「平和な方」へと傾ける提案をしようと思う。
神話や神の言葉とは複数の意味を持つ事が多く、つまり「密意」があるものであり、それはコーランにおいてもおそらく例外ではない。故にコーランの中の異教徒を殺せという教えもまた、言葉そのままではなく違う意味に取る事が出来る。つまりはコーランでいう異教徒とは自身の心の中にある神の教えに反し冒涜しようとする欲望なり悪意なり弱さなりの「自分自身」であり、異教徒を殺せとは自身の中のこれら悪心を殺せという意味に取れる。異教徒が喜捨を差し出すなら許せとは、喜捨を差し出すとは自身が起こした神の為の行動や、教えを守り自身を律し続けるなどの神に捧げた具体的な行動を意味し、しかし自身を責めたり我慢し続ければ心は辛くなり時に耐えられなくなるから、ある程度神の為の行動や教えを守る、つまり喜捨を差し出したのなら、たまには自分の中の欲望や弱さという異教徒に自由を許してやれよという事を意味しているとも取れる。また、同じようにメッカとは心の中の聖地、つまり心や記憶の中の信仰の礎たる侵され難い心の聖域という意味に、ムスリム(女性の場合ムスリマ)とはイスラム教という宗教団体に所属している者という意味ではなく、真の神の意に従い行動する者という意味に、啓典の民とは単にユダヤ、キリスト教徒という意ではなく、神の意を直接は汲めないが預言者達の残した聖典からそれを断片的に知れる不完全なムスリムやムスリマという意味にそれぞれ取れる。このように考えれば、攻撃的な教えは自身の心の中の戦いという平和的な教えに解釈できる。この解釈を単なるこじつけだと、特にテロ組織の者達や攻撃的なイスラム指導者などは言うだろうが、しかしジハードとは本来戦いを意味するのではなく神の為の努力を行う事を意味し、またムハンマド自体、戦争は小さなジハードで心の中の戦いこそが大きなジハードだと心の中の修跋をこそ重要視していたらしい事からも、この解釈はイスラムの精神に合致した解釈であると言え、この解釈を完全に否定し、攻撃的な教えをそのままの意味でしか認めぬ者達は、思慮浅く神の意を汲めぬ愚か者であると言えるだろう。
重要なのは、攻撃的な教えにも「裏」があるという事を示す事であり、つまりは戦いの際、攻撃的な教えをそのままにとるかこの解釈をとるか、「今の場合どちらが正しいのか?」と常に彼らに思索する余地を与える事が出来るようになるという事であり、つまりこの解釈は攻撃的な教えを根拠にした戦闘を僅かにでも正当化し難くし、また相反する教えの間で迷う人々を少しでも戦いに向かわせ難く出来るという事である。是非とも世界平和の為に今日本で頑張っている左の方々にはテロ組織とは言わずとも欧州などのイスラム移民らの前などでこの解釈を国会デモのように声高に主張して頂きたいと言いたい所ですが、左の方々は自分達さえ非武装ならば攻撃されないと信じているようですが、十中八九殺されるとは言わずとも攻撃はされるだろう為止めてください。ムハンマドが戦ったように、私はイスラムの攻撃的な教えが全くこの解釈の通り内面の戦いのみを指すとは考えていない。例えば右頬を打たれたら左頬を差し出せというキリストの教えを言葉そのままの通りに解釈し、無抵抗主義を貫いた為に「アメと鞭方式」で悪人に「調教」されて最後には魂まで悪に堕ちるキリスト教徒のように、或いは、「悟り」を単なる精神的境地、或いは思索や瞑想で至れる単なる思想の一種など、自己の内面だけのものだと勝手に解釈し、外の問題に対峙する事を避け続けた結果全く現実に即さない机上の空論に到達し、勝手に悟ったと思い込んだまま無意味な自己満足の中で死んでいく仏教関係者達のように、内面的な戦いばかりでも人は道を誤るのであり、外敵と戦う、というより外の問題と対峙しなければならない場面は確かにあると思っている。とはいえ、今のテロ組織などのやり方は曲解も甚だしい間違ったものだと言えるだろう。

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21田布施 蟻巣 2019/12/30 05:49
進化によって首の長くなったキリンは、その長い首の果ての頭まで血液を送れるほど強靭な心臓を「同時に」持たなければならない。でなければ常に脳に十分な血液が回らず環境に対して有利になる処か生存する事さえ侭成らなかっただろう。無論、心臓が先に強くなり後で首が長くなったという事は考えられるが、しかし進化前の小さな身体に先に強靭な心臓が備わったとして、(ワンダーネットの為に)脳への影響を排除したとしてもその肉体には「極端な高血圧」の為に様々な支障が生じる為、通常の個体よりもその生存率は格段に落ちるはずである。つまり首と心臓の「最低でも二つ以上の変化」が「ほぼ同時に」進行しなければキリンの進化は起こり得なかったが、この二つの変化はそれぞれ別の突然変異であり、ほぼ完全にランダムな突然変異の内上手く補い合えるこの二つの変化が殆ど同時に起こったという事になる。また、支障が出ない程度に徐々に首と心臓が変化していったという考えも、現在キリンとその先祖の近縁種であるオカピの中間の首の長さの種が化石でさえ発見されていない事から支持されず、どうにもキリンの首と心臓の変化は「一気に」進行したと見るのが自然のようである。そもそもダーウィンが「突然変異」という概念を持ち出したのも、多くの生物でこのような中間種が不在であったり極端に少ない事に由来している。普通「成功作」を造る為にはあらかじめ「先に計画を立てて」いなければ「大量の」失敗作や試作を経なければならないものであり、そしてランダムな突然変異頼りの進化で中間種という「試作」や「失敗作」を飛び越えていきなり「成功作」が出来るというのも何とも解せない話であるが、それでも遺伝子コードの数で見ればヒトゲノムでも二万五千個程度であるので環境要因や不運な事故や他の遺伝子病や奇形の併発など「他の要因」を「無視するなら」この組み合わせの変異が同時に発現するのは十分起こり得るようにも見えるが、しかし遺伝子コードは一つだけで数千もの塩基配列から成るほど膨大な分子数を持つ事は珍しくないらしく一つの遺伝子コードの「変異の仕方」だけを見ても莫大な種類になる為、「生命がこれほど多様な通りに」突然変異の組み合わせの数も天文学的な数となり、とても「短期間」或いは「少ない試作」でこの最適な組み合わせの変異を同時に引き当てられるようなものではない。
そしてこのような「二つ以上なら問題無いが個々に変異が起きた場合は生存に関わるような変異」はキリンの首と心臓だけではなく、一般に心臓や肺などの内臓と肉体の一部の形質、或いは肉体の大きさそのものが「劇的に変化」する場合にも当て嵌まり、所謂「奇形」が「成長期前の段階」から通常の個体より早死にする傾向にある事もこの事と関連しているように思われる。他にも消化酵素の変化によってそれまで食べられなかった物が食べられるようになった代わりに従来の食物が消化し難くなった場合など劇的に食性が変化した際それまで食べていた食物ではなくそれまで見向きもしなかった物を求める「新しい本能」が必要となる場合も、新しい消化酵素だけ、新しい本能だけしかそれぞれ現われなかった場合は十分な栄養を取れず致命的であるし、より一般的に、獲得した新しい肉体の形質とそれに適した新しい本能についてもそれぞれ一つのみが変異した場合は致命的となる事は多くあるように思われる。極端な話、足や手などが「水かき」や「ヒレ」に変化しても泳ぎ方などの「水中で暮らす為の本能」が無ければただ邪魔になるだけで上手く動けず自然界では致命的であるし、また肉体がそのままで「水中で暮らす本能」だけ得ても体が水中生活に適していない為に溺れるリスクや体温を失い衰弱し易いリスクなどの為にやはり致命的となる。キリンは偶蹄類という「牛」などの仲間であるが、「クジラ」もまた偶蹄類(鯨偶蹄目)であり、水陸両生のアザラシやアシカなど(ネコ目鰭脚類)よりも実は「牛」の方が種としては近い。ただクジラの場合、現在では何故か(海という生息域を選び放題な場に棲み、また「収斂進化」があるにも関わらず)アシカなどのような水陸両生の種は消えているが(これも中間種の不在の一例と言える。一応カバがそれに該当するが、しかし淡水のみに生息する上にヒレも無く、アシカやアザラシのような形態とは程遠い)しかし過去には確かアシカのような陸から海へと渡る「中間種」が存在していたと確か記憶している。このように「牛」は、キリンともクジラとも近い種であるが、現在「牛」は有史以来「家畜」として「世界中」で広く飼育され続け、特に20世紀以降は人口爆発に伴って増加し続ける牛肉等の需要を満たす為にその飼育数も爆発的に増え、恐らく20世紀に家畜として誕生した個体数だけでもそれ以前に地球上に誕生した祖先も含めた全ての野生種の牛の総数よりも多かったと推測される。
加えて家畜という「商品」として飼育する為に病気を防ぐ為の抗生物質等や餌代を浮かせる為に本来の草食の食性とは違う肉などを混ぜた飼料が与えられ、また飼育下の不自由な環境からその肉体には野生種よりも多大で「不自然な」ストレスがかかり続けており、そして生物一般について肉体にストレスがかかればかかるほど「遺伝子異常」は発生しやすいと言われている為飼育環境下の牛は野生種よりも「遺伝子のエラー」、つまり「突然変異」が起こり易いという事となる。実際遺伝子ではないが肉骨粉という牛肉を混ぜた飼料を与えられ「共食い」をさせられ続けた牛の中には体内の「たんぱく質」の一種のブリオンが「変異し」ウイルスのようにその変異を正常なブリオンにまで伝播させて増殖して脳をスポンジ状に侵す「狂牛病」(BSE)が発生している通り、飼育下の牛が「生物として何らかの異常」を生み出し易い環境にいる事は事実だろう。このように過去の野生種の牛達よりも多く誕生し、また「異常」が起こり易い環境下に家畜牛達は置かれているにも関わらず、しかし一向に家畜牛達の中からキリンやクジラの先祖のように「牛の首」(や脚)が極端に(そして均等に)長くなったり、また後脚がヒレになったというような「突然変異」が起こったというような話は聞いた事がない。無論「奇形」は度々誕生しているが、しかしそれは顔の一部、又は全体が大きく歪に(非対称、非均等に)変形していたり、脚が多かったり欠けていたりまた頭が多かったり、或いは背骨などの身体全体が大きく歪んでいたりと、これらの歪(非対称、不均衡)な奇形の多くは生存が困難な程肉体の機能を大きく損ない過ぎてとても進化に繋がるようには見えず、実際に生物全般を見渡してもこれら歪な奇形が進化に繋がっているような姿の生物はごく僅かである。この「突然変異」は「遺伝子の異常」で起こるものだが、しかしそのような遺伝子の異常を語る時、引き合いに出される例の多くはこのような歪な奇形である。そしてこれは多くの場合、進化を齎すような「整った変化」とはかけ離れているように見え、そしてそれら「整った変化」よりも多く引き合いに出される通り「整った変化」よりも遥かにその「発生頻度」は高いように見える。進化論信者の方々にはこのように飼育場という効率的かつ大量に世代交代が起こる上に遺伝子変異も自然環境より起こり易いという絶好の場があるのだから、
進化に有効な突然変異が有意な頻度で起こるのかどうか是非とも存分に研究して頂きたいものだ。人類が品種改良として作物や家畜やペットなどを「意図的」に「選別」する事によって「進化」させ続けた通り、進化というものは「世代交代」によって起こり、そして「自然淘汰」と「突然変異」が進化の「一因」である事は事実である。しかしそれはあくまで「一因」でありそれだけでは決して足りず、人間が品種改良を行なうように「意図的に進化の方向を操作する存在」が絶対に必要である。突然変異も自然淘汰も「操作」の為の「手段」や「過程」にしか過ぎない。しかしその存在を物質的な機構で説明する事は恐らく出来ないだろう。生物の願望が進化に反映するという考えを物質世界の法則のみで説明しようとする場合、その願望の「微妙さ」や、また人間がスーパーコンピュータを使ってようやく解読出来る程の遺伝子コードの難解さと膨大さがその大きな壁となる。生物がその意思を遺伝子に反映できるとするなら、まず生物の願望なり思考なり、或いは現在の問題に対する最適な変化なりを細胞内の小器官が脳やコンピュータの如く読み取る事が出来、かつ、その変化をもたらすには膨大な遺伝子コードの何処を変化させれば可能なのかを小器官が把握していなければならない。分泌ホルモンの種類等で区別されるようなパターン化した定型的な体内の変化や体外からの単純な刺激なら兎も角、生物の願望という「微妙な反応」や、問題とその解決策の関係が単純ではない状況(飢餓の解決策として首を伸ばす等)を細胞より小さな部位へ正確に伝える手段も、それを理解し適切な遺伝子を変異させる極小の判断機構もあるとは考え難く、実際そんな手段や機構があればとっくに発見されている事だろう。
化学物質、その中でもとりわけ生物にとって必須な酵素に限定しても最も単純なものでも百を超える分子量を持ちそれらが「立体的に組み合わさって」生物は成り立っており、その中の僅かな分子が別の分子に置き換わったり「組み方」が少し変わるだけで「無害な物」が「猛毒」へと変化する事があるほど酵素の性質は繊細でまた複雑であり、この複雑で微妙な酵素の反応が複数種組み合わさって働く事によってはじめて生命は成り立つ。フレッドホイルという博士は単純な鎖状のアミノ酸(ポリペプチド鎖)が結合して最も単純な酵素として機能する為には10の39乗もの回数の試みが必要であり、また、この十倍以上もの大きさを持つ酵素の場合は10の390乗もの試みがあってはじめて機能し、更に酵素は一種だけでなく単純な単細胞生物でも2000種、ヒトのような高等生物では十万種以上の酵素と関係しており超天文学的な数値となると述べており、生命が発生する確率は洗濯機の中にバラバラの時計のパーツを入れて回したら偶然全てのパーツが組み合わさって時計が完成するような確率云々という話も酵素などの生物の中で働く物質自体が発生する確率とその(熱に弱い故に稀少な)物質が生命が機能するだけの量と種類が一所にそろい更にその物質間のバランスが秩序を持ち、そしてそれが持続され続ける確率が現在の進化論のようにどこまでも偶発的に起こったと考えるなら超天文学的な極めて低い確率となる事に由来している。生命自体の誕生もその後の進化さえ、偶発的な事象のみに依るとすればこれほどまで低確率となるのだから、将来的に巨大なパラダイムシフトが起こる可能性も無くは無いとはいえ、生命の誕生と進化の背後には「何らかの意思」があると思う事はむしろ自然な帰着であるよう私には思われる。

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20田布施 蟻巣 2019/12/30 05:48
自己相似系の立体に光子が閉じ込められるのは、恐らく体積に比しての表面積の巨大さと複雑さ故に、一般的な物体に比べて「場として」光子と立体が「相互作用」(「語弊」があるが)し切る事に「ラグ」が生じる事に由来すると推測される。
光速を超え、空間と時間を無視して瞬時に伝達される「量子もつれ」は、恐らく「圧縮された時空」も無視する。
重力子は恐らく重力子同士をも縛る。互いにその働き「自体」を「鈍め合う」。
大規模な太陽フレア、或いは高高度核爆発によるEMP(電磁パルス)等による突発的な電気製品、電気設備の大規模な麻痺及び破壊への対策として、「電気以外」の媒体によるエネルギー伝達や制御回路や駆動系等を模索する必要があるように思われる。そしてその候補として光(電磁波)、即ち「光子」を直接媒体として用いたものが挙げられる。「光子」の励起(「れいき」)の前後での系全体のエネルギーは「不増不減」である。
円周率やネイピア数や根などは、「関係性」より自明的に定められる無理数である。どんな関係性からも、関係性から求めた数同士の操作からも求める事の出来ない「真のランダム」とも言える無理数(無限数列)などあるのだろうか?
学問において扱える論理的な操作は全てこの時空下における三次元以内の空間内で表現できる通り、人の「論理」とはいずれもこの時空下においての「集合」の概念を礎にしている。ではトポロジー的な時空においては?
「状態」である我々は、それが例え宗教であろうが科学であろうが哲学であろうが何にしろ、どこまでもただ「状態」を(抽象的なものも含めた)「別の状態」に置き換えて説いているだけ

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19田布施 蟻巣 2019/12/30 05:48
第一次世界大戦で使用された毒ガス「マスタードガス」から生まれた「抗ガン剤」は、最近出来た免疫を利用する物を除けば全てマスタードガスと同様に細胞内のタンパク質やDNAの構造を薬剤が直接破壊して細胞分裂を阻害する事でガン細胞の増殖を抑えるが、しかしその効果は癌(腫瘍)のみならず全身の細胞全体に及び、それ故に重度の副作用が生じる。この「抗ガン剤」はそれを使用した患者から出た排泄物や吐瀉物を扱う時は必ず直接触れないように手袋などをしなければならない程に体外に排出されても多く残留し、また強く影響を及ぼすものであり、しかしその排泄物等は在宅時は勿論、病院などにおいても下水へと流して済ませているというのがどうやら現状のようであり、つまり少なからず排泄物等に含まれる抗ガン剤は河川へと流入し、そこから環境中へと拡散し続けているという事になる。抗ガン剤は細胞分裂が活発であればあるほどその効果が強く現われ、ガン細胞に対して有効なのはこの性質からですが、ガンではない自然な細胞において細胞は原則「若ければ若いほど」その分裂は活発であり、つまり若い細胞ばかりの「子供」の方がその影響を「受け易い」という事になる。若い細胞ほど分裂が活発なのは肉体を「成長」させる為でもあり、つまり若い細胞が分裂を阻害されるという事は、「子供の成長が阻害される」という事に繋がる話である。若ければ若いほど、兎角胎児などはその影響が最大となるが、世界中で一般的に抗ガン剤が使われはじめて以降、明確な原因は「定かではない」が、数十年以上に渡り日本を含めた世界中で「低体重」の赤ん坊が生まれる割合が現在においても依然増加し続けているという。また正常な細胞の分裂には限界があり、その限界にある程度近づく事で肉体は「成長の限界」を迎える。抗ガン剤の分裂阻害は分裂する細胞自体を破壊しているが、成長の過程において細胞が破壊されるとその分を取り戻そうと細胞分裂はより活発に行なわれ出し、その結果細胞分裂の「限界」はより早く訪れ、阻害され続けた故に肉体としては「不完全ながら」も「早熟」な成長を遂げる。これは生理などの子供達の肉体的性徴が年々早まっている傾向がある事とも恐らく関連している。生殖細胞も分裂が盛んだが生殖細胞は次代に遺伝子を継承していく役割を持つ故この効果は恐らく遺伝子の次代への「正常な継承」をも「阻害」しており、その悪影響は蓄積され代を経る毎に次第に大きくなっていくと推測される。
「傾向」として、低体重児は成長に際しその「心身」に「何らかの不調」が生じ易いというが「心」に影響があるとおりにその影響は当然「脳」にも及ぶと予想される。知的能力に関する部位のみでなく「前頭葉」などの「感情や欲望を抑制する部位」もまた。他にも「女性ホルモン」であるエストロゲンをはじめとした「避妊薬」の成分や擬似的に女性ホルモン的な働きをする「環境ホルモン」となる農薬などが環境中に流出し、河川や海洋の生物に対して不妊化や「メス化」を引き起こしているという事も問題視されて久しく、これは昨今の「少子化」や男性の「草食化」等も彷彿とする話であり、また薬品のみでなく「プラスチック」などの化学物質のミクロ単位の微細な破片がもはや世界中の何処でも存在している程細かく拡散しているという話もあり(プラスチックの成分の一つであるビスフェノールAは「脳」や腎臓、肺等の損傷に関係しオスの生殖機能を低下させ、また可塑剤に用いられるフタル酸エステルはメスの妊娠機能を著しく下げるという)これらのように人体や環境へどのような影響があるのかも詳しくはわかっていない膨大な種類の化学物質の拡散は依然世界中で増加し続けている。医薬品や農薬なども含め日本は利権が強い事もあって世界で二番目に医薬品を使っている国であるが、正しくこれは「今の世代の延命の為に子孫達の未来を犠牲にしている構図」そのままであると言えるだろう。余談だががん細胞は一部寄生虫と同じ特殊な代謝を持つ事から虫下し薬に含まれるフェンベンダゾールが効くらしく全身にがんが転移し余命三ヶ月と宣告された米国オクラホマ州の男性が安価な犬用の駆虫薬を飲み続けた結果全身の癌が完治したという話がある。眉唾ものの話に見えるが、抗ガン剤などは高価な上に効かない場合も多く更に重大な副作用が出る場合も多い上にそれによって死ぬ事さえあるのだから、抗ガン剤のみに頼る事と比べれば安価で副作用も小さいフェンペンタゾールを試す程度の負担とリスクなど微々たるものであるよう個人的には思われる。また癌とはあまり関係無いが認知症と嗅覚の衰えには密接な関係があるらしく、認知症の予防と治療として花などの植物の匂いをかいだり、また森や海などの自然の良い匂いのする場所に行ったり畳や木造建築などの良い匂いがする自然由来の人工物がある環境に通ったり住んだり、
またアロマキャンドルなどを使い(本人の好みの)天然由来の匂いを散布する等日常の中で「匂い」(特に良い匂い)をかぐ事を習慣付ける事等が挙げられる。また体内の酵素やたんぱく質等を修復したり働きを補佐したりする「分子シャペロン」と呼ばれる物質の中にはアルツハイマーの原因である「タウたんぱく質(及びβアミロイド)の凝集」を防ぎまた改善させる効果があるなど、認知症に(のみならず癌や心臓病や他の臓器疾患などにも)効果がある物もあるそうであり、胃腸薬であるエーザイ製薬のセルべックス(セルベールではない)という薬にはこの分子シャペロンとしての作用がありこれを服用し続けて認知症が改善したという話もあるそうである。また納豆にもこの分子シャペロンとなる物質が多数含まれているという話である。また逆にカルシウムサプリは摂取しても骨の強化に殆ど寄与せず認知症や脳卒中や心臓疾患などの血管や細胞の硬化と関係する類の病に罹るリスクを著しく増大させるという話であり(このように摂った栄養が健康を維持する方向ではなく病気などを引き起こす悪い方に使われるという現象はカルシウムサプリが顕著ながら化学的に精製したサプリメント全般について起こるという研究結果もあるそうである)また歯にいいとされる微量のフッ化物も認知症の発生要因の一つとなっている可能性が高いそうである。またフッ化物は妊娠中に摂取すると子供の発達生涯や知能の極端な低下を招くという研究結果もあるそうであり、普段からそうだが妊娠中は特にフッ素入りの歯磨き粉やガムやフッ素コーティングされた鍋やフライパンなどの食器の使用なども避けるべきだろう。また肉や卵や魚や乳製品などの動物性たんぱく質に多く含まれる(一方で大豆やナッツなどの植物性たんぱく質には少量しか含まれていない)コリン(アセチルコリン)は脳細胞の記憶と学習に大きく関係し特に胎児の脳の発達に極めて重要であるそうで菜食主義者達(特に完全菜食主義者)にはこれが著しく不足するそうだが(また菜食主義者は脳卒中のリスクも肉食者より高くなるという話である)、現在一般に流通する薬の多くは(風邪薬や胃腸薬や花粉症などのアレルギー疾患の治療薬や抗うつ剤や抗不安剤、またパーキンソン病の治療薬など)はこのコリンを遮断する事で作用する「抗コリン薬」であり、そして抗コリン薬一般についてその服用は認知症の発症リスクを著しく増大させているそうであり、
この抗コリン薬についても(早ければ「30代」で発症する「若年性」も含む将来の)認知症予防の観点からは極力服用は避けるべきと言えるだろう。記憶は「場所の記憶」と関連させると強化され易い様である。認知症の方に行なわせるのは難しいが「何をしたか」「何があったか」という記憶に「何処で」という事を強く意識する事は認知症の予防や治療となり得るようである。認知症の方は普段とは違う場所に行き難く場所の記憶との紐付けが重複する為に上手く行かないが認知症患者の徘徊は場所の記憶を増やしこれを防ぐ為に起こる面もあるのかもしれない。

施設さえあれば容易に、かつ安価に安定した質を維持したまま大量生産出来る「化学物質」は、「劇的な」「確実な成果」を人々と社会に与える。故に個人が大病を患ったり、また社会全体で著しく生産能力が不足するなど状況が「逼迫」しはじめた時、これらの「化学物質」は今以上により激しく製造され、また消費される。それは様々な悪影響を人々の心身に与えるが、しかしその悪影響は劇的ではなく常に緩やかに、また微妙な形で進行し続ける為、放射能と同じく因果関係を立証する事の困難さから、その影響が深まっても人々は危機感を憶える事は稀である。そしてその悪影響は全体に及ぶ為、(脳も不完全にしか成長しなくなる事もあって)いつしかそれが「普通」となり、原発事故時のように「安全基準」は次第次第に引き上げられ続けていき、依然化学物質の濫用は行なわれ続ける。「不完全な成長」故に「子供が子供を育てる」という状況が更に深刻化していく事も相まって、肉体的にも知能的にも精神的にも劣化して生物的にはボロボロになりながらも、そこから生じる様々な支障から文明を維持する為には更に更に化学物質を使う事に成らざるをえず、そしてその為に更に更にその心と身体を悪化させていく。やがて文明を維持できる最低限の健康や理性さえ人々が維持できなくなるまで。社会が「今のような平和」を維持し続けて行く限り、この「緩やかな悪循環」を抜け出す術は恐らく無いだろう。
他にも発がん性や赤子の低体重化や生殖機能の低下などと密接な関係が指摘されている化学物質としてはPFAS(フッ素系界面活性剤、ポリフルオロアルキル)が挙げられ、これは多くの工業製品で広く使用されているPFOAやPFOSなどの人工有機フッ素化合物の総称であり、化学的に高い安定性もあって日用品も含めた多くの工業製品の製造に広く使用されているがその高い安定性により人体や自然の循環システムの中では分解されずに蓄積され続け、河川などの水循環によって自然界中に拡散されれば土壌やその地に住む生物の体内などに半永久的に残り続けていく物である。2019年5月のアメリカのCBSのニュースでは調査によって全米の内43州の水道水からこのPFASが検出された事が報道されたそうであり、そして恐らく状況は日本も含めた他の先進諸国や製造業の盛んな発展途上国でも同様のものと推測されるが、基本的にフッ素はその化合物も含めて毒性が非常に強く、PFASではないが一部のフッ素化合物は歯を丈夫にすると歯磨き粉や健康食品や一部地域の水道にまで添加されているが、しかしそれについても有意な効果は見られずむしろ癌や認知症等を誘発していると指摘するデータも存在している。また、このような化学物質以外でも、例えば現行の無線通信システムでの携帯電話やスマートフォンや基地局から発せられる電磁波にも発がん性や心臓疾患との関連性が環境毒性を研究しているアメリカ保健福祉省の国家毒性プログラムなどの調査で既に認められているが、日本でもオリンピック前の2020年春頃から本格導入されはじめるという第五世代無線通信システム、通称「5G」について、試験導入した欧米各国の街で原因不明の頭痛や不眠や鼻血やその他の心身の不調、「死産や流産の増加」に鳥の謎の大量死などが既に発生し欧米のメディアでも既に大々的に報道され問題視されており、世界中での5Gの毒性に関する研究では5Gで使用する電磁波はDNAを損傷しまた「子供や胎児ほど影響が強く」、また神経系に作用し頭痛やうつや「注意力欠損」などを引き起こす事や、汗腺や目が受容体として機能しそれ以前の規格より強く影響し易いことなども報告されている。5Gの危険性について日本では全く報道されておらず国民の多くは殆ど何もわからないままこの悪影響に晒される事になるが、その悪影響も恐らく公害病と呼べるほど劇的でなく国も公害病の時のようにその毒性を頑なに認めない事だろう。また「経済競争」や「技術競争」で「今」競おうと思うならまだ世界で禁止されていない現状においてはこの導入は必要な事であるように写る事だろう。本格導入以後の人々の心身の健康と子供達の育成については中止されない限りは年を経る毎により明確に悪化していくだろうが、無線通信システムは世代を経る毎にデータの送信量を引き上げる為に使用する電磁波が強力になっていく為、「便利さ」を求める限り、または「経済競争」「技術競争」に躍起になり続ける限りは無線通信システムの世代は進み、そして進めば進むほどその害はより強くなっていく事になる。導入当初は多くの人々も自身の感覚に「違和感」のようなものを感じるだろうが、それも「慣れて」しまえば消え、後は単なる個人的な健康問題や心の問題として処理されてしまう事だろう。他にも遺伝子組み換え食品について、それを食べて育てられた家畜やラットなどの多くに「不妊」や「早産」や「流産」、「赤子の低体重化」や「加齢の早まり」などが引き起こされる事が報告されており、その明確な原因は定かではないが、微生物由来の低毒性の殺虫成分を微生物の遺伝子を組み込んで自力で生成させた事で細胞一つ一つまでその成分が染み込み表面のみ農薬をかけている作物より多くその毒性を摂取する事になる事や、更には他の生物の細胞の遺伝子を組みかえるウイルスなどの働きによって「遺伝子の水平伝播」が起こり組み換え作物の食品を食べた動物や人などの「腸内細菌」の遺伝子が「組み替えられ」、家畜やラット、更には人の腸内でその毒成分が「常に生成されるようになる」事などが原因として挙げられているようである。遺伝子組み換え作物の「遺伝子の拡散」による環境への影響は深刻な問題であり、遺伝子組み換え作物の周辺の野生種や他の作物まで組み換え作物の遺伝子が拡がっている事は各地で問題視されているが、これが生態系全体に広く拡大すれば野生動物全体が組み替え作物を食べた家畜やラットのような症状に陥り生態系が崩壊する危険性があり、また自然界から作物への毒性遺伝子の「逆輸入」も常に起こり易くなり人類の食糧供給と繁殖に強い悪影響を与え続ける事になる。

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18田布施 蟻巣 2019/12/30 05:48
2019年9月 大阪市の松井一郎市長(維新)は、科学的に安全であると証明されれば福島原発の処理水を大阪市で受け入れて大阪湾に流すと発言し、同じ維新の吉村洋文大阪府知事もそれに同意していますが、科学的に安全だというならそもそも大阪まで運び込んで流さなくとも直接福島から流せばいい話であり、外海に直接放出するのが国際的な理由等から問題なら近場の為に輸送コストも安く済み入り組んで拡散し難い東京湾にでも放出すればいいという話である(あの「オリンピックのうんこ水」も多少は薄まる事だろう)。また科学的な安全性とやらについても子宮頸がんワクチンなどについては今もその危険性が指摘され続けている通り科学的な安全基準など最近でも常に変動し続けており、また国が最初安全だの事故の危険性は無いだの言っていた原発は爆発し関連が無いだの言っていた水俣病や薬害エイズなども影響が大きくなって初めてその影響を国が認めたように一時安全と国や学者が言ってもそれを安易に信用するのは間違いである。まして大阪湾など一度入り込んだ水が何十年も滞留する事もあるという瀬戸内海に近いのだから。大阪湾や瀬戸内海に隣接した地域の知事などはもっとこれに抗議の声を挙げるべきだろう(2019年9月末、処理前の高濃度汚染水で毎時3シーベルトが検出されたが、3シーベルトは被爆すると約半数が死ぬ数値である。流石に「原液そのもの」では起こらないと思うが、間違って「処理前」の物が、「処理後」として扱われる事は製造業等では割と頻繁に起こるミスである。仮に基準以下に達しない一次処理水辺りを間違って流した処で良くて謝罪するだけで除去などしない(出来ない)し賠償すら恐らくしようとはしないだろう)。恐らく主に原油流出や化学薬品などによってであり放射性物質は殆ど関係がありませんが、現在世界中の海でデッドゾーンという無酸素領域が拡大し続け海洋プランクトンが急激に減少し続けているようであり、そして海洋プランクトンは大気中の「酸素」の7〜8割以上を生産しているといいます。海というのは人が処理しきれず垂れ流し続けるあらゆる汚濁が最終的に流れ着く場所であり相応の浄化能力を持っていますが、しかしその浄化能力にも限界が見えはじめているのかもしれません。過去の地球では光合成を行う微生物が出現しこれが増えて(余剰)酸素が大量に増えた事で、
それまで主として生息していた酸素を必要とせずむしろ毒としていた嫌気性の微生物が(適正以上に酸素が増えた事から酸素が毒(活性酸素)と作用し好気性の微生物達も)大量死を起こしましたが、その後に今度は酸素を利用する好気性の微生物達が増えすぎ、また酸素を生産する微生物が餌にされ出した事もあって今度は逆に地球が酸素不足となり再び大量死が起こったという事もあったそうです。人類の営み程度の汚染でここまでの事態になるとは思えませんが、しかし人類の発展と凋落は急速で肉体が進化し順応する前にある程度酸素が減少すると、新約聖書の「アバドン」のような状態になるというような事も、もしかしたらあるかもしれません。1920年 戦後恐慌(第一次大戦の「戦争特需」で好景気に沸いていたのが戦争終結で不況となり戦争特需で成り上がった「成金」達が大量に「どん底」まで凋落するなどした不況)→1923年 関東大震災  1929年 世界恐慌 → 1933年 昭和三陸地震(「本来は」岐阜や愛知等を中心とした南海トラフ型地震) 1991年バブル崩壊 → 1995年 阪神淡路大震災 2008年 リーマンショック → 2011年 東日本大震災  必ずしも連動している訳では無いが、比較的近代についてはよく当て嵌まる。2019年9月現在で8千兆円を超えリーマンショック時を軽く上回る規模のドイツ銀行のCDS債務問題の「実害」が出始める事が、恐らく現行の世界経済体制崩壊の切欠となる。今企業はせっせと(人材育成と設備投資を差し置いてまで)内部留保を必死に溜め込んでいるがこうなればその「努力」は全て無駄となる。特に「利益追求においての無駄」を徹底して排除し続けた企業ほど(人の恨みと問題ばかりを残して)殆ど何も残らない事になるだろう。このドサクサに紛れて日本内外で暴れまわる勢力が幾つか出るだろうが、しかし朝鮮半島と中国に関しては、例えば終戦直後の満州でソ連兵と共に中国人と朝鮮人は現地日本人を陵辱し略奪の限りを尽くしたが、その後中国では大躍進と文化大革命という数千万人規模の大量死(大量虐殺)が起こり、また朝鮮人に関しては更に日本国内でも陵辱や略奪を行なったがその後すぐに朝鮮半島で「大量虐殺」も起こり「国を分裂させた」朝鮮戦争が起こり国民どころか「国体の維持」にまで影響が出、
また岸(安倍)一族や小泉一族のような隠れ帰化人の政治家たちや創価や統一協会などの宗教を隠れ蓑にした朝鮮組織などをはじめ、戦後(一部戦前からだが)日本では各業界(特に闇社会)で在日勢力が勢力を伸ばし日本を貶め衰退させる為の各種活動を行い続け、また北朝鮮は日本人を拉致し続けているが、一方で韓国は現在日本以上の不況と就職難に喘ぎ更に日本よりも速く少子高齢化と人口減が進行して衰退し続けており、また北朝鮮も何かに富を「奪われ続けている」かのように世界の最貧国であり続け、また日本内で日本の破壊工作をし続けている両国ともが冷戦が終わり三十年以上経つ現在においても依然として一つになれずに「二分され続けている」ように、地理に加え人種的に近いこともあってか中国と朝鮮半島に関しては日本を攻撃するとその「反動」とも言える「災禍」が「彼らの祖国」に起こる傾向にあるようである。攻撃した者ではなく無関係の祖国の人々に災禍が起こるという点でこれは所謂「因果応報」則とは「似て非なる物」であり(しかしその根本は恐らく同じと思われるが)、だからこそ人種や地理が遠い事もあってか満州で日本人を陵辱した主犯であり北方領土を奪ったソ連や太平洋戦争で日本本土まで蹂躙し原爆まで落としたアメリカはこの「反動」を受けていない。(しかし、ソ連に関しては大量死こそ伴っていないが(国としては殆ど同じとはいえ)崩壊しており(或いは将来的な影響も鑑みてチェルノブイリ事故が大量死に相当するか?)また現在のロシアは(兵士の大半を占め、戦争犯罪の主体となりがちな)「男性」が女性に比してかなり少ない状態となっているようで、単に「遠い」為に効果が出るのが「遅い」というだけなのかも知れない。アメリカにしろその後にベトナム戦争で敗北し、その際に何の因果か「竹槍」に苦しめられている。また、或いはソ連に関してはそれ以前に大粛清と第二次大戦で既に数千万人規模が死んでいた事や、アメリカについては多くの日本人を殺したが戦前日本に巣食っていた悪性も同時に幾らか排除し、また戦後日本の復興に大きな力を与え、また米ソ両国ともがその後の世界のバランスにとって最も重要な国であったなどこれら諸々の理由から「反動」が幾らか緩和された面もあるのかもしれない。)
これは似ているだけで因果応報則そのものでは無いとは言え、それでも日本が悪いのに日本を攻撃すると不幸が祖国に訪れるのは理不尽だなどとアメリカユダヤ仕込みの反日ヘイトポルノに夢中な韓国朝鮮人中国人などは思うだろうが、しかし先の戦争の日本の罪とやらは基本的に戦前戦中に起きたとされるものだが、その後(大半は戦争犯罪を犯していない無関係な)多くの日本人達が本土空襲や原爆や軍への徴兵後の戦闘などで自らの命や家族を失いまた軍の指導層達も処刑や懲役を科され更に戦後においても多くの人々が貧困や家族との離別や悪化した治安の中での犯罪等によって苦しめられており、先の戦争に日本の罪があったとして、その罰とやらは終戦前から戦後にかけてもはや十分過ぎる程日本は(それも直接罪を犯した者達ではなく殆どが何の戦争犯罪も犯していない者達が)受けていると言え、そしてそんな十分罰を受けた日本人達に対し更なる攻撃を加えたのだから、今度は更に攻撃を加えた韓国朝鮮中国に「罰」が起こるのもまた道理だと言えるだろう。ましてその理由が「でっちあげの捏造」からであるのならば尚更。無論日本が敗けて本土が焼け野原となり原爆が落とされ多くの人々が亡くなった事など幾ら情報統制や歴史の捏造が常態化し都合の悪い歴史が隠される特亜三国においても周知の事であり、今日本を過去の戦争の罪で責め続ける反日中国朝鮮韓国人などは「その上で」日本に対し更なる謝罪(服従)と賠償(朝貢)を求め続けているのだから、全く情けも道理も欠片も持ち合わせていない乞食以下の卑しさである。兎角中国と韓国は日本が数十年以上もの間数十兆円以上に上る巨額のODA等によって経済支援をし続けた後にこのような要求を繰り返し続けているのだから、まるでいい年こいた大人がいつまでも親離れせず親に「おこずかい」をせびり続けているかの如くである。その上で中国などはもはや日本を抜き世界二位の経済大国になったにも関わらず未だWTO等が先進国扱いすると抗議する等いい年こいて子供扱いされる事を求め続ける痛いおっさんのような有様であり、また韓国北朝鮮などはこれだけ支援し続け国内の在日達も優遇しまた拉致や竹島占領やその他の反日活動にも長年大きな目で許容し続けた日本がほんの少し反発しただけで発狂したかのような過剰反応を見せるなどまるで親なしで生きられない癖に親が自分の要求を聞かないと途端に赤子のように喚きだす引きこもりのおっさんの如くであり、
その上で日本に執拗に謝罪(服従)と賠償(朝貢)を求め続ける様はもはや成人し体も親より大きくなった男がいつまでも母親のおっぱいに縋りつき飲み続けようとしているかのような気色悪さまでかもし出しはじめている始末である。何かと理屈をつけてこちらに非があるとこじつけようとしたり暴力的であったりするのも力だけ強くなり中身は子供のままの大人が情けない現状を親のせいにして親に当り散らし服従させようとしているかの如くである。全く特亜三国はいつまで「ままのおっぱい」が恋しいのか早く「乳離れ」して貰いたいものだ。戦後ユダヤはアメリカを通じて異民族である朝鮮人達を使い日本を劣化衰退させようとし続けたが、いずれその「ツケ」が巡る事になる。イスラエルは(イランではなく)今は体よく利用し舐めきっている朝鮮によっていずれ決定的で致命的な打撃を与えられる事になる。

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17田布施 蟻巣 2019/12/30 05:48
経済活動の前提は社会であると言っても、更にそれを遡るなら経済活動、処か人が生存できる全ての前提は「自然環境」である。化学製品の大量消費や遺伝子操作などの「生物工学」による製品によって支えられている農業は経済の道連れとなる。その依存が強ければ強い程に。
2018年の後半頃フランスなどで菜食主義者達が動物愛護を理由に肉屋を襲撃する事件が頻繁に起こっていたが、最も強く根源的な欲求の一つである食欲を人々に抑圧させる理由として(植物だけ食べてようが他の生命を奪って食べている事には変わりない事もあって)動物愛護という理由は弱いとしか言えない。しかし人口爆発によって食料生産が逼迫し続けている中、穀物などの同量の植物性の食物に比して十倍以上も水も土地も物資も必要な家畜肉という「ぜいたく品」の生産は、現状のままならばそう遠くない内に確実に世界中で深刻な飢饉と渇水を齎す事となる。菜食主義者達が肉屋を襲うならその理由は動物愛護よりも将来的な水不足と食糧不足を防ぐ為という方がまだ合理的だろう。どの道世界がその段階まで行けば菜食主義者でなくとも肉の生産も供給も世界中で自ずと制限されるようになるだろうが。人間が植物食のみで生きる事は可能ではある(でなければ明らかに肉の無い、少なくとも月に一回や数ヶ月や年に一回程度しか肉(動物性タンパク質)を食べられないような昔の貧農村に暮らす人々が何世代ももっていた事を説明できないだろう。また、特殊な体質からながら実際にパプワニューギニアの原住民にはほぼサツマイモだけで筋肉隆々の強靭な肉体を維持し続けている部族も存在している)。それを達成する為に必要な条件の一つには恐らく腸内細菌が関わっている。元々肉も食っていた雑食のパンダは飢えて笹しか食べる物が無くなった時に飢え死にする前に笹を分解する細菌が腸に定着して十分な量だけ増殖するという「ご都合展開」によって飢餓を逃れ以後笹だけを食って生きていけるようになったが、そのように食べた植物を腸内で人間に必要な栄養素へ変換する事の出来るような細菌叢が腸内に定着したなら人間が植物食のみで生きるという事も現実的に在り得る話である。ただし細菌が重要であるとおり、農薬や除草剤や化学肥料、或いは有機栽培でも不完全な発酵肥料を用いた毒性の強い硝酸体窒素まみれの野菜ばかりを食べていてもこの定着は起こり難いだろう。菜食主義者の中には自身や子供などに無理矢理植物食だけを強いて結果成長阻害や偏った栄養から来る病気などを発生させる事がままあるが、菜食主義は恐らく腸内細菌の状態や又体質が合うなどの(更には物質的なもの以外にも霊的な)条件が整ってはじめて出来るものであって身体を壊してまで無理に行なうべきものではないのだろう。
2019年5月、米国や欧州やロシアや中東や南米などでは数年前から異常に増加し続けている例年に無い雹嵐や異常寒波や大洪水等によって作物に甚大な被害が発生し(更に欧州では6月末からは一転し45度越えのかつてない熱波に見舞われ、更に7月にはロシア東部やウクライナ等と共に再び寒波に襲われ、また7月末には再び42度越えの熱波に襲われたと思ったらその翌日にはフランスで雪が降るほどの寒波に再び見舞われている)、中国の雲南省や韓国、北朝鮮、オーストラリアやメキシコやフィリピンやなどでは深刻な旱魃(と熱波)に見舞われているが(6月末にはインドも観測史上最大の異常熱波と旱魃に見舞われ、7月には一転して中国などと共に数十年に一度の豪雨と洪水に見舞われている)、また11月には米国やヨーロッパやロシア等でやはり観測史上最大の寒波に見舞われ収穫前の作物に大損害が生じ、また東南アジアのタイ等も記録的寒波に見舞われ、(しかし欧州やロシア東部では12月末には一転して雪不足となるような記録的暖冬となっている)近年激化し続けている世界中の異常気象は世界の作物生産に甚大な被害を与えはじめており、そろそろ我々日本人も無視出来ないレベルになり始めている。また近年になって米国や欧州をはじめ世界各地で山火事の被害が劇的に増え年々被害規模が拡大し続けており7月にはロシアのシベリアにて寒帯で起きた山火事としては過去一万年で最悪の規模の山火事が発生、12月にはオーストラリアで同月として観測史上最高の猛暑と共に史上最大の山火事が発生しており、また8月末にはアフリカでも大規模な山火事が発生している。またアフリカでは12月末において南部のナミビア等で100年に一度の大規模な干ばつが発生する一方で東部のウガンダ等では二ヶ月以上雨が止まず大洪水が発生していたりしている。
(また森林火災について8月末の時点でアマゾンの熱帯雨林の火災が過去最大だと報道されていたがこれはフェイクニュースで2019年の火災は平年並で2007年頃に比べ遥かにマシという話である。また熱帯雨林は極相林であり酸素の供給量と二酸化炭素の排出量がつりあっている為(火災による酸素消費と二酸化炭素増加は兎も角)無くなってもそれ自体で地球の酸素が不足するという事は無い。地球の酸素供給の大部分は海洋中の微生物によって行なわれており森林の消失が酸素量に与える影響は実は僅かである。このフェイクニュースはフランスのマクロン首相等がブラジルの現政権を攻撃してその内政に干渉する為に行なっているという話である。また山火事は増えてはいるが二酸化炭素の増加は植物の成長を促進させる為、実はこの数十年間地球全体では植物の数は増え続けているという。ただし「森林」の面積、及び「生物種の数」は急速に減り続けており、植物自体の数が増えていると言っても元の自然に戻っている訳では決して無い。大気中の二酸化炭素の割合はたった0.04%しかない通り、二酸化炭素の気温への影響は微々たるものでしかなく、現在の異常気象の主たる原因は二酸化炭素の増加などではなく太陽活動の全体的な低下(黒点数の減少がそれを示すが一方で局所的な活動(太陽フレア等)は激化している)、及び外宇宙からの宇宙線量の増大(太陽磁場の低下によるものだが、太陽系自体が宇宙線量の多い領域に突入したという話もある)とそれに励起された地中の活動の活発化等によるもので、その為に(世界規模での大気の異常も相まって)現在の地球は温暖化と寒冷化が同時に進行しているような状況となっている。現在の異常気象は人間の力の及ばぬ宇宙にその原因があり当然排ガスなど人類が排出する二酸化炭素を減らした処で解決などしない。しかし災害及び宇宙からの影響と、人心と社会(及び自然環境)の荒廃には霊的な関連があり、災害や自然界の異常は人がその精神や在り方を正しく改善していく事で次第に治まっていく事になる。しかし物質文明が極まり限界に近づきつつある現在の世界において、これから先の世界の更なる悪化はもはや避け難いのだが。)
また、人や家畜の排泄物を通して河川などの環境中に大量に流出し続けている抗生物質は環境中の細菌等に多大な悪影響を与え続け世界中で各地の生態系を最下層から壊し続けているが、抗生物質の環境への流出の害は生態系の破壊のようにすぐには影響が出ないが影響が出る頃には手の施しようがないような遅効性の致死毒や時限爆弾のような効果のみでなく、環境中の微生物たちが頻繁に抗生物質と接触する事で「耐性菌の発生」を促す効果があり、「薬剤大国」である日本で最初に発生し現在世界中に拡散している現存するほぼ全ての抗生物質が効かず感染者の半数が打つ手も無いまま90日以内に死亡する耐性菌「カンジダ・アリウス」なども既に出現しているが、耐性菌は当然人間のみでなく家畜にも感染し、2019年には中国でアフリカ豚コレラ発生の為に10月末現在で1億5千万頭の豚が殺処分され(日本で今流行っている豚コレラとは別物でこのアフリカ豚コレラがもし日本に入ってきた場合、安倍政権のこれまでの対処の遅さ等から見ても日本産豚肉が市場から消滅する恐れすらある)中国での豚肉などの値段が2019年5月末時点で既に三割ほど上がり未だ上昇を続けているが、このまま耐性菌が増加し続ければ耐性菌が大量に家畜に感染するような事態も勿論起こり易くなっていき、将来的に世界中の畜産業に壊滅的な損害を齎すような事態も起こりはじめる事だろう。また2019年には中国などのアジア圏で農薬の効かないツマジロクサヨトウという害虫も大発生し日本でも同年7月に発見されており、また2019年にはブラジルで三ヶ月の間に五億匹ものミツバチが謎の突然死を起こしたように世界の作物の75%が受粉を頼っているというミツバチの此処数年で突如激化した原因不明の大量死(蜂群崩壊症候群)も未だ拡大し続けており、(農薬(特にネオニコチノイド系)が原因とされているがこれら農薬は数十年前から使われ続けておりここ数年で突然大量死が起きはじめたのは不自然であり、また使用禁止したフランス等でも未だ大量死が増え続けている通り本当の主原因はどうも別にある。2019年の秋頃にミツバチが肉体の維持と活動に必要不可欠な量の栄養を花粉の中の「微生物」を食する事で得ていた事が判明し、「殺菌剤」(殺菌作用のある全ての薬剤)によって花粉の微生物が死んだ事による「餓死」がこの大量死の主原因ではないかと目されている)、
災害対策も兼ねて非常食の備蓄ぐらいはそろそろしておくべきだろう。焼け石に水程度かも知れないがそれでも多くの場合無いよりはマシである。

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16田布施 蟻巣 2019/12/30 05:47
「付加価値」と「利息」が存在する限り、未来においては常に「現在より多くのカネ」が必要になり、その需要を満たす為に社会全体で「カネ」は増え続ける。その需要を満たす為に経済は常に呪いのように「成長」を強いられ続ける。そして常に「より多く」を生産していく為に際限の無い環境開発(破壊)や効率化(ブラック化)が進み続け、これは技術革新や新資源の開発などでも無い限り時間と共に常に悪化し続ける。また例え技術革新や新資源の開発などがあって緩和されてもそれは一時的なものでしかない。また、労働で生み出された生産物などその「労働の痕跡」が消費や劣化で消えてしまうなら、社会に残るのは労働者に支払われた「カネ」のみであり、つまりは資本主義であろうが社会主義、共産主義であろうが、経済活動が行われるならば、貨幣というものが存在するならば、必ず「カネ余り」というものが発生してしまう。この「カネ余り」で余ったカネが社会に平等に再分配されるならば「額面上の収入の増加を伴う」インフレとなるが、実際にそうなっていないのはこの余ったカネが社会の一部の者達に集中し続けるからである。「カネ」があればあるほど投資も起業も容易くなっていく事からも、経済は原則的に常に「カネを持つ者が更に得るようになり、カネを持たない者は更に失っていく」という構造を持ち、そして「余ったカネ」は持てる者にこそより集中する為に「カネ余り」は「格差」を著しく拡大させ続け、そして「カネ余り」は貨幣が存在する限り必然的に発生する。また、これは受け売りであるが、負債、所謂「借金」というのも、それを取り立てる側から見れば債権、つまり一種の財産であり、つまりは「カネ」である。「負債」「借金」も「カネ余り」の一種の現れであり、つまりは「カネ余り」が増えれば増えるほど、社会全体、国家全体の「借金」も増え続ける事を意味しているのであり、今ほぼ全ての国が借金まみれになり、借金なしではとても運営できなくなって来ているのもこの為である。当然税金も、消費税が上がり続けている通りにこれから先もずっと上がり続ける事になる。この状態は永遠に続くものでは無い。格差が拡大し続ければ次第にカネを搾取できる下層が消えていき、資本家などの債権者達はカネを搾取できなくなり、そして「債権」は相手がカネを出せる間は財産だが、相手が払えなくなった途端、多くの場合「負債」へと変わる。(信用取引の様に貸す側もより多く貸す為に借りている為)
一部に「カネ」が集中し続ければ、必ず最後には破滅が訪れる。貨幣経済に常に付きまとうこの「カネ余り」をどうにかしなければ、それを助長し加速させる「債権」というものをどうにかできなければ人類は滅ぶ。ただし、共産、社会主義ではこれを解決できないのは、労働でさえその労働の痕跡が消えればカネだけが残り余る事からも、またかつてのソ連や、現在の中国、北朝鮮などの共産主義国家において実際に「極端な格差」が発生している事からもこれは自明である。労働の報酬をカネではなく完全に「物」だけにする事など不可能である。ましてや指導層も含めた国中からカネを完全に消す事等。仮に出来たとしても「物」が「準貨幣」として機能しはじめるなら結局は同じ話である。また、上記に挙げているような収入が上がるほど100パーセントに際限無く近づいていく類の所得税を課すようになったとしてもカネ自体は残り続ける通り、そして国家というものが何の監視も縛りも無く無条件に庶民にとって公正で善良であった事など無い通りにこの制度でもこの問題が解決する事は無い。仮にタックスヘイブンによる資産逃しまで完全に潰した上で世界中で一斉にこの制度を施行し一時は正しく運営出来たとしても結果的には企業や国にカネが集中するようになり、また法人税に対して同じ処置をして企業へのカネの集中を防いでも国、或いは更に上の枠組みの権力構造(国連やEUのような超国家連合)にカネが集中するに留まるだけで、国やその更に上位の組織構造に属する者たち(集めたカネを自身の財産のように使う事が出来る者達)とそれ以外との間に今とは形こそ違えどしかし覆し難い実質的な巨大な格差が生まれる為である。そして国家は警察や軍(自衛隊)といった暴力を司る機構と容易に結び付く為に上記のような所得税(法人税)の際限の無い徴収というものは最終的には国や超国家組織において更なる独裁と軍事的な暴走からの破滅を招く恐れが極めて強い制度であると言えるだろう。とはいえ現状のままでは一部の上位富裕層とそれ以外の人々との間の格差は拡大し続けるばかりであり、これを野放しにしていても現在の日本の超少子高齢化や人口減(しかも災害や戦争などに依らない自然減)やインフラの劣化などの社会的な劣化(及びそこから起こる混乱)や貧困や治安の悪化や暴動などは世界中でどこまでも際限なく拡大し続けていく事になるのだが。

インフレとデノミは避ける事は出来ない。「財産」「資産」に対する考え方が変わらなければ人類に未来は無い。ある種の拝金主義者共等は自分の財産は自分「だけ」の力で稼いだのだからその金が「目減りさせられる」のは理不尽だと述べ、それが近代法の財産権等や資本主義下の価値観の根拠となっているが、しかし電気ガス水道や道路や通信ネット環境等などの無ければ仕事に大きな支障が出る(処か成り立たない)インフラの類まで自分(の会社)で全て用意している訳では無い通り、また、多くの場合、誰の協力も得ずに一人で経済活動を行なえる訳でも無い通りに本当の意味で「自分の力だけで」稼いでいる場合というのは皆無である。投資に到ってはただ金を出しているだけである。無論「税」やら「人件費」やら「材料費」やらで(それが本当に「適正」なものかはこの際置いておくとして)その「対価」を払っているから残された分の報酬である自分の財産がそれ以上「減らされる」のは「正当性に欠ける」という事は言えるだろうが、しかし誰もが他者、「社会」の協力が無ければ儲ける事が出来ない通り、個人にしろ法人にしろその財産は「社会」というものが無ければ存在できず、つまり財の源であり前提である「社会」全体(或いは、というより多くの場合その時において社会を代表する存在)の「要請」または「社会的な異変」によって「個の財産」が減る事になったとしても、財産自体がそもそもが社会が無ければ存在し得ないものである為にそれは「仕方の無い」事であると言え、社会全体と見せかけてその実特定個人や特定団体の利益の為というような不当なものでない限り、その財産の「目減り」は許容するべき事である。財産を溜め込み過ぎてその為に社会に「悪影響を齎す場合」などは特に。
だがこれは、共産主義や社会主義のようにほぼ完全に報酬を平等にして個人の財産まで社会(国)がほぼ完全に管理するべきと言っている訳では無い。個人(法人)の経済活動が社会に依ると言っても、しかし個人(法人)の働きに差があり、その分だけ報酬や財産に差が生じる事は許容するべき事であり、ある程度(個人の範囲では底辺層から今の富裕層の内の下位程度まで)は保護されるべきである。これは「程度」の話である。大きく儲ける事が出来る場合、特に「悪影響」を齎すほど財産を溜め込む事が出来る程に儲ける事が出来る場合、その分だけ商売の規模が拡大する為に人やインフラなどの「社会の力」を利用する規模というのもまた大きくなるという事であり、その分だけ「より多く」社会の「影響」を「受けなければならない」(還元しなければならない)というのは一つの理屈である。無論今の日本でこんな考えの下に法を敷けば富裕層は海外に逃げ出そうとし経済規模も小さくなる事だろう。しかし、中国に抜かれたとはいえ未だ世界第三位の経済規模を誇り、安倍政権下で戦後最長の景気回復を迎えている「という」2018年末現在の日本において、休日も余暇も殆どなく連日の(サービス)残業に明け暮れ殆ど働く為だけに生きていると言える何の為の人生だかわからないような企業の家畜(社畜)か奴隷(の方がまだマシかもしれないが)と言える生活を送る人々が多数いて、若者達の死因の一位が事故ではなく自殺であり、また晩婚化が進み子供を作る事処か結婚さえせず(出来ず)に未婚率は上昇し続け、そして稼ぐ為に地方から人が大都市に流れ続けた結果核家族化と地方の過疎化が進み老いて死ぬ間際になっても子や孫は傍におらず孤独に亡くなる運命にあるご老人が多数いる状況である通り「経済的に進んでいる」という現代日本の国民一般の(主観的な)平均的な幸福度というのは他の先進諸国処か日本の何分の一以下の経済規模しかない途上国より低い事などザラであるように、その国の経済規模とその国の国民の幸福度は必ずしも一致せず、むしろ日本の場合は欲の皮の突っ張った富裕層に属する経営陣共がより儲けようと下層に「ノルマ」をわんこそばの如く際限なく課し続けるからどこまで行っても楽になる処かどんどん辛くなる一方である為、多少経済的に「落ち着いた」方が幸福度が上がる結果に繋がる恐れさえある。
また現在の日本の富裕層は2018年では全人口の2.3パーセントほどだが彼らの平均年齢は56歳と働き盛りを過ぎており衰えの為に実務的な能力は「平均的には」下の世代より低いとみられ、その収入源も投資などの「不労所得」に依る部分が大きい。日本の経済を支えているのは結局の所、現場で働く労働者や技術者達であり、そして現在の日本の国民の3分の2が平均以下の年収しかない通り労働者や技術者の大半は富裕層ではなく中流層から下層に属している。富裕層の中には優れた経営指導者もおりそして下で働く人間よりも指導者の方が重要な場合というものは多々あるが、しかしそれでも労働力や技術力というものは経済における「地力」であり、富裕層の指導者達がいなくなったとしても「地力」は残り、その分だけ「再生」する事も容易であり、また「市場」も残り続ける。現在の富裕層達の内の幾らかが日本を離れるとして、むしろそれがまだ能力の衰えの来ていない新しい世代の指導者を出す為の契機の一つになる可能性もまたあるだろう。随分と都合の良い事ばかりを述べたが、しかし彼ら富裕層の「不労所得」、処か勤務実態が無くとも役職に就くだけ(椅子を尻で磨くだけ)で入る「不正給与」の為に自身の人生や家族を犠牲にして日本の経済力を必死こいて維持するというのも酷く不毛な事ではあるように思われる。しかし経済が悪化すれば治安の悪化や他国との競争に不利になる懸念があるが、しかし治安については経済を支えるという名目の下で安倍自公政権が移民をこれだけ入れ続けているのでどの道悪化は避けられない話であり、そして外交についても今でさえ安倍首相のバラマキ外交をはじめ他国への売国がこれまで盛んに行なわれ続けた上に今度は移民達によって中から侵食されてますますそれが進む為、今の経済を守ろうが守るまいがどの道治安も他国への対抗力も悪化するのは避けられないという話である。むしろ今の経済を支える事を諦めて移民を入れない方がまだマシになる可能性の方が高い恐れさえあるだろう。
貨幣を貨幣たらしめているのは真には信頼ではなく「合意」である。信頼とはあくまで「合意」を形成し得る要因の内の一つでしかない。我々日本人は他国の人間から見れば(自国の人間から見ても)呆れる程、自力では既存の権力構造や組織内の関係性を殆ど変える事が出来ない程度には上からの理不尽な命令や周囲からの同調圧力に対して卑屈と言えるほど従順な気質を持つ(持っていた)が、しかしこれを利用する。我々日本人が「合意」を保ち、それにより「信頼」を都度甦らせ、保つ。

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15田布施 蟻巣 2019/12/30 05:47
(健康に関する事等は別として)私はこの文章の内容が広がる事を望んでいません。またこの文章によって創価などを如何こうしようとも思ってはいません。およそ池田大作が「2たす2は5」だと言えば(250年を700年だと言えば)心の底からそう思い込めるような人間も多い学会員達に対し、この文章に書いているような事を言った所で話が通じるとは私は思ってはいませんし、またここに書いているような事を学会員達の前で公言する事は「極めて危険な事」でもあると私は思っています。しかしこのような邪教を完全に放置していてはどうにも悪い方にばかり進む事になってしまう為、せめて大事にならない範囲で少しでも啓蒙しようと思った為にこの文章を書いた次第です。だからこそ、この文章は出来る限りこれを受け取ったあなただけで留めておいてください。しかしもし、あなたの親しい人などが創価などの「南無妙法蓮華経」と唱える団体と関係があるのならこの文章の内容を、「バレないように」それとなく「知らせる」のも、或いはいいかも知れません。しかし危険なので創価などのそれら団体から抜ける事を薦めるべきではありません。もし学会員の方などでこの文章を読んで腑に落ちる所があり、日蓮の信仰を信じられなくなったならば、先に書いたように果たして今まで信じていたものを失くして不安に思われるかも知れません。例えば日蓮系以外でも天台宗などは妙法蓮華教を日蓮よりも前に最高の経典としていたので、もし改宗されるなら天台宗に行かれるのが今までの信仰からもまだとっつき易いかも知れません。また、仏教ではなく神道系であり、一応は元仏教系だった方からすればとっつき難いとは思われますが、
私は、京都の「綾部」と「亀岡」に本部を置く「大本」という宗教団体の信者であり、私自身はその「大本」の教えを信仰している為、もし改宗されるならば私個人としては大本への改宗をお薦めいたします。なお、私がこのような事を書いているのは、あくまで私個人の個人的な感情や考えからであって、大本にも隠れて行っている為、この文書の作成、拡散について大本は一切関係が無いという事を断わっておきます。
今までのような仏教系ではなく神道系に信仰を変える事に抵抗を感じられるかもしれませんが、神仏習合という考えがあるように神と仏とは決してかけ離れた存在ではありません。仏典によれば神よりも仏の方が格が上だとされているが、仏典においての神とは釈尊(釈迦)の生きていた時代から既にインドで広まっていた、現在のヒンドゥー教の前身であるバラモン教の神の事であり、仏典に言う所の神とは日本の神々やキリスト、ユダヤ、イスラムの神とは違う存在である。バラモン教は上の階級の者が下の階級の者に何をしても許されるという悪名高きカースト制度を生み出し、また釈尊が否定した無意味な苦行を人々に強い、苦行によってのみ魂は救済されると説く邪教であり、当然そんなバラモン教の神とは真正の神ではなく基本的に悪霊の類、或いは(歪められた)キリスト教が土着宗教の神を悪魔としたように卑小化されてバラモン教に習合された神である。故に仏典において仏より格下なのはバラモン教ヒンドゥー教の悪霊の神のみの話であり、日本の神々は基本的にそこには含まれない。だからこそ、神と仏とを同格と考えなければ成り立たない「神仏習合」という考えが成立すると言える。神の智慧が仏の智慧より劣っていると考えるのは誤りである。例え優れた哲学者であっても国や組織の運営などには全く智慧開かず無知蒙昧で無能極まる場合があるように、その分野ごとによって必要となる智慧の種類は異なり、どの分野においてもその分野毎の優れた智慧というものは必要なのであり、主として自然などの外的なる世界の運営に対して智慧を発揮したる相を神と見、主として人間の内面的、精神的なる事に対して智慧を発揮したる相を仏と見るような考え方も、一面においては可能であると言える。
大本は所謂教派神道の一派であり教派神道には他に天理教や金光教や黒住教などがあり、これらは傍目から見れば大本と似た印象を与えがちだが、これらは大本の「先走り」であり教えとして不完全である(これは教派神道のみでなく大本以前の既存宗教全てに言える事であるが)。当然天理教から分派したほんみちのようにこれらからの分派もまた同様である。また大本から派生した世界救世教や成長の家など、或いは崇教真光などのその更なる分派、または日月神示などについては大本の教えを真似た偽神の教えであり、この界隈(古神道)に興味を持ちはじめた方などはこれらの教えに傾倒しがちなれど、これらの不完全、或いは偽神の宗教や教えに傾倒するぐらいなら大本へと来た方が遥かに有意義でありまた確実である。これらの宗教はもはや単なる拝金宗教に成り下がっているものも数多くあり、天理教などは各地に大きな教会を建てているが「田畑売りたまえ、すってん天理おうのみこと」と天理教の祝詞をもじった言葉で揶揄されている通りあまりに傾倒しすぎると住む家まで含めた財産全部を教団に寄付する羽目になるという話である。(また教え自体にも「貧に徹しろ」という指導者層の搾取を進んで受け入れさせるバラモン的な教えがあるようです。清貧は確かに霊的な罪は少ないがしかし「貧すれば貪する」物であり貧困は悪心と迷妄を生み(霊的に)より深い罪に陥る温床となり、また貧に拘る者は成長をも拒む為に結局は(霊的な意味でも)小物止まりになる。)また、邪霊の巣窟と化し十中八九「(霊的、死後的な意味で)道を踏み外す」為、特に教主や幹部や先輩などの周囲の言葉をそのまま信じ易かったり、また人の為になる事に喜びを感じるようなお人よしの方ほど洗脳され道を踏み外して霊的に(死後)浮かばれない事になる為全くお勧め出来ないですが、私は訳あって現在錦之宮 高麗宮という団体にも所属しています。教主 高麗節子 住所〒190-0013 東京都立川市富士見町6-5-405
ヒンドゥー教(及びその前身であるバラモン教の影響を強く受けた仏教)はそのスケールが異様に大きく書かれているが、これは正に子供が意地になって数字だけを大きくさせたような物だと言える。ヒンドゥー教の前身であるバラモン教が邪教と書いたが、しかしその教えの全てがデタラメという訳ではなく、ヒンドゥーの教えの中にも正しい教えは多数含まれているという事を書いておきます。
多神教の主神、或いは創造神のみを神と呼び、他の全ての神を天使とすれば、あくまで構造上はだが多神教は一神教と同じとなり、また、全ての物が神より生み出されたものであり、全ての物に神霊の分霊が宿っていると考えるならば土着宗教に多いアメミズム的な汎神宗教となる。仏神一体 一神即多神即汎神

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14田布施 蟻巣 2019/12/30 05:47
日本の最近の嫌韓感情や反中感情の高まりから危機感を感じ、また、差別感情に嫌悪感を催す事からも在日達を擁護し、あくまで何処までも平和主義を標榜し、その為には例え敵意を剥き出しにして攻撃してくる相手に対しても何処までも「話し合い」で争いを回避するべきと考え続けている方もおられるかも知れません。「話し合えば必ず分かり合える」、「話せばわかる」と。ところで私の誕生日は「五月十五日」なのですが、この日は戦前「五・一五事件」が起こり犬養毅元首相が青年将校達に暗殺された日であり、また同時に、暗殺される寸前に犬飼元首相が青年将校達に「話せばわかる」と命乞いをし、その為に死して尚後の世においても「笑い者にされ続ける」事になった日でもあります。(しかしこの話は青年将校達の嘘で、真実は命乞いではなく撃たれた後にこの言葉を言ったそうであり、また犬養元首相は撃たれる前は命乞いをせずに「やるならやれ」と居直っていたという話もあるようですが)果たして「話せばわかる」と思っておられる方々について何処までの覚悟があるのかは私にはわかりませんが、しかしその道を盲目的に突き進み続けた結果、最期には犬養元首相のように「死して尚笑い者にされる」ような事が無い事を私はただ願うばかりです。「平和主義」を標榜する方々については他にも思う所があり、例えば「憲法九条」を守るだのといって日本国内で暴れまわっておられる方々がおられますが、しかし尖閣諸島をはじめ日本領海内に度々侵犯したり周辺国の領土を実効支配しようとしチベットやウイグルでは今も虐殺さえ続けている中国(アメリカ(のトランプ大統領)が指摘し、また日本人も含めた外国人旅行者なども実際に現地で目撃しているが、中国にはウイグル人から摘出した臓器を密輸する為の専用の道路が通っている等、未だ非人道的な行為が国家として公然と行なわれ続けている)や、日本国内においても拉致を行い度々弾道ミサイルを発射し更には核開発さえ行っている北朝鮮、およびそれと(一応停戦はしているが)未だ軍事的対立を続け更に竹島を武力で占領している韓国など、日本の周辺国さえこれだけ武力に頼り切り武力で好き勝手する物騒な国ばかりなのであり、更に世界を見るならばISIS(イスラム国)などのイスラム系テロ組織やら中南米の麻薬マフィア(国家)などの野蛮組織、野蛮国家など枚挙に暇が無く、平和主義を掲げる方々は、既に戦争を放棄し平和な日本で戦争反対を叫ぶのならば、
これらの国や組織に赴いて日本の憲法九条の素晴らしさと、それによって日本が平和になったというその「威力」を説くなどし、それらの国などで憲法九条のような平和憲法をつくる為の運動をする等して武力の放棄と戦争反対を叫ぶのが筋であると私には思われます。それらの国の所業を全く無視して「大人しい」日本でばかりそんな事を叫ぶのは、「いじめ」が起こった際に「いじめっ子達」を止める処か注意すらせず、「大人しい」いじめの被害者にのみ「君が我慢し続ければ皆に迷惑がかからなくて全部丸く収まるんだよ」と言って泣き寝入りさせようとしているようなものです。なるほど日本で平和主義を掲げる人間達はこういう心根を持っているからこそ、平和主義を掲げる「左翼思想」の人間が多い「日教組」の教師達に、「いじめ」を見過ごし隠蔽する者が多いというのも頷ける話である。彼らは平和主義者とは名ばかりの、単に強い者や声の大きい者に媚びるだけの「事大主義者」どもである。憲法九条によって日本が平和になったというのなら、他の国においてもそれを広めるべきなのが道理であり、他の国においてもそれを広めなければ世界平和など実現し様も無いのですが、命が惜しいからなのか、左翼達はそんな事はしません。平和主義を掲げるのは自分が死にたくないからだ、というのは人間として至極真っ当な意見であると思われます。しかし、軍隊では何処も戦闘放棄や敵前逃亡は厳罰、時に死罪であり、また戦争に参加する理由も自らや家族を守る為である場合も多かったり、また戦争中においては当然自らや仲間は常に死の危険に晒され続けるのであり、果たしてそんな中で敵国の連中が「死にたくない」から争いを止めましょうと言って来た所で、「勝手な事言ってやがる」としか思われないでしょう。実際に争いに来る者達に対してそんな風にしか思われないような「平和主義()」「平和運動()」とやらに一体何の意味があるのかと私には思われます。まして彼らの運動が平和な現在の日本においてさえ世間一般の人々の感情を逆撫でし、むしろ世間一般の人々の中の反中嫌韓感情をより強め日本の右傾化をより深める結果にさえなっているのですから。
比較的近年におきた虐殺である旧ユーゴスラビアやルワンダでの虐殺では虐殺した側もされた側も、それが起きる直前まで大半の人々は(少なくも表面上は)隣人として仲良く付き合っていたが、しかし軍や警察、或いは一部市民が組んで出来た武装集団などの武力を持つ集団がまず最初に虐殺行為をはじめ、後にそれら集団からの武力による威圧、または自分や家族など自らとその周辺が標的にされる恐れ等から他の人々もこれまで仲良く付き合ってきた隣人を殺し犯す事に参加し大規模なものとなったそうであり、これらの虐殺の時もそうだが虐殺が起きる際には、虐殺に反対する「平和主義者」処か単に参加を拒否しただけの者達まで標的にされ殺されている。社会や一般市民に抗議やデモや嫌がらせなど圧力をかけて(時に暴力も使い)威圧し不安や恐怖心等を想起させる事で「反省」させて攻撃させないようにするというのが今も昔も日本の左翼共の言う所の「平和活動」の概ねの趣旨であるが、しかしこれら世界中で起こる虐殺では多くの人々が暴力という、より強力な恐怖や不安の発生源から虐殺に参加している事を見ても今の日本の左翼共の行なっているような恐怖や不安を利用した平和活動などいざ虐殺が武力を持つ者達の手ではじまったら何の意味も無い(大半は左翼達がそれまで与えてきたものを遥かに越える不安と恐怖から虐殺に参加する側に回り、少数の気骨ある反対者は殺される為)。また罪悪感や良心に訴えるという手法も多く使われるが、しかし罪悪感や良心をつつく左翼達の主張に「違和感」を覚えて反論したり無視し始めると左翼共はすぐに相手を声高に批判し出して異常視し社会から孤立させようとしたりと「恐怖」での支配に切り替えるのであり、また普段から機があるとそれを匂わせて暗に同調圧力をかけ続けるものなのだから、結局のところ恐怖や不安を想起させる活動こそが彼らの活動の主体である。また疑問や欺瞞を感じても結局左翼共がその活動を辞められないのもこの同調圧力から来る恐怖によるものが大半である。殆どの左翼達は共産、社会主義者を兼任しているがしかし彼ら共産、社会主義者は日本でさえあさま山荘事件前に「山岳ベース事件」という身内での凄惨な連続リンチ殺人を起こし、無論世界ではソ連の大粛清に中国の文化大革命にカンボジアのポルポトによる虐殺など尽く悲惨で大規模な虐殺を行い続けており、
このような共産主義(国)を妄信する彼ら自称平和主義者達の「平和活動」が真逆の結果ばかりを招くのも当然と言える。平和活動家の中には日本の非武装化を主張する者も多いが軍事力を傘にきて示威行為をし実際に戦争や虐殺を度々行なってきた上に日本を敵視している周辺国等には何も言わない時点で単なる売国奴でしかなく、また日用品でも凶器になる通り暴徒の武器になり得る物などそこら辺にあり軍や警察が消えたからと言って虐殺を煽り得る集団が出ないとはならない。むしろ武装集団が乱立し虐殺が起こり易くなる事だろう(自称平和活動家達にとっては日本人が虐殺される事はむしろ喜ばしい事だろうが)共産主義や社会主義を一度日本で実践すれば中国やソ連より上手く行くという考えを持っている方もいるかも知れませんが、今の安倍政権やらブラック企業やら外国人実習生への扱いを見ても判る通り、上の横暴に対して従順な日本では良くて大日本帝国の二の舞になるだけでしょう。中国もソ連も、北朝鮮やその他の共産国も大概は軍事国家なので日本が共産化すれば日本の軍事化はむしろ加速する事でしょう。仮に日本が中国に一時的に(どのような形であれ)統治されたとしても、陸続きで人種も近い北朝鮮は勿論、自国の領土だと主張している中華民国(台湾)さえ自国に組み込みきれていない中国が、それより離れた場所にある日本を統治し続けられる道理はありません。そんな力は中国程度にはありません。必ず破綻します。もし仮に中国が日本を統治し「共産化」に成功したとして、しかし完全に中国領土として組み込み続ける事が出来なかった場合、日本は「他の多くの共産国家と同じく」再び大日本帝国のような「軍事独裁国家」となっていく事でしょう。「カミカゼアタック」などと日本の特攻隊がよく誇られたり非難されたりしていますが、しかし第二次大戦時での戦死者数のツートップは共産国家であるソ連と中国でありその数は敗戦国の日本やドイツよりも遥かに多く、そして少なくともソ連に関してはそのかなりの数が殆ど無意味も言えるほどの無謀な特攻(を強いられた事)による戦死であり、その死者数は日本の特攻隊の死者数など可愛く見える程膨大な数に及んでいます。これを見ても「共産主義国家、社会主義国家の精神」は、「大日本帝国の精神」ととても「親和性が高い」と言えるでしょう。共産主義者や社会主義者達が平和を求めて日本で活動を続けたとしても、
どの道その先に「平和」などありません。どう転んでも日本の再度の軍事国家化を促進する結果にしかもはやならないでしょう。日清日露戦争での二度の勝利の記憶と大陸侵略への期待が日本国民の目を曇らせた。北朝鮮のミサイルが頭上を飛んでもさして騒がれないように、海を隔てた外国での列強による植民地政策への恐怖は身近な貧困からの脱出への期待と生活向上の夢に比べれば弱い。貧困から、或いは劣等感や憧憬から現在の日本国民たちが再び戦前回帰を強く求めたとしても、もはや戦前のような「夢」を見る事は出来ないだろう。仮に国民が再び侵略の夢に酔いしれ、憲法が改正され軍隊が復活し徴兵制が蘇り軍がその力を強め、戦前のマスコミのように軍や右翼、或いは在郷軍人会のような軍関連組織に「圧力」(私刑や殺人を含む)をかけられ正当で僅かな批判すらも許されないまま軍部と戦争をマスコミ(とネット)が賛美し国民を再び戦争へと駆り立てる為に煽り始めても、そして、カルト邪教も含めた多数の、主に神道系の宗教関係者と、そして「なぜか」反日思想を掲げ反目しているはずの統一教会関係者達によって構成され安倍首相や麻生大臣も参加している(国粋主義と見せかけてその実アメリカの「CSIS」(戦略国際問題研究所)と繋がりを持ちその出先機関の一つという)「日本会議」、及びそれに乗っ取られた「神社政治連盟」や「神社本庁」の一部などのように「戦前回帰」、つまり再びの軍部による独裁と暴走(「代理戦争」の為の日本の「盾」化。また暴走させて太平洋戦争のような「勝てる見込みの無い戦争」を行わせ、それを口実にした将来的な日本の「切り売り」)を強く望む者達の狙い通りに原発から核兵器を造り保有する事が出来たとしても、ロシアや中国どころか(最近放棄すると宣言しましたが)北朝鮮さえも核兵器を保有している現在において、(戦前の朝鮮半島併合時のように「向こうから」併合してくれと打診してきた場合などは除いて)日本が再び自ら他国への侵略に乗り出す事になる可能性は限りなく低いだろう。核ももはや抑止力としては期待出来なくなるだろうとはいえ。平和を望む願いが間違っている訳では決して無いですが、しかし今の世界においては自衛の為の武力は絶対に必要である。均衡の中の平和にも限界があるとはいえ。
「平和」とはあらゆる勢力の間の均衡の果てに現れる「結果」である。平和平和と口だけ主張し人々に無抵抗と理不尽を強いて「見せかけだけの平和」を得ようとする事は、「過程」をすっ飛ばして「結果だけ」を得ようとする事と同義であり、しかし結果だけを求めた行動の果てには大概碌な結果が待ってはいない。同じ事である。無論、何の結果も出そうとせず単なる自己満足で終わる事も悪ではあるが。

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13田布施 蟻巣 2019/12/30 05:47
しかし、北京オリンピック前から反日活動などの「チャイナリスク」があり実害も出ていながらも多くの日本企業が中国から撤退せず、また竹島問題を見ても長年韓国側が応じないという理由で国際司法裁判所に提訴出来ないままであり、また、日本は現在進行形で「技能実習生」等という形で外国人労働者を奴隷のように扱い搾取している上、吉田証言による捏造を行なった朝日新聞やら英語版のネットニュースにて日本の性教育では強姦の仕方を教えているやら日本の女子高生は皆売春をしているといった捏造記事を海外に垂れ流していた毎日新聞など日本の醜聞を虚偽を行なってでも海外に垂れ流すメディアもまだまだ健在であり(2019年8月には朝日新聞が英語版で慰安婦は「強制」されたと書いている)また財務省や経済産業省やその他の官僚機構などと同様に外務省には「ハニートラップ」に引っかかった官僚が多数いる(これまでの無策無能っぷりはそれ故であるとも)という話もある中で、この措置が韓国が完全に引くまで十分に維持され続けるかは不安ではありますが。(しかし韓国が日本の「(帰化人の一部も含めた)在日勢力の利権や財産」にまで手をつけようとしている以上、今回は止まらないかもしれません。しかし「参院選が終わった直後」の八月初旬の時点で既に(元々「禁輸」ではなく「規制強化」でしかなかったとは言え)規制品目の一部の輸出が再開され出しましたが)
私は在日達を日本から無理矢理にでも追い出すべきであると言っている訳ではありません。ただ在日達がいつまでも中途半端な立場で日本に集ろうとし続ける事を批判し、その状態を脱却するべきであると言っているだけです。右翼勢力の一部には在日達を追い出せと息巻く方達もいるかもしれませんが、しかしそれは実現困難な上に政情不安を招く可能性も高く現実的ではありません。また、もしそれを実行しようとするならば、関東大震災時の虐殺のように人道に反するとして批判されるような事も起こり得る事でしょう。私は南京大虐殺も従軍慰安婦も731部隊の生体実験も全くの嘘だと思っていますが、
(先に書いたように731部隊が人体実験を行ったという「当時の記録」も「物証」も「一切」存在していない。731部隊に関する資料を回収したアメリカが1999年に行った調査でも人体実験を行ったという証拠は発見できなかったそうである。これは2007年に公開された731部隊の新規資料(この資料でも証拠は発見出来なかった)についての話ではなく、1999年以前に公表されそれまで人体実験の証拠とされてきた「フェルレポート」やら「ヒルレポート」やら「ダグウェイ文書」などの戦後書かれた「証言記録」を「踏まえた上での結論」である。(以前この文では一時期これら証言記録について疫病の罹患死体の検死結果と見た方が自然などと頓珍漢な事を書いていた事があるが)これらは所詮「証言」記録であり、幾らでも「偽り」を述べる事が出来る物である。それでも実際に731部隊にいた人物が人体実験を行なっていたと証言していると反論するだろうが、先に書いたようにそれらについても様々な「事情」や「政治的思惑」から偽る事は(何せこの国では北朝鮮「でさえ」数十年間も人を数百人以上拉致し続けてもそれが公になる事がなかった程「他国が内部工作し放題」なのだから)十分に考えられる事である。というか、731部隊や同じく物的証拠が皆無の南京事件を糾弾しようとする人々について思うのですが、警察でも殺人などが起きたらまず死体やら凶器やらの「物的証拠」を探そうとするものであり、それらが見つからない場合は大概「犯人」の「自供」を元にそれら物的証拠を探すものなのですが、そのように731部隊の生き残りで人体実験の証言する人が複数いたのならば、どうして「物的証拠」を得る為に、糾弾者の方々は「犠牲者の遺体やその実験に使われた道具」などを「何処に」「どのように隠したのか」を生き残りの方々に「何故誰も聞かなかったのか?」というのは大いに疑問が湧く所であります。人体実験を認めその詳細まで語っているのですから道具や死体の所在だけは語らないという事は無かったでしょう。もし聞き出し「物的証拠」を発見できれば、731部隊が悪行を行なっていた事は歴史的事実として今頃は磐石となっていたでしょうに。これが「故意」で無いのなら、雁首揃えてアホばかり、糾弾者の方々の揃いも揃っての「あまりの無能っぷり」にはホトホト呆れるばかりです。もし彼らが刑事なら全員懲戒免職を喰らって欲しい程の税金泥棒となっていた事でしょう。
 彼ら糾弾者達は皆尽く信憑性の薄い証言を捏ねくり回して持論を展開するのみであり、誰一人として本気で「物的証拠」を見つけようとはせず、傍から見ていてどうにも彼らは自身の承認欲求や「利益」の為に「自説を広く認めさせる事にしか興味が無く」、「真実がどうであるかなどどうでもいい」と思っているように見えます。まるで大量の冤罪を生み出し続けた紅林麻雄を彷彿としますが、いい加減な捜査をする警官など信用出来ないものであり、果たして真実に対してこのような態度の人間達の主張など何処まで信用できるかと言う話ではあるでしょう。尤も、はじめから「でっち上げ」でしかなかったのなら「物的証拠」など何処を探しても見つけ様が無く、そして偽りである事を最初から「知っていた」のなら、「誰も物的証拠の在り処を聞こうとしない」のは「当然の話」でしょうが。人体実験の出来ないアメリカが731部隊の人体実験記録が貴重だから欲しがったという話がありますが、しかしアメリカは1940年代でも「グアマテラ人体実験」で少なくとも69人を人体実験で殺しており、他にもマンハッタン計画関連での放射能関連の人体実験や50年代から70年代初頭までの間に治療費の払えないがん患者や貧困層の黒人などを対象に全身に大量の放射線を浴びせる実験を行っていたり、また「ブラックサイト」の存在など、実は頻繁に人体実験を行っている、または行える環境を持っている国であり、731部隊の実験結果とやらが当時のアメリカにおいてもそれほど貴重な物であったかは疑問である。ソ連や中国なども建国以来自国民を戦争や虐殺などで何千万人も殺し続けているように国(支配層)の利益の為なら国民の命を平気で浪費する国柄でありソ連などは第二次大戦中にも細菌兵器を研究していた痕跡があり、下手をすれば先の証拠とされていた証言文書内の詳細な人体実験の記録はアメリカ(またはソ連や中国)の人体実験の記録を元にして作成された可能性さえあるかも知れません。731部隊は疫病や細菌兵器などから軍を守る為の単なる防疫部隊であり、防疫の為に細菌を研究していた事が日本に「ふっかけて」政治的優位を得ようと考えていたソ連や中国に利用され、偽証と捏造が横行した事で悪名高いハバロフスク裁判において人体実験を行っていたとでっち上げられたのだと私は思っています。
 ミドリ十字の薬害エイズ事件に731関係者が関わっていた事についても、この事件は海外では危険性が発覚した為に使えなくなった非加熱製剤を日本で「在庫処分」する為に海外の製薬会社と当時の厚生省が結託して起こしたものだと言われており、はじめから問題が出る事(数人の責任者に罪を擦り付ける事)が判っていながらもあえて行なわれていた「汚れ仕事」でしたが、731部隊の中には被った汚名の為に戦後表に出ない「汚れ仕事」を任される、或いは自ら行なう関係者もいたと推測され、この薬剤エイズ事件についてもそのような「汚れ仕事」を回された故に関わっていただけと考える事は出来るように思われます。非加熱製剤の投与やその経過観察程度、別に人体実験のエキスパートで無くとも医療従事者の多くは容易に行なえる事でしょうし。)
殺害された「規模」やその「原因」は「どうあれ」、関東大震災時の虐殺については本当に起こった事だったと考えています。(確たる証拠が無い上に虐殺が起こったとされる翌年には何故か逆に人口が増えていた南京大虐殺などとは違い、関東大震災時の虐殺や、或いは731部隊の人体実験の元ネタである「九州大学生体解剖事件」、またアイヌへの迫害やナチスによるユダヤ人の虐殺などは、中国人どころか日本人まで朝鮮人に間違われて殺害された当時の記録が残っていたり、アメリカ人捕虜が実際に犠牲になっておりその解剖の様子についての当時の詳細な記録があったり、アイヌの数が実際に民族が絶える寸前まで激減している事やユダヤ人達が虐待されている映像や殺害された痕跡のある遺骨などの証拠が大量に残っている事などから否定する方が無理がある。とはいえ今のアイヌ協会は無関係な韓国、朝鮮人が多数入り込んで乗っ取りが進み殆ど単なる利権集団と化しているようであり内部腐敗が進み、これが因となっていずれアイヌの文化と血に完全にトドメを差しかねないような状態となっており、またユダヤ人達に関してもナチスの虐殺に託けてイスラエル建国という無茶を行いそれ以前にそこにいたパレスチナ人達に対しナチスと同じような事を行っていますが) 「お前の先祖が俺たちの先祖を犯し殺した」と、自身は何も傷つけられていない者達ばかりが声高に叫び、それを起こした者ではなく大多数の何もしていない者達ばかりが糾弾され傷つけられ続ける愚かさ。争いが消えるどころか、ただ憎しみの螺旋が拡がり続けるだけ

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12田布施 蟻巣 2019/12/30 05:46
私はかつての民主党(後の民進党、立憲民主党)の支持者であるという訳ではありませんし、また特定の政党の支持者という訳でもありません。当時の民主党政権の対応の如何によって原発事故を押さえ込めたかどうかの是非を置いておくとしても、SPEEDIを公開しなかった事やヨウ素剤を配布しなかった事等、福島原発事故における民主党政権の対応の不手際が原発事故の潜在的、将来的な危険性を高めた事は事実であり、また財政面などに関しても決してクリーンだったとは思っていません。ヤミ献金を受け取り、また北朝鮮を何度も訪れ蜜月の関係を持っていた元自民党副総裁の金丸信(経世会所属)と共に無駄な公共事業の為に公債を大量に発行させてバブルの前後に日本の借金を大きく膨れ上がらせ、またその周辺で不審死が続出した西松建設事件をはじめ土建屋関連での数々の汚職疑惑や諸外国への売国政策に協力した疑惑を持つ小沢一郎が党の中心であった事もそうですし、最近でも新たなタックスヘイブン文書である「パラダイス文書」には、元民主党の鳩山由紀夫元首相の名が記されています。また外交における媚中媚韓の方針などについても批判的な考えを持っています。先ほど日本の在日達には密入国者や朝鮮戦争後に来た者達も多いと書きましたが、確かに終戦直後、戦勝国を名乗って日本各地で暴れ出しGHQから「三国人」と呼ばれ、「三代目襲名」などでも書かれている(描かれている)通りに各地で強姦や強盗などの狼藉を繰り返したり、駅前の一等地を不法占拠したり盗品や闇米などを資金源にしたりして今の日本のパチンコ産業やサラ金や闇金などの礎を築いた者達がいたり、或いは朝鮮駐進軍だのと言って新聞社などを襲撃して言論弾圧しようとした者達などをはじめ、
終戦直後から日本に留まっていた在日達はいますが、しかし終戦後日本から殆どの在日が朝鮮半島に帰っているように、また、2017年から再び戦争が起こる気配が出ていましたが朝鮮戦争以来これまで長い間、膠着状態とはいえ朝鮮半島全体が戦争状態にあった訳ではなく全体的には概ね安全であったにも関わらず彼らは祖国に全く帰ろうとはしていなかったように、彼らの大半は自らの意思で日本に留まっていると言えます。例えば彼ら在日には先に挙げた事や「通名」のように日本人には無い便利な「特権」があると言われていますが、自分の意思で日本に留まっている以上、既に4世5世となり日本に根を張って生きている為に無理やりにでも出て行けとは言えませんが、しかし日本でもはや何世代にも渡って暮らせているのですから、日本で生きていく上でそのような「特権」は、もはや彼らには不要であると言えるでしょう。朝鮮学校も無償化どころか不要です。通名も廃止するべきでしょう。外国人参政権など以ての外です。ここは日本です。韓国人朝鮮人として生きたいのなら朝鮮半島で暮らすべきなのです。差別が怖いというのなら、尚更「同胞」達の元に帰るべきでしょう。まして「しばき隊」などの「他国機関」やら「共産党」やらが出資して指示を出している「反日ヘイトポルノ中毒」のパヨク連中のように日本の中で日本人を憎み非難し貶めるような活動を行っているのであれば。ちょうど2018年には朝鮮戦争も形の上では終結した事ですし。それでもまだ戦争が起こる可能性があるから帰れないというのならば、何度も脅しを受けている通り日本もまた北朝鮮との戦争に巻き込まれる可能性がある為日本に留まるのではなく、北朝鮮との戦争に巻き込まれる心配が無い上に移民や難民を広く歓迎してくれて、各種人権団体の方々からは日本より遥かに平等で人権を尊重するすばらしい制度と人々で溢れていると専ら評判のドイツなどのヨーロッパ諸国へと移るべきでしょう。日本で差別に悩みミサイルに怯えながらも日本と日本人を憎み「反日ヘイトポルノ」での自慰を唯一の心の拠り所とするような惨めで卑しい暮らしを日本でし続けるよりはよっぽど有意義で建設的であり、日本を捨てるにはむしろいい機会であると言えるでしょう。それでも尚日本で暮らしたいのなら帰化するなりして日本人として生きるべきであり、それも嫌であるのならばせめて朝鮮人である事を隠さずに生きるべきなのです。誇りであるのならば尚更に。
過去の罪がどうであれ、それでたかり続けていいという訳でも、まして何をしてもいいという訳でもありません。そしてその過去の罪とやらにしても本当にあったのかは極めて怪しいものであり、慰安婦問題にしても南京大虐殺にしても731部隊の人体実験にしても証言ばかりで全く客観的な証拠などは一切出ず、逆に慰安婦については高給を貰って売春婦として働いていたという証拠が出てきたり、南京事件についてはその証拠写真とされている写真がことごとく「通州事件」という中国人による日本人虐殺事件の時の写真の加工だったり非武装の民衆ではなく中国軍(国民党及び共産党軍)の兵なり馬賊なりの死体写真を加工したものなどばかりでありあれだけ大規模な事件ながら写真が一切残っておらず処か虐殺の痕跡と言える物証も全く存在していない始末であり、731部隊の人体実験についてもそれが行われていたという建物が現存しているにも関わらず当時の記録処かとても隠し切れないはずの大量の死体などの数多くの物証さえ全く発見されていない始末です。南京事件や731部隊の人体実験の戦犯と言われる者たちの証言についても、敗戦で自棄になっていた為に、或いは自身の生活や将来を守る保身などの為に性質の悪い検察の事情聴取のように相手の作った「設定」をそのまま認めて言いなりになっていたとも考えられ、また家族親族に危害を加える可能性を示されるなどして暗にでも「脅された」のなら、敗戦国で身を守る術などないのですから家族を守る為にでもそう証言する事でしょう。それでなくとも過酷な取調べ所か捕まった事に対する絶望感からのみですら、やってもいない事を取り調べ官に言われるままに認めさせられる「冤罪事件」などこの平和な日本ですら度々起こっているのですから、ましてソ連によってシベリアに抑留され監禁や拷問や死者も大量に出した過酷な強制労働を強いられ続けた後に裁判で証言させられた元731部隊の隊員達の証言などは推して量るべきでしょう。そして韓国については、例え慰安婦問題が事実であろうと、安倍首相が謝罪するまでもなく韓国に対しての戦争時の日本の罪は全て1965年に結ばれた「日韓基本条約」によってその賠償は全て済んでいます。安倍首相は「余計な事」をしたのです。彼ら韓国朝鮮人達(や中国人や反日左翼共)は単に「反日ヘイトポルノ中毒」のド変態というだけなのでアル中や薬中同様、理性に訴えた契約や約束を幾ら重ねても無意味でしかありません。
不可逆的解決だからこれを破ったらもう相手にしないと言っても日韓基本条約の時点で相手をする必要など無かったにも関わらずまた相手をしてしまった時点で、内閣なり与党なりが代わればどうせまた日本が韓国の相手をする事になる事なのは目に見えているでしょう。そうなれば(よりによって)国のトップである「首相」自身が慰安婦の存在を公式に認めたという事だけが残る事になります。そしてもし韓国が慰安婦合意を破棄したとしてもこの事についての国際的な批判について日韓基本条約を韓国が無視した時点で韓国への批判など何も無かった事からあまり期待は出来ないでしょう。ソ連の北方四島占領やイギリスの三枚舌外交など、条約破りや条約破り紛いの事も歴史上それなりに起こっている事ではあり、また日本自身もかつて諸外国と結ばされた「不平等条約」を覆しています。(しかし韓国の国際的な信用については例えばライタイハン問題や2018年7月に発生した韓国企業のSK建設の杜撰な工事が原因のラオスでのダム決壊事故など他の事でも多数「やらかしている」ので、慰安婦問題のみではなくそれらの積み重ねによって韓国がこれからも国際的な信用を大きく失っていく可能性は高いですが。)既にもう慰安婦像を韓国中どころか世界中に設置するなど日本以外で慰安婦問題を喧伝し既成事実を積み重ねられはじめ、2017年10月には中国、北朝鮮、韓国の主張をそのまま取り入れた国連の人権理事会の暫定報告書にて慰安婦への更なる謝罪と賠償が日本に求められるなど、どの道放置は出来ない状況に着実に追い込まれはじめていますが。不可逆的に解決していると主張しても、たった10億ぽっちしか払わなかった事も相まって経済協力などを盾にしてヤクザのように不当な契約を結んで相手の言質をとって黙らせただけとしか他国には写らないかも(「そういう事にされる」かも)知れません。周囲の賞賛の声にばかり盲従する右に倣う事しか能の無いネトウヨ(ネトサポ)などはまた戦前のように国連を脱退しろなどと、それで孤立した事がパラノイア(被害妄想)的に軍部の暴走を引き起こし、結果的に敗戦を招いた大きな一因となったというのに過去を省みる脳みそすら無いかのようなアホな事を言うのかも知れませんが。
2018年10月末、案の定と言うべきなのか韓国最高裁が日韓基本条約を無視して新日鉄住金に対し元徴用工(とされているがこの原告達は徴用開始前に既に日本で働いていた事が判明している)への賠償金支払いを命じる判決を出し日本企業への「たかり」をはじめました。(所詮政治家や企業役員や官僚等の金の為なのか、政治献金や利権等に関わる企業までが被害にあうと判明した途端というのも情けない話ですが)2018年11月現在これには流石に安倍政権も強く抗議し国際司法裁判所への提訴や国外メディアへの韓国の異常性の周知や日本企業の韓国からの撤退を匂わせるなど強気な姿勢を示しており、更に2019年7月には報復措置として半導体材料の輸出禁止を開始し、それ自体は評価すべき点ですが、しかし直前の6月末に行なわれたG20で安倍首相は自由で公正かつ無差別な貿易の実現と開かれた市場の維持に努めると宣言した舌の根も乾かぬ内にこのような差別的で閉鎖的な報復措置に出たのはどうかと思われ、更にはこれが国内で韓国へと材料を輸出していた多くの企業に何の相談も無く突然行なわれ(韓国からの完成した半導体製品の輸入が途切れる事なども含めて)国内外の(「身内」以外の)の産業の混乱を何ら考慮していない動きは問題であり、また今回規制したフッ化水素は毒ガス製造などのみならずウラン濃縮に用いる事が出来核開発に使えるもので韓国はこれを国ぐるみで北朝鮮やイランなどに横流ししておりこの規制はそれを防ぐ為でもありますが、しかしこれはあくまで「ついで」のようなものであり(だったら今更では無く北が核開発した時や今まで何度もあった弾道ミサイルが飛んできた時に規制しろという話である、またこれを裏付けるように9月3日安倍首相は韓国からのホワイト国除外を取り消すならGSOMIA破棄を取り消すという(馬鹿な)要求に対して「根幹にある徴用工問題の解決を最優先する」とこの措置が徴用工問題をきっかけにして起こった事を示唆する発言をしている)主たる理由は日本の安全や世界平和の為等ではなく自民党や安倍首相周辺の支持企業等の稼ぎを守る為や半導体シェアを伸ばしたいアメリカ側の意向などからであるという事が(これまでの安倍内閣の政策からも)透けて見えますが、ともあれ、この措置は増長した韓国の横暴を止めるには有効であり、この強気な姿勢が今までのように保守層の支持を得る為だけの単なる「ポーズ」にならない事を祈るばかりです。

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11田布施 蟻巣 2019/12/30 05:46
安倍首相の一族が岸信介の代から信仰しているSEXカルトの統一教会(世界平和統一家庭連合)について上記のように黒い噂が絶えずその教主もその教えもまともな判断能力があればとても信じるに値しない妄執と矛盾に満ちた気色の悪いものであり、そしてその規模も国内では創価や幸福の科学は勿論、霊友会系のカルトよりも小さいものなのですが、「どういう訳か」この統一教会は度々祝電を送るなどしている安倍首相やその父晋太郎、祖父の岸信介をはじめ、中曽根元首相や吉田茂元首相や福田赳夫元首相などの大物も含めた多くの自民党議員達から強姦魔の性的異常者である教主の文鮮明共々厚く支持されており、最近でも2018年7月1日にさいたまスーパーアリーナで行なわれた集会では自民の柳本卓司参議院他、工藤彰三、三ツ林裕美、神山佐一、木村賢太郎、宮島喜文衆議院議員らが来賓として参列し、また逢沢一郎、木村義雄参議院議員ら他47名の国会議員達が祝電を送ったほどに依然多くの自民議員達から支持されており、2013年にも安倍首相と共に自民の保岡興治元法相や中川秀直元自民政調会長、当時民主党だった上田清司埼玉県知事や村井嘉浩宮城県知事など判明分だけで56人の議員が統一教会とその偽装組織の合同結婚式等の集会の際に祝電を送っており、また小泉元首相などもこの統一教会と関係があるという話もあり、更に2017年5月には統一協会幹部である金起勲らの訪問を高村副総裁と田中和徳自民党国際局長らが迎え入れ、更にその後、菅義偉官房長官が首相官邸にまで招待しており、統一教会は自民党議員達、その中でも取分け「清和会」に所属する議員達に深く支持されているようであり、また他にも右翼の大物の笹川良一や児玉誉士夫、更には(元自民だが)小沢一郎や鳩山元首相などの自民以外の政治家まで与党野党の垣根無く多くの政治家達や右翼団体等から支持されており、更には朝鮮人を特別視し日本人を貶める人種差別教義(ただし貶める対象が日本人の為ヘイトスピーチには当たらない)を掲げる朝鮮宗教にも関わらず、普段朝鮮人に対し差別的発言を好んで行なうネトウヨ(ネトサポ)なども統一協会には批判どころか触れようとさえしない始末であり、まったく日本の保守やら右翼やらが「本当は何に牛耳られているのか」を察せられるという話です。彼らや一般統一信者である「食口」達は日本(というより世界)にとっての「癌細胞」だと言え、
これ以上おかしな世の中にしたくないならば、ここに挙げた議員達をはじめ統一教会を支持している議員達やこれだけ失策を繰り返して尚安倍首相を支持している議員達には票を入れる事は避けるべきでしょう。統一教会がこのような稚拙な教義を掲げながらの悪辣な活動を行ない続けているにも関わらず、なぜこれほど多くの政治家達から支持され続けているのかというと、この統一教会がCIAの工作機関の一つである(また同時に、北朝鮮やロシア(ソ連)などにとってはアメリカへの「逆工作」や「非合法な取引」などを仲介する機関とも)からという話があります。文鮮明は1970年代から80年代にかけて中南米において統一教会のダミー組織などを通してブッシュ(父)元大統領元CIA長官と共に大規模な麻薬密売に関わり財を蓄え、現在の悲惨な中南米の麻薬カルテルの闘争の原因を作った一人であり、また世界平和を詠いながら70年代韓国で統一重工業を立ち上げて銃器製造を行って韓国軍などに武器を供与し日本でも信徒を通して鉄砲店を開くなど(これにより「有事の際」には「食口」達が猟銃等を持ってテロを起こすかも知れないと言う懸念も出ていた)武器商人として軍需産業にも深く関わり、現在も文の子供の内、四男の文国進は米国で銃器製造会社「カールアームズ(KHAR Arms)」を経営しており、また2018年2月には統一協会の分派であるサンクチュアリ教会がアメリカのペンシルバニアで教団員一人一人に銃を携行させた上での合同結婚式を開催している。他、統一教会はウルグアイなどでマネーロンダリングなどにも関わり、頻繁に海外で行なわれている修練会もその目的で行なわれているという。他にも統一協会は不動産関連や新聞社や通信関連企業や製造、食品、医療、教育や他の宗教団体など表社会も裏社会も問わず世界中で様々な事業を展開して各業界に広く浸透し、信者達からの金の多くもその事業費や政治献金に当てられているという。また文鮮明は日本において勝共連合を設立し反共産主義を掲げながらも北朝鮮の金日成と親交を深めており、北朝鮮による拉致や暴力団への武器麻薬の密売には統一協会の食口達も関与しているという話もあります。年次改革要望書とも一部被っていますが、統一協会は日本を衰退させるように日本の政治家達などに要望を出し続けており、安倍内閣が現在推し進め続けている日本衰退政策もこの統一協会の要望からであるという。
軍事力を持たれると困るからか憲法改正を御旗に掲げ続けながらも安倍首相が(「庶民への締め付けと搾取」には熱心ながら)一向に着手する気配が無いのもそのせいでしょう。日本においては「日本会議」として政治的に「表向きは」保守や右翼と強く結びつきながらも、韓国、及び日本以外の国においては慰安婦問題を煽り続けて世界中に喧伝しているように、或いは統一協会の信者が敵対する宗教にも多数忍び込んでいるように統一協会及び文鮮明のやり方は敵対する勢力であろうと取り入るダブルスタンダードが基本であり、その団体の掲げる教義や思想が統一協会と相容れない事とその団体に統一協会が関与しているかどうかは関係がありません。また団体についても食口達についても通名のように幾つも名を変えて統一協会との関連を示唆させないようにする事も常套手段です。セミナーやまた各大学でサークルなどに偽装して何も知らない学生を囲って獲得する悪質な勧誘も行なっており、現在も「UNITE(ユナイト)」という主に二世達で構成されている統一協会員の大学生達の集団があり、また、各大学公式の学内新聞によく似た名の「原理新聞」を各大学内において配布する事なども未だ行い続けています。2018年7月6日、オウム真理教の麻原彰晃が死刑になりましたが、この時一緒に死刑になったオウムの元No2で裏のトップと言われた早川紀世秀は元統一協会員であり、オウムには早川が統一協会から引き連れてきた(上記の麻薬製造、密売や武器製造などに関するような)人材が多数侵入しており、オウムは実質的には統一協会の傀儡組織であったという。オウムに資金や人材を提供したのは統一協会(や創価や北朝鮮やロシアなど)であるといわれており、1984年に単なるヨガサークルとして発足したオウムが、僅か11年でサリンやVXガスを製造出来るまで力を付ける事が出来たのは、特に麻原のような多数の愛人を囲い性的醜聞に事欠かず、また暴力やLSDなどの麻薬まで使って洗脳を行ない、地下鉄サリン以前も殺人を行なっていた程の「足がつきやすい」人物と教団が坂本一家殺害事件や松本サリン事件を経ても尚、地下鉄サリン事件に至るまでその悪事が露見せず摘発されなかったのは、多数の議員と関連が深い統一協会の協力があったと考えれば腑に落ちるものがあるだろう。オウムと統一協会の関係を追及していた元民主党議員の故石井鉱基氏は、2002年10月に右翼団体の暴力団員に刺殺されている。
2019年末、税金が使われ公選挙法違反の疑惑が出ている「桜を見る会」にて安倍首相がお年寄りなどを騙し高額商品を売りつける「マルチ商法」企業である「ジャパンライフ」の山口隆祥会長を招待し、のみならず暴力団幹部や半グレ組織のトップ等の反社会組織まで招待している事が発覚し、更には招待状の転売や偽の招待状がヤクザの収入源になっていたという話まで出ていますが、桜を見る会は2019年ではありませんが13年から16年まで「霊感商法」の統一協会の関連政治団体である世界戦略総合研究所の小林幸司事務局長を招待しており、安倍首相も10年と12年に同研究所の集会やシンポジウムに参加している。またこの桜を見る会にはマスコミ関係者も多数参加してるが、この会の報道の裏で日米FTAが締結された事は殆ど報道されていない。日米FTAには今の処懸念されているような健康保険制度の破壊や医療費の高騰や医療の劣化を直接引き起こす様な物は含まれてはいないようだが、しかしあれだけ期待されていた「郵政民営化」の結果アフラック等の外国資本との競合等に晒された日本郵政がやがて過度のパワハラや強引な保険勧誘、果ては保険料の二重取りなどの不当な保険契約も行う企業と化し、また郵政を切り捨てた国の財政も全く改善される事無く消費税は増税し続け赤字国債も膨らみ続け完全に失敗している様に、この郵政民営化の失敗を見ていて尚、多くの産業や企業が外資との競合に晒される日米FTAに性懲りも無く未だに期待を寄せるというのは、衣服を剥ぎ取られ尻の毛まで抜かれてもまだ気づかない様な無頓着な間抜けとしか言えないだろう。統一協会はアメリカのCIAの工作機関の一つという話であるが、2019年11月時点で安倍内閣には統一協会と関係の深い議員が10人(安倍晋三、麻生太郎、高市早苗、萩生田光一、加藤勝信、田中和徳、武田良太、衛藤せいいち、竹本直一、菅義偉)入閣しているという。

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10田布施 蟻巣 2019/12/30 05:46
一代限りの「F1品種」や「遺伝子組み換え品種」などを扱う「穀物メジャー」の一つである「モンサント」社は進出した先で地元農家を巨額の訴訟などによって潰し在来品種を追いやり続けた事やその製品の環境への悪影響から世界中で問題視され、安倍政権が行った種子法廃止はTPPによってモンサントのような多国籍企業が日本に進出した際に日本の農家と作物を追いやって外国企業のF1種や遺伝子組み換え種などばかりが作られるようになる事に強く貢献するものであり、また、既に日本に進出しているフランスの「ヴェオリア・ジェネッツ」社などの「水メジャー」は、実際に国に代わって水道事業を運営した際「何処も例外無く」、料金の値上げや杜撰な施設管理による水の漏洩事故や水質の悪化など当初期待していた事の真逆の事態が起こり続けており、特にIMFの薦めでアメリカの「ベクテル社」と契約したボリビアでは水道料金が4倍になった上に十分浄化されていない水が流れるようになり、更に料金の払えない世帯は容赦なく断水され共用の井戸や貯水槽にまで課金された為に汚水しか飲めなくなった多数の貧困層が命を落とし、南アフリカでもフランスの「ジェネッツ(現ヴェオリア・ジェネッツ)」社とスエズ社、イギリスの「テムズウォーター」社と賄賂によって契約した後、貧困層の水を止めた事で同国史上最悪のコレラの大流行を発生させ多くの死者を出すなどの事態が起こり、フィリピンのマニラでも民営化後に料金が4〜5倍になり公共の無料の水道施設が全て使用禁止にされたなど散々な事態に陥り、これらの国は勿論、ベルリンやパリやアトランタなど先進国の都市でさえ問題が多発した為に水道事業を買い戻して再公営化し、結果として巨額の損失や債務だけが残っただけとなるような事態が多発しており、日本でも先述の「ヴェオリア・ジェネッツ」が施設の一部を管理している松山市では、料金について松山市はヴェオリア側に料金の決定権は無くヴェオリアとは関係が無いと言いながらも、実際にヴェオリアに委託して以来それまで殆ど変動が無かった水道料金が一気に2.5倍にまで膨れ上がったという事が起こっています。(以前から続く水不足などが原因だというならヴェオリアへの委託前に既にこのような急速な値上げが起こっていたはずである。)また同社に委託した大阪府の堺市では同社の委託職員が水道料金を1900万円分着服していたという事も起こっており、
安倍政権の麻生太郎大臣は2013年にワシントンで日本の水道を全て民営化すると宣言するなど長年日本の水道事業を民営化しようと推進し続けており、上記ヴェオリア社の経営者の妻がこの麻生大臣の娘であるというような話までありますが、いずれにしろ、これらの政策を放任しこれら多国籍企業が日本に進出し続ければ将来的に食料品や水道料金の値上げ処か、上記で挙げた他国での事態のようにその供給さえ侭ならない事態に陥る事となっていくのは明白でしょう。2018年12月安倍内閣の下、自民、公明両党議員多数の賛成によって水道民営化法が可決されました。英国でさえ貧困層は水道代の為にトイレを流す事さえ躊躇うようになっているようですが。しかし水の大幅な値上げや質の劣化は食品業界のみならず工業製品を扱う企業などにとっても相当な痛手になると思われるのですがそれでも多くの企業が自公の議員共を支持し続けるというのですから、どうにも日本の経営者や経営陣というものは致命的なまでに想像力に欠けているようであり、そりゃ日本の(これから先も含めた)衰退も当然だったと言えるのかも知れません。

2018年1月6日、韓国製、韓国行き予定のイラン企業所有のタンカー「サンチ」と中国の船が中国のEEZ(排他的経済水域)内で衝突し、その後タンカーは8日間も漂流し続けどういう訳か1月14日に日本のEZZ内に移動して原油を大量に残したまま沈没。中国側の乗組員の死者は0ながら、イラン側の乗組員は全員死亡し、世界的に見ても2010年のメキシコ湾原油流出事故に次ぐ過去最大級の原油流出が日本近海、それも親潮と黒潮に乗って日本全域に拡散するような場所で発生しましたが、2月3日時点でさえ、安倍内閣及び環境省水産庁はこの事故について殆ど放置しているとさえ言える程度の対応しかとっていませんでした。この事故では特に過去類を見ない量のコンデンセートという無色透明に近く海面上に浮く性質を持つ毒性の強い軽質原油が大量に流出していますが、漂着する可能性の高い沿岸地域の住民に対してもその危険性についての勧告などさえ殆ど出ていないようです。この事故については普段沖縄で環境破壊から米軍基地反対を叫んでいるパヨク連中も中国船のサンゴ大量密漁によるサンゴ礁破壊と同様に何故かだんまりですが、この事故は海外では「日本の海がもうすぐ死ぬ」とさえ言われて事故直後から大々的に報道され、事故を起こした中国は勿論ですが日本の対応の不味さについても批判が起こっていましたが、日本のマスコミにおいてはその深刻さと重大さに比して殆どその報道は皆無と言っていいほど触れられておらず連日相撲や東京大雪などばかりが報道されていた始末であり、これは同事故より小規模ながら連日報道されていた「ナホトカ号」の事故の時と比べても異常であり、また、日本のネット界隈でさえこの事故の話題性は低く、事故を起こした「中国側への配慮」が色々と透けて見える事態となっていました。2010年のメキシコ湾での流出事故では、事故を起こしたイギリスの企業(BP)が被害地域に対して一兆円以上もの巨額の賠償が命じられているそうですが(しかし2019年現在、メキシコ湾は特に深海部において炭化水素に誘引されて周辺から集まり毒に侵され腫瘍塗れになったエビとカニが辛うじて共食いによって生きる以外に全く生命がいない状態となっており、BP社はこれを認めずメキシコ湾は回復したと一方的に主張している)、これから先これによって日本の海に何らかの影響が出たとして事故を起こした中国(とイラン)が賠償を行ってくれるかどうかは、
今の日本の体たらくからもかなり怪しいかも知れません。豪雨発生当日は自民党議員らとの宴会を続行し死者行方不明者が100名を超える事が既に発覚していた7月8日未明においても、まだ災害対策本部を設置さえしなかった等(おかげでそれまで自衛隊が殆ど動けなかった)2018年7月5日からの岡山、広島をはじめとした西日本での豪雨被害(西日本豪雨)への対応や熊本地震や2019年夏の佐賀豪雨や(東京電力と千葉県知事の森田健作の対応の遅さと無為無策の影響も大きいが)同年9月8日に発生し対応の遅さで長期化している台風15号による千葉県の大規模停電や、また民主党時代の宮崎口蹄疫の被害を遥かに超える豚コレラの拡大等への「対応の遅さ」と「無為無策っぷり」などを見てもそうですが、安倍内閣、特に第二次安倍内閣は、しかしその「やってきた事」や「これからやろうとしている事」を冷静に見ればはっきり言って様々な面で戦後最悪の部類に入る内閣であり、よく言われている「他に良い人がいない」というのは刷り込まれた単なる印象でしかなく他の人が首相になった方がまだマシになる可能性の方が高いです。ただし次の首相に変わった際は安倍内閣が今まで誤魔化し続けて来た多くの問題が表面化する事で一時的に状況は悪くなる可能性が高く、また小泉進次郎のように政治能力の無い者が就いた場合などもむしろ今より悪化もする恐れが強いですが。「野党が頼りないから仕方ない」という声もよく聞きますがそれなら同じ自民党内で別の人に代われば良いだけの話でしょう。安倍首相は自民党内の「清和会」という派閥に属しており、この「清和会」には麻生大臣や小泉元首相や森元首相なども所属していますが、安倍首相が駄目で野党も駄目なら同じ自民党内でも安倍首相の所属する清和会とは別のもう一つの派閥である経世会の方を支持するというのも一つの選択であるのかも知れません。とはいえ自民党全体が殆ど安倍支持である為あまり意味はありませんが。また、与党の好き勝手を防ぎ危機感を煽る為に「あえて」他の野党に票を分散させるのも一つの手でしょう。安倍政権は第二次政権発足以来、使途不明な「官房機密費」等を使って右翼やネトウヨ(ネトサポ)を雇って世論を煽っているという話がありますが、掲示板の書き込み一つはよくて一回数十円程度で一日張り付いても数千円程度にしかならないらしく、
記事や動画の作成でも一つ千円にも満たないにも関わらず彼ら雇われネトウヨ共はせっせと安倍政権の消費増税はじめ各種の増税や売国政策に賛成し、反対する者を朝鮮人や中国人扱いしていますが、しかしこんな裏工作という汚れ仕事、それも一日はりついてようやく数千円になるかどうかの仕事を選ぶ人間達など大概は碌な職についていない無知な貧困層に属する者達であると推測され、消費税の増税などはしかし貧困層が最も影響を受けるものであり、彼らが今稼いでいるよくて一日数千円程度のはした金以上の額の金を彼らも失う事になるのですが、そんな中で目先のはした金の為に消費税増税に賛成し安倍政権の為に働くなどはっきり言って計算の出来ないアホとしか言えず、「朝三暮四」の故事の中の猿以下の知能としか言えないでしょう。(或いは無知な貧困層ではなく家が裕福でも「こじらせた」引きこもりやニートや無職の類が多いようだがしかし愛国心からという理由でも今までの安倍内閣を見てそれに協力する事が国の為だと本気で思っているのならば残念ながらやはり酷く頭が悪いとしか言えないだろう。ネトウヨには退職後にネット上の中国朝鮮関連の醜聞に触れてなった団塊の世代以降の高齢者層もかなり多いそうですが、しかしもし再び軍国化し戦争でも起これば真っ先に切り捨てられるのは介護費やら年金やらの戦争では役に立たない弱者を救済する為の社会保障費であり、現在の安倍内閣さえ消費増税に水道民営化に貧困層の後期高齢者への保険料の減額措置の撤廃などといったような弱者切捨て政策を多数行なっているのですから、現在の高齢者やもうすぐそうなる中年層や社会の役に立たない引きこもりやニート等が日本の軍国化を望んで活動したり安倍内閣を支持するというのは、一種の社会的なアポトーシス(自死)なのか何なのか、自分で自分の首を締めているとしか言えません)情や愛は決して分かり合えないような悪人達を善人に見せるほど人を盲目にし、怒りや憎悪や嫌悪感はそれから「目を覚ます」為に極めて有効とは言え、怒りや憎悪や嫌悪感も過ぎれば(というより多くの場合、情や愛などよりそれらによっての方が)人は盲目となるものであり、安倍内閣が見せる「嫌韓ヘイトポルノ」に夢中になるあまりそれ以外のあからさまな売国行為が全く目に入らない頭猿以下の脳死ネトサポ共などは正にその好例と言えるだろう。

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9田布施 蟻巣 2019/12/30 05:46
初の自公連立政権である小泉内閣で推進された郵政民営化や、また人材派遣会社パソナ会長の竹中平蔵と共に行い現在貧困層の拡大と少子化進行の大きな原因の一つとなっている「労働派遣法改正」等も実は小泉内閣が考えた事ではなく米国が日本へその要望を伝える「年次改革要望書」という文書(クリントン政権から開始)に記載されていたものであり、小泉内閣は実はアメリカの要望に応えただけ、アメリカの「言いなり」になっただけです。この「年次改革要望書」には「消費税増税」や「移民政策推進」などについても記載されており、消費税の8パーセント増税自体は民主党政権時の野田内閣時に提案されたものですが、しかしそれを破棄せず決行したのは「自公連立政権」である安倍内閣でした。他にも自公連立政権の政策にはこのアメリカからの「年次改革要望書」の影響が強く反映されており、つまり自民党、及びそれに追随する「公明党」は、アメリカの言いなりになって行動している面が強いのです。創価学会員達の中には、公明党は中国や韓国などの為に活動していると思っている者も多いようですが、しかし実態としては自公連立政権、及び「公明党」は、アメリカに媚を売りアメリカに尻尾振ってアメリカの言いなりになっている「アメリカの犬」であると言えます。それに協力している学会員達についても。この「年次改革要望書」は、民主党政権時代には一旦廃止されましたが、しかし「自公連立政権」である安倍内閣の時に再開されています。他、福島原発事故でその対応の不手際から菅元首相や枝野元内閣官房長官をはじめ民主党政権にばかり批判が向きがちですが、2003年に福島原発から電源喪失時に作動する非常用冷却装置を取り外す事を議会決定し、事態をより深刻化させた原因の一つを作ったのは自公連立政権である小泉内閣でした。現在の安倍内閣にしてもしきりに経済成長をうたっているだけあって株価は上がり続け企業が溜め込んだ資産である内部留保は法人税を引き下げた事もあって2017年に過去最大の400兆円に達し公務員の給料も上がり続け約250万人もの新規就労者が出来た一方、労働者に支払われる分の給与の割合を示す「労働分配率」は下がり続け、非正規雇用率は過去最大に達し、アベノミクスで増えた新規就労者250万人の内の207万人は非正規雇用であり、それも主婦などの女性や定年退職した層の再雇用組などそれまで働かなかった(働く必要の無かった)層が殆どであり、
また正社員の増加は終身雇用下で限界まで給料が上がっていた(物価と比較した実質賃金で見ても新卒時と比べて2倍や3倍以上になっていた者もザラだっただろう)団塊世代周辺の世代の大量退職や、今も大企業で敢行され続けている大量リストラや(多くの企業で暗黙の下で続けられている嫌がらせ等による)自主退職の為に、新卒やそれと同等かそれ以下の給料で済む安価な再雇用正社員を安く大量に雇えるようになった為であり、安倍政権の政策の為に雇用が改善した為という訳でも経済が活性化した結果という訳でもありません。(また今正社員が一時的に増えたとして終身雇用が崩壊した現在、新卒も含めて新しく雇用された正社員達の多くは昭和の高度経済成長期からバブルまでの頃の一般サラリーマン達のように出世し続ける事はおろか給与が安定して上がり続ける事も今のままでは難しいだろう)若年層の就業率の増加もリーマンショックで一度大きく落ち込んだ後は民主党政権下でも回復し続けていた通り単純な人口減によるものと区別が無く(2019年7月時点までこの文では若年層の就労率は減少していると書いていたが誤りである)株価の上昇さえも日銀や年金などを(2018年8月までに66兆円以上)投入して無理矢理引き上げ続けているだけの官製相場であり(株などは「売れば値段が下がる」為、幾ら年金などを株に突っ込んで利益を出したよう見えても突っ込む額が巨額であるほど現金化するのは困難になり、だからこそ利益は出ていると言いながら年金は減らされ続けたり2019年4月に会計検査院に年金運用の赤字を指摘されたりしている。年金の投資による運用は第二次安倍内閣で激化したが、株などは結局の所ギャンブルの為これで年金を増やそうというのは子供の養育費や結婚積立金などの大切な金に手をつけそれをパチンコで取り返そうとする男の精神性と根本的に同じであり、こんな政策に頼り、まして信頼するというのももはや愛の無い駄目男に貢ぎ続ける共依存女性のように正気を失ってしまっているとしかいえないが、なるほど代々一族でパチンコ業界から多大な献金を受け取り続け山口県下関市の実家がパチンコ御殿とも呼ばれる安倍首相らしい政策ではあると言える)、年収200万以下のワーキングプア層も2012年の第二次内閣発足以来増加し続け、更に年金や生活保護費などの社会保障費や介護報酬や母子家庭への支援も削り、年金も68歳から開始するようにしようかという方針まで出始め、
処か2018年5月には自民の岸田文雄政調会長などが「エイジフリー社会」などと称し定年を無くし一生働くべきという旨の提言までし安倍首相もそれに同調する始末であり、体感としても食料品などは値段が上がる一方で目に見えてその内容量は減り続け、国民全体の消費支出も減り続けています。日銀の黒田総裁による(後に大きな反動が出るという)「異次元緩和」も失敗に終わり、そして2018年ついに名目GDPもマイナス成長に陥りました。更には2018年7月に第二次安倍政権下の2014年から2017年にかけて日銀が経済成長の指針の一つである個人の投資信託の増加について、本来ゆうちょの増加分だった30兆円分を「うっかり」誤って個人の増加分として過剰計上し続け実際にはその間個人の投資信託は減少に転じ続けていた事が発覚した件や、GDPの計算方法を変えた為に増えただけの額をそのまま自然増加したように喧伝している事や、計算方法だけでなくGDPの数値自体も改竄していたという疑惑などもあり、実際2018年11月に日銀が政府統計に不信感を抱いて元データの提供を求めるが安倍政権がそれを拒否するという事も起こっており、また2019年には(申請があれば返還されるとはいえ)「通知無く」10年以上放置されている銀行預金を日本政府が無断で使用出来るようにするという庶民の貯金にまで手を出す形振り構わぬ「卑しい金策」まで行う必死さと意地汚ささえ見せており、また同年12月には預金保険機構から8000億円を2019年の予算に回す事を決定するなど、本当に経済成長していたのかもはや怪しいレベルになっています。安倍内閣では他にも森友加計問題などや公文書偽造問題も含めこのようなデータの捏造が相次いで発覚しもはや高いとされている支持率や得票数などにさえも疑問が出ている程ですが、(2019年夏の参院選では富士宮市で山田太郎への票が全て山本太郎に入るという事が「市民の訴えによって後から発覚」したが(訴えなければそのままだった可能性がある)、各地の集計人の中に与党シンパの「工作員」を仕込み、「数票から数十票に一票、野党票を与党票として数える」等のもっと「判り難い方法」で選挙結果の「捏造」を行なう事も現行の選挙制度下では出来なくはないだろう)、小泉政権の聖域無き構造改革によって議会の官僚への監視と干渉を強めた後にこのような安倍内閣にとって有利となるデータの捏造が連発するなど、
組織の構造改革などはよほどその構造に明確な欠陥があり、かつ、その欠陥をほぼ解消してしまえる程の徹底した改革が行なわれない場合は単に責任と負担を他所に押し付けただけという結果にしかなりかねず小泉改革なども殆どこの類であったとはいえ、しかしこの安倍内閣有利の官僚絡みの捏造の乱発は、やはり官僚の腐敗を防ぐはずの構造改革が安倍内閣によって利用され逆に官僚達が安倍内閣の「忖度」に協力する羽目になったという新たな腐敗の温床になってしまっている事を示しているように見えます。また安倍内閣は電通での過労死事件を受けて尚パワハラと同調圧力で違法なサービス残業が相変わらず横行し続けている中で「働き方改革」として年収1075万円以上なら幾らでもサービス残業を行なわせても良いという解釈さえ出来る程不備のある(法案中には成果に応じた賃金への言及無し)「高度プロフェッショナル制度」を推し進め、これはまだ年収1075万以上の層限定とされていますが最初高度な技術を持つ労働者限定だったものがその後一般労働者にも適用され低所得層を増加させた派遣法改正時のようにいずれ低所得層へも適用されるのは目に見えており、現に日本維新の会が早速700万以上に適用できるようこれを改正する提案を既に出しており、経団連に到っては年収400万以上で適用しようとさえ言っており、安倍内閣は労働面においてもこのように将来必ず日本国民と経済に多大な悪影響を及ぼす法案を未だに推し進め続けています。民主政権と違って安倍政権は円安を維持している事が評価されていますが、しかし元々日本は経済的には内需の国である上に資源なども大半は輸入に頼っている為、輸出企業や観光産業など外貨を稼ぐ事の出来る企業以外の大半の日本企業にとって円安は材料費などが高騰するばかりであまり恩恵が無く、内需が大半の日本経済全体においてはむしろマイナス面の方が大きいと言え、アベノミクス以降続く(好景気という公的な発表や報道とは裏腹の)生活環境と労働環境の悪化はその反映であると言えるでしょう。少子高齢化の影響もあって近年運送業の人手不足が深刻化している中、この狭い国土の為に道が狭く十分整理されているとは言えない日本で自転車の車道走行の義務化を進め、ただでさえ集中力の切れ易い長距離運送の運転手と、高齢化が進んだ事も相まってだだでさえちょっとした事でバランスを崩し易い自転車の接触事故などを起こり易くし、
トラック運転手などの事故による賠償リスクと失職リスクを高めて運送業から人が減っていく事に更に貢献している点も中々ポイントが高いです。その癖反射神経や判断能力等が衰え事故を起こし易いお年寄りの免許返納については後期高齢者についてでさえ実際にお年寄りの運転による死亡事故が頻発しても放置し続けているのですから、わざと日本の交通事情を混乱させようとしているようにしか見えません。また2018年4月には事実上の妊娠税とも言える「妊娠加算」を設け少子化に更に拍車をかけるような真似をしています。多くの反発の為に2018年末にこの妊娠加算については一応は廃止が検討され現在凍結されているようですが再開の声も根強いです。代わりなのか何なのか政府は同年末に後期高齢者医療の低所得者への保険料の軽減措置の撤廃や走行距離ごとに課税する「走行距離課税」の導入も検討している事を発表しお年寄りや車が必須の大多数の地方住民や流通業界に更なる打撃を与えようとしています。韓国や中国や北朝鮮、又は国内左翼への強気な姿勢が若年層の支持に繋がっている(と言われている)一因ですが、しかし戦中の軍艦島(端島)での朝鮮人労働者を「うっかり」強制徴用だとして世界遺産に登録したり、慰安婦にも謝罪し国際的にその存在を認めたりとやってる事を見れば日本が韓国(人)に対して非があるように見えるように動き続けています。韓国の徴用工問題への報復措置に出たのは評価すべき点ですが、しかしこれも結局は日本の為というより野放しにすれば自民党や安倍首相の支持企業まで被害を受ける事や、またサムスンやLG等の韓国のライバル企業を潰して半導体産業でのシェアを伸ばしたいアメリカ側の意向等から行なったに(これまでの政策から見ても)過ぎないのでしょう。他、ロシアとの北方領土問題についても2016年に安倍首相はロシアのプーチン首相と共に北方領土でのロシアと共同経済活動を行う方針を示しロシアに対し日本の税金で一兆円もの経済支援を行う事を表明した以降もロシアは返還の意志処か2018年2月には北方領土内で軍事演習を行い北方領土を軍事拠点化する姿勢を示した上、(敗戦寸前のどさくさ紛れで盗んだ泥棒の分際の)ロシアから責められた事で北方領土に言及しない処か、2019年の外交青書から(北朝鮮へ圧力をかけ続けるという文言と共に)北方四島が日本固有の領土であるという文言が消えるほど弱腰な姿勢を見せる始末であり、
また北朝鮮の拉致問題、核開発についても安倍政権は何の成果も挙げず、上記のように一般庶民に対しては消費税などの税金負担を増やし社会保障を削る一方でインドネシア等の発展途上国のみでなくアメリカやロシアや中国や北朝鮮などにさえ経済協力だのODAだのと言って数十兆円もの返ってくる見込みの無い上に大半は相手国の権力層の懐に収まって終わる無駄な金を政権発足以来ばら撒き続け、2018年5月にも米国のコロンビア大学等の経済支援が必要とも思えない有名大学数校への(日本の大学を差し置いての)十数億円もの「経済支援」を表明し、その癖IPS細胞の研究費は打ち切りを決定し、更に安倍政権から急増した米国からの高額兵器ローン残高は2018年には5兆を突破し(この時大量購入したステルス戦闘機F35はステルス性をすぐに失ったり空中戦で制御不能に陥る事があるなど重大欠陥を多く抱え、更に情報を米国に自動送信する(上に解除不能な)機能までついているという)更に2019年には安倍首相はアメリカへの自動車工場設置の為に約4兆4千億円を(国内を差し置いて)アメリカに投資する事をトランプ大統領に約束し挙句そこまで「ポチ」に徹しながら日米安保の破棄まで検討され出す始末であり、更に8月末には中国が買い取り拒否して余った飼料用トウモロコシ(遺伝子組み換え)を特に不足してもいないのに250万トンを(税金によって)輸入する事を決定し、また経済や外交以外でも医療や農業などまでが外国との競争に晒されそれらの安全で安定した供給を揺さぶる恐れのあるTPPに参加し、また種子法を廃止し日本固有の品種の種子が国や県などによって保存されなくなるなど(処か農水省のアホ共は種苗法を改悪し全作物の自家採取が違法になるよう働きかけてさえいる)、日本の固有品種やその栽培農家が衰退し日本農業の脆弱化(というより崩壊)を招くような政策を行い、また水道も自由化しインフラである水道事業を民間企業に任せてその品質と安全性が脅かされる事に繋がるような政策も行うなど(2018年末に成立した改正水道法だけでなく、安倍内閣は2018年10月から自治体・議会の承認無く水道含む公共施設の運営権の売却と料金の値上げが可能となる新PFI法を既に施行している)、派手な国粋パフォーマンスの陰で着実に日本が更に追い詰められ衰退に向かう事に繋がる政策を多数行っています。


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8田布施 蟻巣 2019/12/30 05:45
公務員と言えば他にも2019年1月にはまた厚生労働省や経済産業省や総務省などの中央省庁において長年に渡る「国家ぐるみの粉飾決算」とも言えるものも含めた多数の「統計不正」が相次いで発覚し(CCNというアメリカの投資専門メディアの報道では経済統計の内半分近い4割が不正統計だという。実態はもっとひどい可能性があるが)、各省庁が長年に渡って出し続けた政府統計データが全く信用できない事態となっており(更に安倍は外部からの監視機関である第三者委員会の設置を拒否し)、2018年の実質賃金も大幅に下がりアベノミクス以降の実質賃金が大した金融ショックもないのにリーマンショック並(或いはそれ以下)に下がっていた事も発覚し(更に2019年3月に厚労省は実質賃金の公表を止めると発表)、現在の日本政府では国家ぐるみで統計不正を今も平然と行い続け、当然そこで働く官僚達もこれに深く関わっています。官僚と言えば、法律上違法なギャンブルなのに何故か取り締まられず三点方式という屁理屈で未だ黙認され続けているパチンコ業界と警察官僚との癒着をはじめ、「天下り制度」が度々大きな問題として取り上げられ続けながらも結局改善される事なく放置され続けていますが、この制度は「早期勧奨退職慣行」の為に競争の激しいキャリア官僚達の中で競争に負けて退職する事になった官僚達の受け皿として機能し、それによって(民間へと進んだ同窓との給与や待遇の差などから)官僚達のやる気を維持し国家中枢に優秀な人材を確保し続ける為などの理由を一応の建前としており、なるほどその理由というのは頷ける話ではあります。しかし、人間心として名誉欲や金銭欲などの各種の欲や保身などは決して無視できないとは言え、このような理由で国家中枢という極めて重要な場所で働き続ける人々が果たして「まっとうに働き続けるだろうか?」というのは一つの疑問であり、事実この「統計不正問題」をはじめ、汚職や癒着など「まっとうではない仕事」にエリート官僚達が手を染めていたというニュースは絶えません。ましてキャリア官僚達は競争の激しい世界という「勝つ為なら汚い手も平気で使う」という道徳や倫理感に欠けた者達が常に勝ち易い世界に身を置き続けているのですから。とはいえ競争に負けた元官僚達の受け皿は必要ではと思われるでしょうが、しかしバブルが崩壊し終身雇用制度も崩壊した現在において民間において気力と能力の衰えた中年以降にリストラによって、
突然退職に追い込まれる事など「もはやよくある話」であり、そのような時勢の中で国家試験I種に合格し省庁で働いていたという能力と「コネ」と「ブランド」があり「潰し」が民間人達より幾分も利くだろう元官僚達を大して働かなくてもいいまま高給を取れるポストへとわざわざ「過保護」に斡旋してやる必要がどこにあるのか?という話である。ましてこんな「統計不正」やら汚職やらと碌な事をしていなかったという話なら。過保護にされて当然というほど自分達は優れているという話なら自力で次の職場もすぐに見つけられる事でしょう。国家I種というのは難関で、また中央省庁は並のブラック企業以上の激務だという話であり、そんな中頑張り続けた元官僚達にこの仕打ちはあんまりだという考えもあるかも知れません。しかし勉強などは才能のある者は大した努力などしなくとも簡単に出来るものであり、学力や知能には後々の努力では越えられれない才能の壁というものが確かにあり、つまりそれほどの難関を越えたからと言ってそれは元々の才能ゆえの部分が大きく、国家I種合格者達が全て人並み外れた努力をした結果受かったとは限らないという話であり、また幾ら努力しても受からず努力が報われぬまま民間へと流れた人々の数も官僚になれた者達の何倍もいる事でしょう。省庁での激務についてもそれ以上に悪質なブラック企業も民間には多くそこで酷使された挙句使い捨てられる人々も未だに多い。そもそも民間にそのようなブラック企業を蔓延させた一因は彼ら官僚達にあるとも言え、彼らがそのようなブラック企業で働く人々のような扱いを受ける事になってもそれは一種の因果応報とさえ言える中で、やはり彼らを「天下り制度」で過保護に保護してやる必要があるとはもはやこのご時勢では言えないでしょう。バブルが崩壊し経済的に衰退し続けている中、民間に行った優秀な同窓と官僚達の待遇差などももはや大して無い処か逆転している場合もあるだろう事からもやはりこの制度は時代錯誤なものと言え、むしろこの制度は本来優秀な能力がある人間を殆ど何もしなくても高給が得られるポストに就かせて「飼い殺し」にする事で、元官僚と言う優秀な人材の能力を発揮させずに日本の成長を妨げ続けている可能性すらあります。このような天下り斡旋が必要と言われているその主な原因は、年齢が上がる毎に出世と共にその世代の人数を減らしていく事で世代交代を促し、
組織の新陳代謝を高めて組織の腐敗を防ぐという名目で行なわれ続けている「早期勧奨退職慣行」にありますが、しかし「組織の腐敗」を「全く防げていない」通りこの慣習はなんら機能しておらず、むしろ「厳しい競争社会」故に「評価」を得る事を優先しがちになってしまい「ご機嫌取り」や「コネ」を造る能力は高いが自分の評価の為なら汚い事も平気でやるような人間ばかりを国家運営に深く関わらせる事になり「逆に腐敗を促進させている」可能性すら高い。この慣習は平安時代から続く「由緒正しい」慣習だそうだが平安時代など正に役人達の腐敗が蔓延し貴族らが豪奢な暮らしをする一方で民が飢饉や疫病に苦しみ続け最後には武士という武力集団を発生させた時代である。組織の腐敗を防ぎたいなら腐敗や汚職や或いは失策に関わったものを厳しく断じるべきである。またどうしても競争原理による切磋琢磨によって優秀な人材を確保したいというのなら、世代ごとなどという中途半端な事をせずに年齢など関係なく能力と成果を重視しほぼ完全に実力で評価し劣った者から切り捨てていくようにするべきだろう。少子化と若い世代の無気力化が進む今、毎年優秀な人材を必要分確保できる保証というものも薄れはじめる恐れさえある中その方が今の時代には即していると言えるだろう。法や制度を造る立場の人間達に道徳や倫理感が欠け、また道理を知らなければ造られる法や制度は容易く国民を苦しめる悪法となり、また法を人々に強いる立場の官僚や政治家達に道徳や倫理感が欠けていれば今のように庶民には厳しい法や制度を強いながら自分達は(隠れて)それを侵し続けるという事態になるのは道理である。これら省庁での官僚達の「評価基準」は一体どこに重きをおいているかは定かではないが、プライベートでの在り方は兎も角、仕事の上で道徳的、倫理的に「公正」であり、かつ、物事の道理を上手く見極めれらる性質を有する事こそを重く評価するようにならなければ、現在のような無能と腐敗が国の中枢に巣食うような事態を改善する事は恐らく出来ないだろう。しかし官僚どころか一般の民間企業でまで就職面接が誇張や嘘つき合戦となりまた社会も就活生にそれを推奨しているような現状ではそれも難しい話だろう。現在の日本社会では企業に入る前の面接の段階から嘘や誇張を推奨する程の嘘つき社会なのだからなるほどこれだけ多くの企業や国家機関で絶え間なく不正が発生し続けるというのも当然と言えるだろう。

2019年4月、高齢ドライバーの死傷事故が頻発し高齢者でも容赦なく逮捕され続ける中で東大卒の元官僚であり瑞宝章を受勲した飯塚幸三が母子二人を轢き殺し十数名に被害を出しながら不起訴処か逮捕もされず見逃される(その後世間の反発を受けて事情聴取は受けたが)という事が起こりましたが、飯塚幸三はかつて戦後最大の政治腐敗事件と言われた「リクルート事件」(この「リクルート」は新卒学生などの就活指導などにも大きく関わるあのリクルート社の事である)にて当事者として国会答弁を行なった事のある人物であり、また原子力委員会専門部会にもかつてその名を連ねた事があったようであり、リクルート事件では中曽根元首相や竹下登元首相や安倍総理の父である安倍晋太郎などは未公開株の収賄が明らかであったにも関わらず起訴されず、また原子力関連についても東電とその周辺を少し調べれば明白な通りに政治的な腐敗が激しい極めて「黒い」業界であり、飯塚幸三がここまで守られているのは現在の政治家や官僚達の政治腐敗と大きく関わり続けた故である事が伺えます。この事故直後の現場には安倍首相と親しい仲であった元TBS記者のジャーナリスト山口敬介のレイプ事件を内閣情報官の北村滋と共に揉み消したという警察官僚の中村格も現われていたそうです。息子では無いようですが同じ飯塚姓繋がりの官僚に第一次安倍政権時に安倍首相の秘書を務めた「飯塚洋」がいるが、飯塚洋はヒューザーの耐震偽装事件と深く関わっておりまた第一次安倍政権時に周辺で相次いだ不審死にも深く関わっていると一部では言われており、この飯塚洋の息子は当時中学生だった2007年に無免許運転と当時13歳の少女に対して強姦と自宅での監禁を行ないながらも警察が全く動かなかった事が週刊誌に暴露されています。安倍内閣では周辺人物達が不祥事を起こした際に官僚達がそれを揉み消す動きが他の内閣時に比して特に顕著であるように見えますが、官僚と言えば他にも通産官僚であり第一次安倍政権時から内閣総理大臣秘書官として安倍首相のブレーンとなっている今井尚也について、影の総理とも呼ばれている事からも現在の安倍首相の失策や日本破壊政策の数々に今井が強く関わり大きな責任がある事は明確である。仮にもしこれらの悪政策が今井とは関係なく首相の暴走の結果としてもそれを抑えられなかった時点で無能の烙印は免れず、どちらにしても首相秘書官として不適切としか言えないだろう。

私は宗教人である為にあまり書きたくはありませんが、ここまで金について好き勝手に書いた手前、宗教法人の収入への課税についても書くべきでしょう。2017年12月に発生した富岡八幡宮での宮司殺害事件で犯人である宮司の弟が何億もの金を湯水のように使うような生活を送っていた事が判明していますが、盲目的信仰心から多額の布施が集まる上に無課税である為、やはり宗教団体も特にその幹部などには腐敗が蔓延し不正の温床となる事がよくあります。信仰の為ではなく幹部連中の贅と不正の為に使われ世に害悪を垂れ流すぐらいならば、確かにこれら宗教法人の収入についても課税は行われるべきでしょう。それで無くとも宗教の目的の一つは世の人々の救済であり、国の予算が足りず国民一般が貧困に喘ぎはじめたならば、宗教が金を出して少しでも国民を楽にするべきであるというのは道理ではあります。しかし、必ずしも資産と信徒数が多い宗教ほど間違っていて、また小さい宗教が正しいという訳ではありませんが、金や権力に対する執着の薄さからどうしても比較的正しい在り方をしている宗教ほど資産に乏しく信徒数も少なくなる傾向があり、下手に課税をすると巨大だが間違った宗教ばかりが残り正しいながら弱小な宗教が消えてしまう恐れが出てきます。その為、宗教法人へと課税する場合、所得税と同様に収入が大きければ大きいほど徴収する税の割合が高くなっていく「累進課税制度」による徴収にするべき、それも所得税などよりも税率の変化が極端な制度(小規模ならこれまでのように無税と殆ど変わらない程度にしか取られないが、ある程度大規模になると税率が急速に上がりだし、巨大になればなるほど税率もどんどん大きくなっていく)にするべきであるよう私には思われます。これは巨大になりすぎた宗教がその末にオウム真理教のように暴走する事を防ぐ意味でも、また追い詰められた末にごく少数の者達が凝り固まって小さな団体がカルト化する事を防ぐ意味でも都合がいいはずです。

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7田布施 蟻巣 2019/12/30 05:45
2019年7月、放火が原因の火災において最も多くの犠牲者を出してしまった京都アニメーション第一スタジオへの放火について、当該スタジオは事件当日、本来ならNHK東京本社の吉田達裕ディレクター率いるNHKクルー達の取材を11時から受ける予定であり、その取材前に犯人がやってきてこのような犯行に及んだという事ですが、処でこの事件にはネット上などで既に多くの方々が指摘しているように幾つかの「不自然な点」や「妙な偶然」が存在し、まず犯人が犯行を決行しようと埼玉から京都までやってきて数日(3日程度)下見した後、「たまたま」NHKの取材がある日に犯行に及んだ事、また「たまたま」取材の為に京都アニメーション側が第一スタジオに人を集めていた為にこれだけの被害になり、一方で「たまたま」犯人の犯行が「30分早かった」為にNHK取材班が無傷で被害を免れた点や、また元々向かっている途中だったとは言え火災発生10分後には規制線が敷かれ完全封鎖されていた現場へ(「事前に下調べ」しなければわからないような)抜け道を使って到着し、更にNHKのヘリも消防局のヘリが着く10分前には既に現場に到着していた点、また引火して逃げてきた犯人を最初警察でさえ被害者と勘違いしていた中真っ先に犯人だと断定していた点や、犯人の遺留品や寝泊りしていた公園を警察より先に特定し発見した点、他局が当日正面玄関の解錠をしていたのは来客の為と報道する中NHKだけが社員の通勤の為に空けていたと捏造報道を行なった点(ただし正面玄関の解錠云々については後に普段から鍵をかけていた訳ではない(正面玄関のシャッターは普段から開いていたという事か?)と訂正され、鍵が当日のみ開いていた云々というのを最初に報道したのはNHKですが、どうもこの話自体が誤報道のようです。)、また、この吉田達裕ディレクターは過去(2012年)に犯人である青葉真司が入っていた更正施設に(青葉が入っていた時期に)取材に行き犯人と面識があった可能性がある点、事件前日、既に京都にいるはずの犯人の住んでいた埼玉のアパートの部屋から大きな破壊音がするのを住人達が聞いており、その時かは不明ですが犯人の部屋のPCなどが破壊されていた点などが挙げられます。ネット上の集団ストーカー界隈では出会い系等で騙して呼び出した相手を標的の住所に送り込む「(出会い系)ラジコン」という嫌がらせが度々行なわれ、これと類似した手法で、
ネット上に主張(妄想)を投稿する「統合失調症」の方に、標的の人物がお前を監視し嫌がらせをしている等と吹き込んで唆し標的を攻撃させようとする「糖質ラジコン」という物もまた度々行なわれていますが、或いは今回のNHK取材班などの中(それも全体の「手際の良さ」を見るに単独ではなく複数人)には、京アニに未発表の自分の小説までパクられたという恨みと妄想を抱える上に凶暴なこの犯人に目を付け連絡を取り続け犯行を唆し今回の事件を引き起こした、映画ナイトクローラーの様な真似をした者がいるかもしれません。既に2005年にNHK大津放送局の元記者の笠井裕史が自分で放火しそれを取材するという事を行なっており、或いはNHK自体が「組織的」また「伝統的」に「このような手法」を度々使い続けているという事もあるかもしれません。何せNHKと言えばしつこい上に時にチンピラ同然の強引さで迫ってくる(というか本当に暴力団員がいるという)悪名高い集金人達を抱え、また山形県や山梨県で強姦を繰り返し続けた元記者の弦本康孝(ちなみにレイプサークルで有名な早稲田卒である。味を占めて忘れられなかったのだろう)をはじめ関連企業も含め多くの不祥事を起こす職員を輩出し続け、ネットの一部などではNHK(関連)職員の犯罪率は民間企業平均の五倍という話もあるほど「そういう人材」が多いという話であり、また北朝鮮(や中国や韓国など)のシンパ(というかスパイ)も多数いるという話もあるのですから。この事件では「ガソリン」が用いられましたが、この事件の翌日(7月19日)に「偶然」韓国の日本大使館で「ガソリン」による「放火テロ」が起こっています。また(在日が多いという)「電通」繋がりか(NHK対し強い権限があるので黒幕がいるならこっちかもしれません)「フジテレビ」が被害者の方へ侮辱的なテロップを出したりホワイト国除外のニュース時に何故か京ア二の献花台の映像を流したりしており、「不自然な点」としては他にも安倍首相が「犯人が確保された後」であり火災が収まりその原因も明確になった後(普通の放火事件なら被害者の身元捜査ぐらいしか殆ど捜査する必要が無くなった後)になって国家公安委員長に徹底調査を指示し100人の捜査体制が敷かれた事が挙げられます。これが事件の「裏を暴く為」ならいいですがこれまでの様に「既得権益への忖度の一環」として「裏を揉み消して捏造する為」のものでは無い事を祈るばかりです。

他、2019年1月には新潟県のAKB系列のアイドルグループであるNGT48の寮内において同グループのアイドルが複数の男に暴行された事件が発覚しましたが、この事件の実行犯ではある北川丈と笠井宏明、主犯格である稲岡龍之介(いなぷぅさレモン)らは本来アイドルグループのメンバー以外侵入禁止の寮内に日常的に入り浸り、また運営会社であるAKSの代表取締役である松村匠や今村悦郎元支配人が率いる運営側も彼らを「何故か」黙認し続け事件発生から発覚までの一ヶ月間全く何の対処もしない処か松村匠は被害者に謝罪させる始末であり、挙句現AKS社長の吉成夏子に加害者呼ばわりされ被害者達は逆にNGTから追い出される羽目になっています(AKSはその後暴行犯達に対し民事訴訟を起こしたが、数ヶ月問題を放置し続けた末に被害者を追い出した後の当事者不在での起訴である為、単に体裁を取り繕っただけだろう)。AKBグループの総責任者と言える秋元康もこの問題を殆ど無視し続ける無責任さである。また同グループ内の複数のメンバーがこの事件、或いはこの犯人達が過去に犯した別の事件に協力し客(ファン)と関係を持っていない真面目なメンバー達にも肉体関係を持ちかけ拒絶すれば犯人達と協力して追い出し結果半数以上のメンバーが客と肉体関係を持つようになり一つのアイドルグループをまるで風俗店さながらの様相に仕立てあげるという若くして「やり手ババア」も真っ青な醜悪さを晒しており、また主犯格の稲岡龍之介などは既に去ったメンバーや元マネージャーや別のグループのアイドルなども含めて他のアイドル達に対しても暴行のみならず強姦や性行為を撮影しその映像を元にした脅迫やその映像を実際に第三者に売る事まで行っていたようであり、また他にもツタヤやゲオなどに三日間だけバイトとして侵入しアイドル達の住所を特定し(三日しかいないバイトにも客の個人情報を容易く漏らすというのは「実害」が出ている通り管理体制として明確な不備である)他のアイドル宅へ不法侵入したりまた芸能人達の個人情報を売ったもしており、稲岡龍之介は枕営業や脅迫行為なども頻繁に行いヤクザと深い関係にあるという悪名高い芸能事務所バーニングの幹部の甥であるという話もあるが、彼らは当該グループ運営のみならず秋元康関連グループの運営とその周辺においても黙認され続けており、
それは稲岡らを黙認し続けていた今村悦郎の処分が実質的には単なる異動(処か立場的に見れば逆に出世したとさえ見れる)でしかなかった事からも見て取れ、また週刊文春なども彼らを擁護し事実とは異なる記事を書いて事件(自体)とは無関係なメンバー(とは言え他の件では真っ黒なメンバーであるが)一人に罪を擦り付けるような事まで行なっており、更にはネット上でこの事件を扱っている掲示板において何故か新潟県警のIPアドレスから掲示板での議論を妨害する書き込みがあったりと、暴行犯二人を不起訴にし野放しにした事も含めて新潟県警まで協力している疑惑さえあるという状態となっている。不起訴と言えば2018年に女性への暴行と準強姦容疑で逮捕され、過去にも何度も(未成年へも含めた)強姦や窃盗(や女性を妊娠させた後の逃亡等)を繰り返していた、実家が生活保護者達の通帳を預かってその金を掠め取る「貧困ビジネス」を営んでいる元ミスター慶応候補の渡辺陽太(と共犯の慶応生の光山和希ら三人)も不起訴となって野放しになっており、また2018年に富山県内で起きた女性を八人の男達が輪姦した事件の犯人達である村中圭介、掘下峻、郷倉郁也、後田知之、松本浩之、土林礼征、端保貴大、上谷知也も理由が不明瞭なまま富山地検から不起訴処分とされ野放しになっており、彼らもまたこの内の何人かの親族に議員などがいて揉み消したという話がありますが、大阪地検なども大阪府警内部においてそれぞれネット掲示板で単なるプレイだと偽って人員を募り被害者を同じく騙して連れ込んで集団強姦した梅本大輔元巡査長や未成年に飲酒をさせ酔いつぶれた処で海水浴場で白昼堂々と強姦した永田昌也元巡査長などの悪質な強姦事件を起こした元警官達を不起訴にしたりしており 全体としては日本の強姦などの性犯罪の発生(認知)件数は昭和の時代に比して(少子高齢化や不況などの影響もあって)かなり低くなり続けているとはいえ、特定の権力層に属する者達が罰を免れ野放しになり続けるという構図は未だ根強くあり続けています。少子化が進む中よりによって強姦を好むような質の悪い遺伝子ばかりが日本に多く残りそうで何とも辟易とするのですが、兎も角このようにこのご時勢に「妙にイキのいい」層の人間と近づく際は、「泣き寝入りさせられる」という事も含めて女性などは特に周到に警戒するべきなのかもしれません。
現在の法律では痴漢は確たる証拠が無くとも女性の証言だけでほぼ確実に有罪になるにも関わらずそれよりずっと女性の心に殆ど不可逆的とも言える甚大な心の傷を負わせる強姦などは被害者が訴えても証拠が無ければ不起訴になり心神喪失状態で抵抗しなくとも裁判官が(静岡地裁の山田直之裁判官や名古屋地裁の鵜飼裕充裁判官のような)キチガイなら無罪となり、酷い判例では妊娠を恐れてせめてコンドームをつけてくれと頼んだだけで合意扱いされ無罪になったケースもあるほど現在の日本の司法はその頭の弱さを露呈しているが、なるほど慶応早稲田東大などを筆頭に有名名門大生が「集団レイプサークル」で「精力的に活動」していたというニュースが頻繁にあるがこのように法律を造るエリートの中には学生の頃からレイプに勤しみ金で揉み消し続け、また庶民の様に満員電車で窮屈な思いをしながら通勤する事も無いのでよほど「こじらせ」なければ電車内痴漢をする機会も無い事を考慮すると、現代の日本の司法が痴漢に異様に厳しく強姦に異様に優しいのはこのような電車痴漢とは縁遠くしかし強姦好きのエリート共の性癖と性生活への「忖度」の結果と考えると成るほど反吐が出そうだが頷ける話である。現在の司法で強姦の立証と有罪化がこれほど難しいのは司法が「女性の心変わり」(やハニートラップ)やらを警戒して(痴漢冤罪の容易さには無警戒)の事らしいが、しかし女性が性被害やDV等にあうと必ず「隙を見せたのが悪い」「そんな男にひっかかったのが悪い」等の意見が沸き、このような「女性側の落ち度」とやらで実際に被害届が拒否されまた不起訴や無罪にされたりという事も多々あり世間も司法も被害女性には厳しい目を常に向け続けているのですから、例え本当は単なる「心変わり」や「ハニートラップ」等の可能性があろうと加害者に対しても「そんな女に付け込まれる隙を見せたのが悪い」「女を見る目が無いのが悪い」と言って被害女性と同様に「司法的にも」厳しい目を向けるのが「平等」ではないのか?と私には思われます。女性の場合隙を見せた結果「とやら」で被害を受けるのは原則として自身のみだが男が「隙を見せて嵌められた」場合会社や家族にまで被害が及び男の方が「責任」は重い為むしろ女性より男にこそ厳しい目を向けるべきとさえ言える。まして庶民が痴漢冤罪で将来を容易に潰される事を許容している上に、法を扱い庶民よりも遥かに「腐敗が許されない」はずのエリート共ならば尚更。

上記NGT48では半グレ的な集団がアイドルグループとその運営内に巣食っているが、所謂オタク的なコンテンツにおいてヤクザや半グレなどの反社会集団が関わりコンテンツに関わる未成年を含んだ女性達を性的に食い物にしている事例は他にもあるようであり、2019年の1月〜4月に放送されたアニメ「けものフレンズ2」では、当番組のプロデューサーのテレビ東京の細谷伸行(氷村ふぁねる)、同じく同番組プロデューサーの沼田心之介、同番組の総監督及びキャラクターデザインの漫画家吉崎観音(イカちくわ2)などの番組スタッフが深夜に番組出演者の未成年女性を宴会の席に連れ出しており当該未成年女性も含む女性出演者達の一部に所謂枕営業を行なわせていた疑惑が持たれており、また、同番組にプランニングマネージャーとして名を連ねる岩田俊彦(岩田都市伝説彦)を擁し同番組の制作委員会に名を連ねる株式会社AGN(age global network)の代表取締役である加藤英治は、かつて暴力団との関与が発覚した事で解散した総合格闘技イベント「PRAIDE」を主宰していたDSE(ドリームステージエンターテインメント)社に所属していた事から反社会勢力との関わりが指摘されており、このAGN社に脚本を盗用されたある女性は脚本盗用を指摘し加藤英治から謝罪を受け直接会って話がしたいと持ちかけられたそのすぐ後から消息不明となっています。(一応その後ブログとツイッターが更新され生存報告がなされていますが文体の違いや内容の不自然さなどから別人である可能性が高いという。また、この被害女性はAGN社の出した脚本募集の際に脚本を送っており不採用とされた脚本が盗用された事から、AGN社はこの女性の住所を知っていた事になる。)この細谷伸行の曽祖父は諸国のヤクザ親分衆と交流のあった細谷十太夫で祖父は極楽鳥(フウチョウ)を乱獲してその脚を切断して欧州に売りさばいていた十太郎であり、またAGNの加藤英治の父は住吉会系の幹部である加藤英幸とみられ両者とも反社会勢力と強い結びつきを持つ家系の人間であると言われています。
反社とのつながりと言えば2019年6月には入江慎也や宮迫博之などの吉本興行の芸人達が振り込め詐欺グループの宴会に呼ばれ参加した闇営業が発覚し、反社勢力を一部スポンサーに持っていた吉本興業側も(株主である在京在阪テレビ局10社に協力を仰いで)これを隠蔽しようとしていましたが、入江慎也(と宮迫博之など)については先輩芸人や芸人仲間などと共に各名門大学のレイプサークルのような真似をしていたという話もあり、また入江は反社も含めた各業界の要人達に女性を斡旋していたという話もあります。9月にはまたお笑いグループEXIT(出口)の兼近大樹が過去に女子高生含む複数女性の売春斡旋を行なっており吉本側がそれを把握していながら隠蔽していた事も発覚しており、芸能界やそれに準ずる興行の世界のヤクザとの関わりや枕営業や闇営業などはそれが露骨に発覚し続けている現在においても未だ根強いままのようであり、社会の汚濁の象徴どころかその根源とさえいえるような様相を呈し続けています。


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6田布施 蟻巣 2019/12/30 05:44
ハンデを乗り越えて成功したとして一躍有名になったある身体障害者の方が、しかしプライベートでは自らの障害を利用して周囲の人々を召使いのように扱い不倫まで行っていた事が数年前にスキャンダルになってましたが、女性の権利関係についても男女平等を主張しつつも同時に男性は女性の代わりに苦労して我慢し続けるのが当然(外食の際には女性に必ず奢るべき、男性向けのエロ本などは教育に悪い(目障り)から規制しろしかし女性向けのレディースコミックやBL本などは規制するな、痴漢は絶対に有罪にしろそれが例え冤罪であっても仕方がない、等)という矛盾した主張を平気で行う者も多々おり、近年は障碍者や女性をはじめ、LGBTや移民難民などの人権の主張が強くなりこれに考慮するように様々な規制などが世界的にも敷かれるようになっていますが、上記のように社会的な弱者がそれを利用して行き過ぎた待遇を求め、時に不正さえ行い周囲もそれを黙認し従ってしまう「逆差別」も増え続けており、その最悪の例の一つが2014年にイギリスの「ロザラム」という地方で発覚したパキスタン系移民達が1400人以上もの少女達を日常的に性的暴行や人身売買を行っていたにも関わらず人権問題になる事を恐れて誰も告発出来なかったという事件であり、また2018年5月には同じくイギリスの「テルフォード」で、先のロザラム以前の80年代から続き少なくとも1000人以上の被害者がいながら、警察や地元政治家やBBCなどの報道機関も介入や報道を避け続け(エプスタインの事件を見るに彼らが「顧客」だからなのだろう)現在進行形で児童が強姦などの性的被害に合い更に麻薬付けにされ売春を強要されその果てに殺され続けているイギリス最大と目される「テルフォード児童性虐待事件」が一時表沙汰になりましたが、「人権屋」という言葉がありますが、どんな立場であろうと(エプスタインの主たる顧客であるグローバリスト達である政治家や資産家やハリウッドスター達等の様に)それを利用して不正な行為を働こうとする者は一定数おり、社会的弱者がある程度は守られるべきである事は確かとはいえ、差別や逆差別を訴える者達については例えその主張が一見正しく見えてもそう主張する者達の素行や周囲との関係などをこそ常に良く見てその主張を受け入れるかどうかを判断するべきであるよう私には思われます。
少しでも不快に感じたなら「ヘイトスピーチ」やら「○○ハラスメント」とレッテルを貼って「差別」し相手を「人でなし扱い」し、更には周囲にも「差別させ」、それを恐れた他の多くの人々に自分の気分や利益の為に無遠慮に息苦しい「不快な思い」をさせ続ける「ヘイトスピーチ・ハラスメント」「ハラスメント・ハラスメント」とも言えるものを横行させる「無自覚な差別主義者」達は、しかし不快な人物や行為は社会から消えるべきだと節度無く叫び続けるなら、不快な彼女らや彼女らの糾弾行為こそが社会から消えるべきだという理屈もまたいずれ道理となる。2019年8月に津田大介と愛知県知事の大村秀章はあいちトリエンナーレで昭和天皇の肖像を燃やす動画や特攻隊の寄せ書きを書いた日本国旗を祠に貼った「間抜けな日本人の墓」という展示物や慰安婦像などを展示した上でそれらをあくまで「表現の自由」だと主張し井筒和彦や香山リカ等がこれを擁護したが、果たして日本と日本人を侮辱したいという以外に何を表現しているのかイマイチ分かりませんがこれが「表現の自由」として「許されるべき」というなら当然金日成や李承晩や安重根の肖像を燃やす動画や韓国と北朝鮮の国旗に朝鮮戦争で戦没した両軍兵士達の寄せ書きを書いて祠に貼り「米ソに乗せられて身内同士でまんまと殺しあった間抜けな韓国人朝鮮人の墓」と展示したりベトナム戦争で韓国軍に陵辱されたベトナム人少女の像を芸術展に展示する等しても「表現の自由」として済まされるべきという話に「なってくる」だろう。現代日本人の文化と感性を貶める為の言葉として「感動ポルノ」という言葉が近年出てきたが「憎悪や怒り」にも「快楽」や「中毒性」(又はそれをオブラートに包んだ(拗らせた)表現である「生きがい」や「自己実現」や「自己証明」)は生じるものであり、このような物は正に「ヘイトポルノ」と言え、このような物を作りそれを誇示したり擁護して悦に入っている連中等は正にこの(ヘイト)「ポルノに夢中」な状態だと言えるだろう。とんだドスケベの変態共である。(彼らにありがちな主張に沿うなら)早急に規制する必要があると言えるだろう。「差別をなくせ」というお題目を掲げながら実際には差別主義者が別の差別主義者を差別しているだけなのだから、形を変えるだけで差別自体は何処までも消える事はない。単なる派閥争いである。

2017年12月、大阪寝屋川市で33歳の女性が実の両親である柿元泰孝、由加里両容疑者によって16年以上もの間外部との接触を完全に断たれた状態で、広さ二畳の暖房器具も娯楽道具も家具も窓すらも無い劣悪な部屋に監禁され続け、一日一食しか取れないまで衰弱させられた末に凍死するという虐待死事件が起こりましたが、被害者の女性は犯人である両親の言によれば精神病を患い暴れるので閉じ込めていたという事ですが、しかしまだ被害者が監禁される前の同級生達の言によりますと、子供の頃とは言え被害者女性は精神病を患っているような気配は無かったそうであり、また身体に痣があったり服を買い換えて貰えなかったりとこの頃すでに被害女性が両親から虐待を受けていた事が示唆され、対して両親は被害女性を部屋の中に部屋がある二重の部屋に閉じ込めた上に内部だけでなく外部にも十台以上もの多数の監視カメラを設置して監視を行い続け外部に露呈する事を異常に警戒しており、その癖被害女性を碌に歩く事さえ出来ない程に狭く娯楽となるようなものさえ無い上に簡易トイレが部屋の中にある為に常に悪臭が漂うような部屋に閉じ込め続けた上、発見時被害者は床ずれが酷く殆ど骨と皮だけのような状態で体重も19キロしかなかったそうですがここまで被害者が衰弱し続けても平気で放置するなど明らかに両親の方に強い悪意か精神疾患でも無ければ取れないような行動をとっており、被害者が精神病を患っていたという両親の言はとても信用に値しないものと言えます。しかしこの両親は被害者の「障がい者年金」を「受け取り続けて」おり、被害者が精神疾患があると診断された事「自体」は確かなようですが、しかし一方で被害者は寝屋川市の障がい者福祉を一切受けておらず、このような状態の両親が数十年もの間寝屋川市から障がい者年金を受け取り続ける事の出来た不自然さ、そして同級生達の言によると被害女性は小6の途中から学校に来なくなり中学にもいなかったそうであり、その事について担任などに問い詰めても「事情がある」と取り合ってくれなかったそうであり、この行政や教育機関の異常な対応を見て、私は柿元泰孝、由加里両容疑者、或いはその一方が「同和地区住民」である部落解放同盟の関係者だったのではと考えています。だからこそ、周囲の公的機関も彼らについて異常なまで「不干渉」を貫こうとしたのではないかと。
先に挙げた「奈良市部落解放同盟不正受給事件」では犯人の男は医師に偽の診断書を作らせていますが、この被害女性の精神疾患があるという診断についても恐らくほぼ同様の事だったのでしょう。もしこの事件がこの通りであったのなら、この被害女性は行き過ぎた同和政策の被害者でもあったと言えるでしょう。この事件が本当に部落絡みの事件だったのかどうかは分かりませんが、しかしこの事件は世間で度々起こっている障がい者施設などを運用するNPO法人などが補助金を受け取りながらも障がい者などの保護対象となる本人に対しては補助金分のサービスすら与えない処か虐待さえ行っていた事件などと本質的には恐らく同じであり、このように「差別」を謳う団体やその関係者が本当に保護されるべき人々を利用して公的機関などから金を騙し取った上に、保護されるべき人達への被害がその団体によって隠され続け深刻な事態に発展する事も、このような「過度な保護」を求める「人権屋団体」の看過する事の出来ない重大な欠陥であると言えるでしょう。人権とは違いますが著作権についても、著作権保護の名目で登録楽曲を使用した際に使用料を徴収するジャスラックは、地方の小さな音楽教室どころかアーティストが自分の曲を演奏してもアーティストから使用料を取る上にその使用料がそのアーティストに還元されない事さえあるというただジャスラック職員が肥えるだけで何の為にある団体なのかわからないようなおかしな事をやっておりよく著作権ヤクザなどと言われていますが、(欠陥のある)法律上の契約に基づくとは言え、このジャスラックや或いはNHKなどについてもまた、人権団体と同じく「○○権」を守る事などを名目に「権利団体だけ」が過剰に力を持ってしまった故に腐敗し暴走した結果の悪しき例であると言えるでしょう。

NHKと言えば2018年4月に同局が放送する10代向けの「教育番組」である「Rの法則」にて司会を務めていたジャニーズ事務所所属の山口達也容疑者(メンバー)が、2018年2月に同番組に出演していた女子高校生(当時まだ中学生だったとも)である被害者を自宅に呼び出し酒を飲ませようとし無理矢理キス等をしたとして未成年に対する強制わいせつの罪で書類送検された事が発覚しており、この事件は被害者が未成年な上に山口容疑者が自身の立場を利用したパワーハラスメントによって被害者を夜8時に呼び出して酒を飲ませようとした上で無理矢理行われた悪質さにも関わらず、近い時期に起きた相手が未成年でも無く触ってすらいない福田前次官のセクハラ発言とは違って「#MeToo」運動などネット上などであれだけ威勢よく吼えていた女性の権利云々という怒りの声は一体何処へ行ってしまったのか殆ど消え、それ処か多くの女性達から山口容疑者を擁護するどころか「男の部屋に行ったのが悪い」「未成年なのに夜中(8時)外出したのが悪い」「示談金狙いのハニートラップだ」などと被害者女性を攻撃するセカンドレイプと言える発言が大量に湧いているのですが、これらの誹謗中傷についての反論として、夜8時ならまだ都市部ならその辺に部活帰りやら塾帰りやら単に遊んでいるだけの学生がゴロゴロいる上に、完全に外出禁止になる11時前に条例を理由に逃げる事も出来、被害者も当初そのつもりだったのかも知れない事、また容疑者宅に行ったのも番組の司会である上に大先輩である山口容疑者のパワハラによってであり断り難く、それでも別の未成年女性と一緒で一人では無かった為に完全に無防備だった訳ではない事、更にどうやら被害者は最初番組の打ち上げパーティだと騙されて呼び出されたらしい事。ハニトラだという下種の勘ぐりについても、ネットで言われていますが山口容疑者から呼び出して襲われている上に金を脅し取る上で支障となる警察を介入させている時点で考え難い事などが挙げられますが、ともあれ、しかしまあ私自身も含め今の日本人など職を失う処か周囲から冷遇される事が恐いというだけで上司の命令や同僚達の同調圧力に逆らえずに月に100時間以上も残業代の出ない違法なタダ働きを続けたりパワハラやセクハラをされてストレスで心身を崩しても黙って耐え続けたり、
女性に限っても大嫌いな知人とも世間の評判を気にして内心嫌々ながらさも仲良しのように付き合い続けたり更に好きでも無い男でもしつこく言い寄られ続けたり周囲から付き合うように迫られただけで根負けして関係を結んでしまう等のような意志薄弱な人間が成人でも大半の分際で、よくもまあ上下関係も厳しく簡単に業界から消えていくシビアな芸能界で生きている上にまだ判断能力も経験も知識も精神力も未熟な未成年の女性に対してこんな威勢のいい事をしれっとほざける方がこんなにもいるものだと私はとても「感心」していますが、このように自分を平気で棚上げ出来る上に男性アイドルなどの女性にとって魅力を感じる相手になら例えパワハラをしても未成年に酒を飲ませて無理矢理襲っても擁護する処か未成年の被害者を冷酷に攻撃出来るような「女性様」方が相当数いる現状で、果たして彼女らが必死に「男女平等」などと主張しても所詮イケメンやアイドルなど彼女らの「お眼鏡」に適った人間なら何をしても許して擁護するエコヒイキばかりする胡散臭い主張にしか見えず、こんなエコヒイキ連中が男女平等を進めた所でそれが社会に碌な影響を与えるとは私には到底思えません。むしろ社会全体の潜在的な女性自体に対する反感ばかりが強まっていく事になりかねないよう私には思われます。事件後、山口容疑者はこの事件では示談が成立している事や反省の意思がある事などの理由で起訴猶予で済んでいますが、果たして事件後2ヶ月もの間平気な顔で同番組をはじめ普段通りにテレビに出続けていた人間が発覚した途端に反省したというのも胡散臭い話です。ジャニーズ事務所は2ヶ月もの間、親を通してとは言え「傷心の」被害者に対し(うんざりするほど)「粘り強く」示談交渉を行った結果「誠意」が通じて示談に到ったようで、昨年強制わいせつなどの性犯罪は法改正の結果、被害者が被害届を出さなくても起訴される非親告罪になりましたが、しかしこの事件のように未成年相手に強姦未遂をおこしても金(と圧力)次第でどうとでもなると言うのなら、折角の法改正も大した意味があったとは到底思えません。この事件は更に世間一般に発覚する2ヶ月前の発生直後にあるゴシップ雑誌で実は既に取り上げられており、その記事では山口容疑者が過去に何人も同番組出演の未成年女性などと関係を持ちそれを揉み消し続け被害者は実は相当数おり、
またこれが離婚原因になり番組側が当時山口容疑者と関係を結んでいた出演者を(山口容疑者は残したまま)同番組から降板させるなどNHK側もその揉み消しに協力していた事などが書かれており、更にネット上などでは山口容疑者と関係を持った未成年の中には数人堕胎させられた女性もいるという話であり、またこの「Rの法則」という番組自体山口容疑者のみでなく、後輩のジャニーズジュニア達などの出演者やNHKの番組スタッフさえも含めてアイドルなどの未成年女性達を性的に搾取する場と化していた(むしろ当初からその目的で企画された)という事も言われており、それは事件発生から発覚まで2ヶ月もの間同番組が事件を知っていながら何の動きも見せず通常通り山口容疑者を司会に放送し続けた点や、そして事件当時容疑者宅に山口容疑者以外にもう一人男がいたと報道された(後に何故か訂正された)事などからも示唆され、どうにも先に挙げたプチエンジェル事件やら「女子高生ミスコン」などを主催し参加した未成年を時に薬物などさえ使って性的な搾取を行っているという元住吉会系暴力団員の半グレ「池田隼人」が代表取締役を務め同じく半グレの中野輝が副社長を務める池田勇気(アディ男)や佐藤友也や田村直稜や中山敦葵などの社員に擁するavexの子会社である「株式会社エイチジェイ」などの半グレ経営の「JKビジネス」関連や十年以上前に和田真一郎が中心となって起こした早稲田の「スーパーフリー」をはじめ日本全国の大学等に今も存在する所謂「ヤリサー」やら福井雅啓(DjFukui)が代表を務めていたギャルサーの「ハロフク」で福井が長年に渡って未成年の性的搾取を行っていた事件などを彷彿とするような話であり、またこのようにアイドルなどの未成年が組織的な性的搾取に関与しているという話は山口容疑者のみでなくジャニーズ事務所全体(経営者であるジャニー喜多川の未成年の少年達に対しての性的暴行なども含む)についても、また秋元康がプロデュースするおニャん子クラブから最近のAKB関連の一連のアイドルグループなどや、中学生や小学生未満の未成年アイドルの過激なイメージビデオ撮影を行っていた複数の芸能事務所などでも頻繁にこのような噂は流れ続けており、また性的なものがあったかは定かではありませんが、
2018年3月には愛媛県松山市のご当地アイドルグループ所属の当時16歳だった女性アイドルが、社長を務める佐々木貴浩ら所属事務所から「辞めたいなら違約金1億払え」と言われるなどの脅迫やパワハラを受け続けて自殺に追い込まれる事等も起こっておりますが、兎も角もしこの話さえ本当であるなら、我々庶民から半ば強制的に徴収しているNHK料金が天下のNHKでその職員であるスタッフ達が未成年を性的に搾取する為に使われていたという事になるのですから、反吐が出るほど大変に「愉快な話」であると言えるでしょう。また2018年10月にはNHKはオウム真理教が名前を変えた宗教団体「アレフ」へとアレフ周辺の住民のインタビューデータを「誤って」送信していたという、TBSが過去オウムに坂本弁護士の個人情報を渡した事で坂本弁護士一家殺害に繋がった事と同様の(故意の)「ミス」を行なっていた事も発覚しています。NHKは受信料を取りすぎたおかげか今や環境省や海上保安庁や警察庁の二倍以上もの7千億円以上の予算規模を誇っており(NHKは環境問題や社会問題を取り上げて社会に訴えるドキュメントをよく撮っているが問題を訴えるだけのNHKが環境問題や社会問題を直接扱う環境省や警察庁などより遥かに金があるのは何とも本末転倒感があり、もう他に訴えずにNHKが直接問題解決に動けよというような気にもなるが)持ち金が余り過ぎた為に三千億以上かけて新社屋を建てる程ですが、国民から絞った金がこんな事に使われるというのも堪らない話です。

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5田布施 蟻巣 2019/12/30 05:44
富裕層に厳しくすれば、資産家や企業が海外に逃げるという懸念をよく見ますが、しかし海外への逃亡は、ただでさえ「よそ者」として、下手をすれば移転先の国自体からさえ冷遇される可能性もある上に、元々の現地民や企業などの反発を押しのけて新たな競争の中で経済基盤を開拓しなければならない等、実際に海外での事業拡大に失敗しただけで大企業が倒産まで追い込まれる事があるように、富裕層と言えど海外への逃亡は決して容易ではありません。また一時は海外で成功したとしても、韓国企業に引き抜かれた日本の技術者達が技術を吸い取られて用済みとなった途端に首を切られて捨てられたように、よそ者に対する反感の中で、移転先で経済基盤を維持し続ける事も決して容易ではなく、それらリスクがある中で富裕層達がそんな簡単にポンポンと海外へ逃亡するとは到底思えません。仮にそんな簡単に逃亡したとしてそんな連中の大半は失敗してすぐに落ちぶれていく事でしょう。もっとも、現在の日本の産業の衰退の大きな原因である技術者達の海外への流出は、多くの日本企業がこれらの技術者達が特許技術を開発するなどの大きな成果を挙げても数ヶ月分程度のボーナスなどの僅かな報酬で済ませるのみで、技術者達の権利や権限を軽視し使い捨ての歯車程度にしか扱っていなかった事がその大きな原因であり、その割には自力では殆ど何も生み出せない天下り官僚やら企業役員やら投資家ばかりを何処も厚遇し続けており、おかげで他人の功績を掠め取り責任を他所に押し付ける事ばかりに優れそれに腐心し続けるような者ばかりが残り、金を集める能力や権限だけはあるが物自体の生産能力や活力などは衰え続けて竹のように中身がスカスカな状態になり続けており、2017年に発覚した神戸製鋼が長年に渡ってデータを改竄し続け性能基準に達していない製品を売り続けていた事や、2018年5月に起きた田中理事長や内田元監督などヤクザと親密な日本大学(日大)関係者らの悪質タックル指示とその揉み消しや井ノ口忠男等の暴力団員からの選手への脅迫など日大の一連の不祥事、セブンイレブン本部が各店舗に過酷な労働条件を強いる過剰な搾取を行い店舗オーナー達を過労死や借金苦や自殺等に追い込み続ける問題、及びこの問題とも通じるその管理体制の杜撰さから電子決済サービスの「7ペイ」で入金した筈の金が突然消える等の事態が頻発した件や(むしろ横領や反社への資金提供に故意に起こしていたまである)、
2018年3月に発覚した安倍政権の指示で財務省が行いその罪を安倍政権が財務省に全て押し付けようとした森友学園や加計学園などを巡る一連の「公文書偽造」事件及びこれに纏わる一連の官僚達の謎の連鎖的な自殺や右翼でありながら安倍政権に反対していた西部氏の「両手を縛られた状態での」自殺、この公文書偽造の表面化を受けて安倍政権が行った、公文書に本来記すべき出席者や記載内容をその出席者や責任者が記載するかどうか自由に決めてよいという実質的にいくら公文書を改竄しても(それまでは改竄すれば安倍内閣が自身で強行採決した共謀罪に当たり違法だったが)合法になってしまう公文書管理法の改悪や(また、2019年8月時点で安倍内閣は既に戦後に行なわれた憲法裁判の公的記録の内八割超を破棄した事が発覚している)森喜朗元首相が主導した結果東京オリンピックの予算が当初の3000億から3兆に膨れ上がり役員報酬は最大で月額200万以上、合計で一億を超える額が支払われる予定ながらもボランティア11万人には一日千円の交通費しか支給せず、にも関わらずボランティアを派遣したパソナには多額の報酬が支払われ、その癖開催決定直後から懸念の声があったにも関わらず競歩やマラソンなどの屋外競技での猛暑対策を殆ど何も行なっておらず、トライアスロン会場の一つである東京湾にしても13年には既に指摘されていたにも関わらず2019年8月時点で未だ下水から直接糞尿などが未処理のまま流れ込み続けるままで何ら下水対策をとっておらず費用の3兆を何処に使っているのか全く判らない上、開催まで一年を切った2019年10月になって暑さからマラソンを札幌に変更すると森元首相とIOCのバッハ会長が言い出してそれに東京都知事の小池百合子が猛反発し今更になって揉めに揉めているという見苦しい有様を呈していたり、当初は森信親元金融庁長官をはじめ金融庁が地銀の手本の優良銀行とのお墨付きを出していたスルガ銀行の2兆円以上にも膨らんだ「不正融資問題」やそれを引き起こしたスルガ銀行内での行員への上層部の異常な追い込みと書類まで改竄して行なわれた行員達の強引な貸し付け(株価が上がったぐらいで殆ど効果が無かった安倍政権下での黒田日銀総裁の異次元の金融緩和の為に銀行が融資先を大量に見つけなければならなくなった事も遠因)及び他の都市銀行や地銀や信金などでの同様の問題
(主にサンタメ契約を巡る問題。悪質な転売を防ぐ為等に中間省略登記は禁止されていたが第一次安倍政権にて新・中間省略登記として新たに提言され、今回の騒動の遠因となったという)や、2018年に発覚した積水ハウスが地面師に55億騙し取られた(騙された事にして結託し土地を不正取得しようとした)事件や、金融庁が老後十分な暮らしをするには年金以外に2千万を自力で貯めなければならないというこれまで国民にもっと消費しろといいながら同時に貯蓄もしろと言い出したようなまるで頭が悪い上に横暴な上司のような発表をしだし、又それを麻生財務大臣等が事実を歪曲して撤回させた事や、その癖在日韓国人の孫正義率いるソフトバンクグループが毎年数兆以上もの利益を上げているにも関わらず法の抜け穴を使って法人税を数百万程度に抑えるような真似を放置し続けている事や、依然続く福島原発関連の東電や政府等の進展がなく解決の目処が立ちそうもない上に金だけが無駄に掛かる無能対応やデータの隠蔽と改竄などは象徴的な出来事だと言えますが、或いは自己の利権を守る事のみに拘る連中が日本を捨てるならその方が結果的には日本の為になるかも知れません。

公職員について、よく「同和枠」などと同和地区(被差別部落)出身者を特別に採用する枠が存在しておりその枠の採用者は一般的な公職者よりも優遇されると言われ、事実奈良県において部落開放同盟員の職員が仮病を理由に5年9ヶ月間の内8日しか出勤しなかったにも関わらずその期間の給料2700万円が満額で支給された「奈良市部落開放同盟不正受給事件」(通称ポルシェ中川事件)が2006年に発覚しており、この「同和枠」をはじめ他にも同和地区出身者に解放同盟(正確には大企連)の傘下企業への税が減免され脱税の温床となっている「七項目の確認事項」による「同和減免」などの「同和利権」が存在しています。現在においても明治4年の解放例以来150年近く経ても尚、同和地区出身者への差別というものは根強く残っている「そう」であり、このような部落差別を無くす為にこのような同和利権が必要だったという事なのでしょうが、しかし上記の事件のような不正受給事件などは遥かにその必要な措置とやらを逸脱しており、この奈良市の不正受給の犯人はこの期間中にも自身の不正受給処か妻の会社の営業の為に開放同盟の名をちらつかせて奈良市役所を脅して仕事を要求し続け、仮病の診断書についても担当医師はこの男の「言いなりになるしかなかった」と無理に作成させられ続けたそうであり、このように部落解放同盟員が行政組織や企業や個人などに対して「差別」を盾に糾弾などと称してヤクザ同然の恫喝や脅迫、時には暴行や監禁といった犯罪行為まで行った例としては他にも「八鹿高校事件」「矢田教育事件」「八尾市入札妨害恐喝事件」「天理西中学校事件」などが挙げられ、これらの事件が存在しているとおり部落解放同盟という組織が非情に暴力的で犯罪体質である事は度々指摘されており、それはどうやら「同和枠」で採用した職員が(異常な頻度で)次々と不正行為を行った「京都市環境局不祥事」からも示唆され、また、それらの不正行為を「差別」を盾に行政さえ含む周囲に黙認させ続け、その為に単なるクレーム行為を逸脱した恫喝や脅迫同然の激しい「糾弾・確認」行為が蔓延し更には同和地区住民を使って集団での「つきまとい」や「いやがらせ」「いじめ」など、正に先に挙げた「集団ストーカー」のような行為を(創価や統一協会や在日韓国朝鮮人達と同様に)彼らは行い続けているともよく言われていますが、
これは「八鹿高校事件」で当初解放同盟と対立する共産党系の報道機関しかマスコミは報道せず、現在に至るまで同和関係の問題について各種報道機関をはじめ多くの機関や企業や行政組織が及び腰になっている点や、また日本全国の多くの地域において一般人にまで広く同和問題が「タブー」扱いされている事がその証左であると言えるでしょう。このように解放同盟自体がかなり暴力体質、犯罪体質を持っている事もあってか同和地区住民自体がよく粗暴でチンピラや不良みたいな連中ばかりであるというような事はよく言われていますが、それも解放同盟が上記のような暴力にものを言わせた事件を度々起こし続けているのだから仕方が無い事なのかも知れません。実際、複数のメディアで公安関係者などが暴力団構成員の大半が同和地区出身者である事を明かしており、「飛鳥会事件」の犯人などは実際に解放同盟員であると同時に暴力団組員であり、周囲への「訴え方」についても部落解放同盟と暴力団の「やり方」はとてもよく似ています。このような犯罪や暴力方面以外にも、多くの人間が気にしていないような些細な言い回しや言葉に過敏に反応して企業や個人に対してクレームを入れて常用されていた言葉さえ無理矢理変更させる「言葉狩り」を彼らが頻繁に行っている事も有名であり、彼らは自分達が差別されていると言いますが、このようにチンピラやヤクザのように粗暴で集団で悪さをし、或いは些細な言葉程度で過敏に反応し謝罪や時に賠償まで求めてしつこく詰め寄ってき、更には「立花町連続差別ハガキ事件」のように何もしていなくても自作自演で差別されたと訴える事さえもあるような連中と出来れば関わりたくはないと思うのは当然の事でしょう。明治維新後の解放令から150年を経てなお彼らが差別されているというのは、「生まれ」の問題よりも遥かに、彼らのこのような体質が原因であるとしか言えません。ヤミ金などが借金を踏み倒された場合、借金をした本人だけでなくその周辺の(時に連帯保証人ですらない)人物に対しても借金の返済を求める事がよくあるように、暴力団が攻撃された(と言う事にした)人物に対して「落とし前」として本人の所属団体や周囲の人々へと攻撃を行う事も多々あり、
同和地区住民達もまた例えば子供などが差別的な発言をした場合、その親や教師をはじめ学校や地区組織にまで文句を言い、更に行政にまで働きかけようとするように、彼らもまた本人の周辺にまで「落とし前」を求める体質を強く持っているようであり、「天理西中学校事件」においては学校とは無関係な一般人が生徒に対して差別発言をした事が何故か学校への抗議運動へと発展するというまるでイチャモンを付けられればきっかけは何でもよかったと言わんばかりの意味不明な展開を見せていますが、ところで部落解放同盟の人員は最盛期で最大18万人程であり、そしてそんな最大でも日本の全人口の0.2パーセント未満の人々のみに対して同和対策事業費として1963年から2002年の33年間だけで15兆円もの金が(生活保護費や医療費や年金などの一般的なものとは別に)補助金として彼らに使われており、解放同盟設立から70年以上、前身の全国水平社時代も合わせれば90年以上もの間活動し続け、全人口の0.2パーセントにも満たない彼らの為に長年に渡り十数兆円以上もの金をつぎ込み「同和枠」や「同和教育」など教育や就職などでも支援し続けたにも関わらず、同和地区からは暴力団の大半が同和地区出身者と言われる程の大量のヤクザを輩出し、ヤクザ以外の者さえ上記のようにヤクザ同然の犯罪行為に手を染める者が多いなど、果たして同和地区住民の「まっとうな」社会的立場の確立を目的とする部落解放同盟をはじめ各種の同和団体は一体今まで「何をやっていたのか?」という話であり、「彼ら自身の価値観」からすれば、それら同和団体に対して「どう落とし前をつけてくれるのか?」と問えるような話であると言えるでしょう。私は(触れこそそれど)問う気はありませんが。これら同和団体は各学校へと「道徳教育」として部落差別に対する教育を時に脅迫まがいの方法まで用いて行わせていますが、果たして「道徳教育」とやらが「本当に必要だった」のは「どちら」だったのか?という話である。「奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺害事件」の犯人とその家族が(犯人を擁護する訳では無いが)同じ同和地区内でも子供の頃から苛烈な差別を受け続けていたように他所に差別するなと言いながら自分達はそれ以上にエゲつない差別を行い続けている事が多々あるという話も同和関連(や在日韓国朝鮮人関連)ではよく聞く話である。
「同和地区住民がこれほど荒れているのはそれ程差別が根強いからだ。まだ我々一般人の「協力」が足りないせいだ」と言う者もいるでしょうが、そう言う者達は一体どうやって我々一般人に「更なる協力」をさせる気なのか?「協力」させる為に我々にもっと金を出させ、更に強い圧力をかけて我々の言動を縛ろうとでも思っているのなら、もはや何も言えないでしょう。同和地区住民に成りすまして利益を得るエセ同和行為というものも問題視されていますが、部落解放同盟の前身である全国水平社は戦中の1940年に解散し、その後部落解放同盟は終戦後の1946年に設立されましたが、その間5年以上もの空白期間が存在し、更にその間空襲によって全国水平社の名簿などの資料が焼けて失われたり、或いは構成員が戦死したり、また被差別部落地域自体が焼失した例も多数あったと推測される中、「背乗り」さえ行われていた戦後の混乱期の中で果たして彼らがどうやって「同和地区」や「同和地区住民」を認定していたのか?江戸時代の被差別部落や本来のその地区代々の住民だとどうやって確認していたのかについて、浅学ながら興味深い所ではあります。半数以上が同和地区出身者という、まるで同和地区住民の組織と言わんばかりの暴力団ですが、構成員の同和地区出身者の比率の異様な高さを見ても、どうも同和地区から暴力団員が出るというよりはむしろ…。もしそうであったなら可哀想だったのは欲の為に巻き込まれて住民と言う事にされおこぼれも貰えず差別だけを受ける事になった子供達や無関係な近隣住民の方々などでしょう。私自身部落問題は学生時代道徳の授業で触れた以外身近にはなく深く触れたのは上記の数々の「不祥事」を知った事がきっかけであり、もはや世代交代も進み移転も増えて土地に縛られなくなった事から、彼らが「自ら騒がなければ」部落差別はもはや殆ど消え「かかっていました」が、しかし「利権」とそれに纏わる「不祥事」は最近でも起こり続けており、彼らが本気で差別(利権)を求めていないのなら、騒ぐのではなくまず自らを律するべきであると言えるでしょう。
別に部落出身でなくとも「育った土地」で差別(区別)される事はよくあり、当然「家柄」や、まして本人や親族の「素行」や「経歴」、そして個人的な「好悪」などで区別される事も社会一般ではよくある事です。そしてこれらの要素は土地柄や家柄などの環境によっても人の性格や能力などにある程度の傾向や「相性」が出る通り、受け入れるかどうかの判断基準の一つとして「ある程度は」認められるべきものでもあります。もっともそれは「ある程度」であって、先に挙げた月ヶ瀬村事件の犯人の家族が受けていたような地方の閉鎖的で陰湿な村社会で地元の田舎権力者やその取り巻き等が時に役所や学校や警察まで味方にして行なっているいじめや嫌がらせや性的関係の強要や犯罪行為やその隠蔽行為の強要、またちょっとした会話や(犯罪では無く、また道理に反しないような健全な)売買等まで禁じるような徹底した村八分などと言った猿山の猿と区別がつかない処か場合によってはそれより更に劣るような下劣で下品な行為などは無論認められるべきではありませんが。2019年9月には関西電力の役員らが高浜原発のある福井県高浜町の元助役であり高浜町の同和の中心人物だった森山栄治から多額の裏金を受け取り、また拒否すると脅されたという話で、更には森山栄治は福井県警にも裏金を受け取らせていたという事ですが、この事を見ても原発利権には同和勢力が深く関わり、また原発関連組織の杜撰さや腐敗の酷さは同和組織のその体質が色濃く反映されている故であるというのも見て取れる。ヤクザ同然の手段で利権に群がり警察組織とさえ癒着し原発という事故や数万年続く廃棄物管理の事など全く考えていない害悪さえ齎す部落開放同盟などはやはり解散するべきであるだろう。ちなみにこの裏金問題が発覚した後の10月3日に安倍首相は首相官邸にマスコミ各社の関係者達を集めている。


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